徐福伝説②
徐福が何故始皇帝に信頼されたか?
何人も騙したと殺されている。しかし徐福は金?を貰い失敗してもチャンスを与えられている。
紀元前219年、秦の始皇帝の時代に童男童女500人を含め総勢3000人の集団を引き連れ、仙人と不老不死の仙薬を求めて中国大陸から東方の桃源郷日本へ旅立った一団がいた。それを先導したのが秦の始皇帝からその命を受けた「徐福」である。
始皇帝に、徐福が探して来れる何かを期待させるものがあったんだろう。
それが何かは気になるが、今さら分からない。推理するだけである!
そもそもこの話自体眉唾なのもがあるようだ。
徐福の存在を否定する学者も多いようだ。
日本も騒ぎすぎではないか?
この時期は秦も混乱していたので、亡命?と言うか国を離れた人も多かったと思う。
日本に来たのは間違いないが、人の流れを徐福に結びつけたのではないか?
「徐福・神武天皇説」 というのがあるようだ!
気分が悪くなる。
かって源義経=チンギスハーンと言う説もあった。
失礼ではないか!他国の英雄を置きかえるのは・・・・・
徐福の存在についてはこんな話もある。
江蘇省にある徐阜という村が清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており、徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明した。ただし、1980年代になるまでは、現地の旧家では「明代になって先祖がこの地に移住した」との伝承がなされていたことと、徐福の実在性自体が疑わしいことから、これは「日本からの観光客を狙った村おこしではないか」との指摘がなされている。実際、徐阜村では日本人観光客が多く訪れ、名物「徐福茶」も好評とのこと。
江蘇省の徐福像
系図がある。日本はかなりいい加減だが中国はチャンと残っているらしい。厳格なようだ。捏造した事が判明すれは社会からはじき出され、まともな扱いは受けないようだ。現に系図を持っている人は多いようだ!
徐氏の子孫が現れ2000年に渡る系図をもっていて中国全土で子孫が健在という事らしい。
相反する事と思うがいつもの事である!
日本・朝鮮・シナは古代から交流があり人の行き来も多かったと言う事で、何ら騒ぎ立てる事は無い!
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