« 神戸と言うより関西の私鉄電車の吊り輪について | トップページ | 「ブラジルの強み」 商船三井会長 芦田昭充 »

2011年9月27日 (火)

摂津・三田

三田には甥っ子が住んでいる。最近よく仕事で三田まで行く。行くのは車が便利か?JRで行く場合と神戸電鉄で行く場合がある。三田はニュータウンだ。歴史的にみると下記の様になる。

室町時代に播磨国守護だった赤松則村円心)の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城(車瀬城)を築城する。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備する。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると(有岡城の戦い)、信長の家臣・山崎堅家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立する。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治した。

九鬼氏は水軍で有名である。戦国の異能集団の一つに上げられる。徳川幕府は特殊技能集団を抑えた。             
徳川時代は大きな進歩?と言う物を排除した時代と言われる。                 九鬼氏も志摩においておけば水軍の機能を更に発達させかねない。国変えをして海から外したと言われる。

三田は内陸である。有名なところしては、かっては高校野球の名門三田学園がある。甲子園の常連だったし同世代にもと元巨人の淡口がいる。巨人は好きではなかったが淡口のファンではあった。巨人ー近鉄へ行き現在はヤクルトで打撃コーチをやっている。   佐瀬稔が淡口の事を書いていた。良いように書いている。この中で巨人から近鉄に行って、藤井寺のお客さんの少なさに感心した。後楽園の騒がしさ。その中で藤井寺でいつも同じ場所に席をとっているグループがいたそうだ。他の球場でも同じだったようだ。見事に今までのホームとアウエイの席の考えが崩れたようだ。野球を楽しみに来ている。そう思ったら自然と手をふる事が出来た話があった。

話がそれ過ぎた。かって 「そごう」 がはなやかしき頃、「北神そごう」 と言う計画があったそうだ。沢山あるうちの一つである。それだけの収益が期待される場所だったんだろう。今はアウトレットが流行っている。これからの生き残りは辛いかもしれないところか?                                                                

永沢寺と花しょうぶ園は三田だった。行った事はあるがどこかは知らなかった!         

奥さんに連れられて、椎茸狩りに来た事があります。美味しかったです!

« 神戸と言うより関西の私鉄電車の吊り輪について | トップページ | 「ブラジルの強み」 商船三井会長 芦田昭充 »

旅行・地域」カテゴリの記事

独り言(よもやま話)」カテゴリの記事

 黒田官兵衛 紀行」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 摂津・三田:

« 神戸と言うより関西の私鉄電車の吊り輪について | トップページ | 「ブラジルの強み」 商船三井会長 芦田昭充 »

2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
フォト
無料ブログはココログ

カテゴリー

大和ミュージアム

  • 20120917_yamato12_2
    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。