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2011年4月19日 (火)

県庁所在地について(司馬遼太郎・街道をゆく)

かって司馬遼太郎 「街道をゆく」 を読んだ。全巻読んだが面白かった。
その中でも県庁所在地の話が面白かった。
栃木の事を書いていたら思いだした。

幕末の勝組、薩・長・土・肥。これは城が置かれていたところ県名とした。
城があるところは行政機能があるのでそのまま使える。
薩摩・大隅島津家ー鹿児島城。土佐・山内家ー高知城。肥前鍋島家ー佐賀城。
長門・周防毛利家、これは萩が居城だった。幕末のどさくさにまぎれ、政庁を山口に移していた。
それで日本海側の不便な萩から山口に移したようだ。

この法則を協力的な藩に当てはめた。
備前岡山城・因幡鳥取城・阿波徳島城・安芸広島城と言う風に当てはめたそうだ。
非協力的だった藩、日和見的な態度を取った藩は城のあったところを県庁としてよいが県名は違う名称とさせられた。
仙台城―宮城県・水戸城―茨城県・盛岡城―岩手県と言う風に。
反抗した藩は城のあるところを替えて県名も変えた。
大老井伊直弼をだした
近江彦根城。滋賀県大津に!
最後まで交戦した会津若松城。
なるほどと思った。流石司馬遼太郎だ。と思った。
それからいろいろな本を読んだが、そんな事は無いという意見が多かった。
同じ様な大きさに集約するために、県が合併して行く。
その過程によって変わっていっただけのものもあるようだ!
要はそんな懲罰的な話では無いらしい。

群馬県・高崎となるところ陸軍が先に目を付けた為、前橋が県庁に。
石川県・一時富山県と福井県を合わせた大石川県があった。
本当はどうだったんだろう?
物語にはロマンが必要だ!そう言う
人間ドラマもあったのだと思いたい!

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