坂の上の雲・ 戦国武将、渡辺了・睡庵・意地
渡辺勘兵衛の名の方が知られている。 最近よく藤堂高虎の事を記述する。良くは書かない。
松山の隣の今治城は高虎が一時治めた。 その部下に渡辺勘兵衛(渡辺 了 わたなべ さとる)がいる。面白い人物と思う。
浅井氏麾下の阿閉氏・羽柴秀吉の子秀勝・中村一氏に仕え北条氏攻めで戦功。次に増田長盛に仕える。
戦国武将そのもののようだ。
まだ学生時代親父が、週刊誌が連載されている渡辺勘兵衛を読ませてくれた。池波正太郎だった。
やはり知る事になったのは司馬遼太郎だ。(ほとんど司馬遼太郎の受け売りだ)
増田長盛は西軍に着き、勘兵衛は長盛の居城である大和郡山城の守備についた。
大和郡山城も取り上げられることとなった。そのかん野盗が出没。それを退治した様だ。
「これが俺の関ヶ原か!」 と自嘲した様だ。
男として天下分け目の戦いに出られず、野盗相手になさけなかったんだろう。
どういう巡りあわせか、藤堂高虎が城の受取りに大和郡山城へ赴くが、勘兵衛は門をかたく閉ざしこれを拒む。
「長盛の命で城を守っているので、長盛の命以外で守りをとくわけにはいかないと拒む。」 これは正しい。
高虎は徳川家康へ願い出て長盛より城明け渡しの書状をとり、無事城明け渡しは完了した。
この時の勘兵衛の行動は武士としての意地と名誉を貫いたものとして讃えられた。
このあと勘兵衛を高虎は召し抱える。よく知らないが近江言葉があるようだ。それで近江出身の武将に仕えたらしい。
天下の三勘兵衛の一人である。 武士は七度仕官先を変えねば男ではない。
そういう時代の代表的な武将である。
石田三成が嶋左近を抱えたように、増田長盛も渡辺勘兵衛を抱えた。
高虎の今治城築城で普請奉行を務める。今治城には渡辺勘兵衛の大きな石があったと思う。
「勘兵衛石」 今は見た時とおかれている場所は違うようだ。見た時が違っていたらしい。 今が正解!
復元今治城は、歴史ファンには評判が悪いようだ。分かる!
伊予大洲城は写真も残っているせいもあるが、復元はとてもよかった!
今治城
大阪の陣では高虎の将として長宗我部盛親の陣と対峙。戦後は高虎の元を辞して牢人している。
このあたりの事情は複雑みたい。
仕官の道を探すものの、藤堂家から「奉公構」の触れ(仕官を他の家にさせないようにする願い)を出された。
高虎も意地が悪い。このあたりも嫌いな理由かも知れない。
渡辺性で名前が一字なのは、源頼光の四天王・渡辺綱の末裔らしい。と言う事になっている。
全部がそうではないだろうが・・・・・・
意地を貫き通した武将の物語だ!
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