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2013年6月29日 (土)

嶋左近・近衛 龍春

筒井家の重臣だった島左近だが、筒井順慶が死んで筒井家を離れ、石田三成が豊臣秀吉から二万石を与えられ大名になったときに、知行の半分に当たる一万石の高禄をもって召し抱えられる。その後、関ヶ原の活躍で歴史に名を残した、謎に包まれた人物に迫る!

20130629_book1

著者の本もよく読んでいると思う。
読み終わった後も謎の人物である。
嶋左近も司馬遼太郎、関ヶ原でイメージは固まっている。
もう何年前になるか?
テレビドラマで関ヶ原を2時間を3回放送していた。
オールスターだ!
イメージ的に合っていた。
石田三成を加藤剛。本多正信を三国連太郎。嶋左近を三船敏郎。
この俳優のイメージは良かった。キャスティングが良かったのだろう・・・・・
録画してあるので時々見る。楽しい!

石田三成にいつから仕えたのかも分からない。
筒井順慶に仕え、養子の定次と折り合いがうまくいかない。
豊臣秀吉は、家臣を引き抜く。
徳川家康より石川数正。他にも手を伸ばしたと言う。直江山城守もそうなんだろう・・・・・
秀吉の家臣で、何か出向している感じがする。
いつ三成に仕えたかもはっきりしない。何石かもはっきりしない。
実際はそうなんだろうと思う!
が最後まで忠誠を尽くした。

北条攻め!
水攻めの失敗。
歴史の流れが、嶋左近を中心に語られる。
意外と言うか、当然と言うか、柳生但馬守が嶋左近を訪ねて来る。 

定説と言うか知っている話と違うところがある。
前田利家亡き後、七将に追いかけられて徳川家康の屋敷に逃げ込む話はなかった。
池田輝政で知っていたが、照政となっていた。
どちらも正しいのだろう・・・・・・・

この七将の名前が違うのは知っていた。
加藤清正、加藤義明、福島正則、細川忠興、黒田長政、浅野幸長までは同じだが、池田輝政・脇坂安冶・藤堂高虎・蜂須賀家政もはいっている。
七将と言うのが間違っていそう!
司馬遼太郎、関ヶ原では、加藤清正、加藤義明、福島正則、細川忠興、黒田長政、浅野幸長、池田輝政である。
三成はあまりよく思われていなかったんだろう!
憎まれていたのかも・・・・・・・
それが関ヶ原まで尾を引いている。
人徳がなかったのか?
よい事をしても、反対にとられる。
嶋左近も、男として関ヶ原まで出れてよかったと思う。
ついて来たのは、大谷行部ぐらいなのではないか?

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