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2011年3月 6日 (日)

播州明石 (子午線・明石城・鯛・魚の棚)

学生時代によくたむろした。ここ明石公園を・・・・
好きな奴がギターを持って行ったりした事もある。
久しぶりに明石に降りたので明石城に行った。
と言っても駅の目の前だ。
なんせ 
「十三人の刺客」 の問題の藩だ。
例によって調べてみた。それらしい人物が居るのか気にはなっていたので。
凄いですよネ!いろんな人に感謝します。すぐに分かりました!

松浦静山が随筆『甲子夜話』で記すところによると、斉宣が参勤交代で尾張藩領(当時の藩主は斉宣の異母兄にあたる徳川斉荘)を通過中に3歳の幼児が行列を横切ってしまった。斉宣の家臣たちはこの幼児を捕らえて宿泊先の本陣へ連行した。村民たちが斉宣の許へ押し寄せて助命を乞うたが斉宣は許さず、切捨御免を行って幼児を殺害してしまった。この処置に尾張藩は激怒し、御三家筆頭の面子にかけて今後は明石藩の領内の通行を断ると斉宣らに伝えた。このため明石藩は行列を立てず、藩士たちは脇差し一本を帯び、農民や町人に変装して尾張領内を通行したという。

この逸話から 
「十三人の刺客」 は生まれた。
しかしこの逸話は、確かな記録には無いそうだ。

実際に将軍の弟が強引に押し込まれたようだ。御祝儀に藩の石高は6万石から8万石に加増された。
この将軍は沢山の子供がいた?
男も女ももって行き先に苦労したようだ。

20110305_akashi1

明石の駅前には明石鯛が出迎えてくれる。
変わらない!
明石城も公園もいい。掘りも残っている。

明石には学生時代はお好み焼・明石焼きをよく食べた!
4人で行き焼そばの2つ玉を焼く。焼くのは二郎の仕事だった。
それを分けないで広げたまま、用意ドンで食べ始める。間違いなく元は取っていたと思う。
懐かしい思い出だ!

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