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2013年12月 1日 (日)

会津のこころ・中村 彰彦

混迷する幕末の京都守護職をあえて引き受け、戊辰の戦いで刀折れ矢尽きるまで、徳川への忠誠と尊王に殉じた会津藩。その強く、清らかな心根はどこから生まれたのか?本書は、会津の下級武士「弥太」のたくましい暮らしぶりから、独自の子弟教育―「什の誓い」、篭城戦で活躍した山本八重の覚悟まで、現代に受け継がれる“会津のこころ”を繙いていく。日本人が誇りにすべき精神の粋がここにある。   

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著者は会津贔屓か?それとも保科正之か?
別の本だが、秀吉は東北を治めるのに、水戸・会津を重要視した。
地政学上もそうなると読んだ事がある。
水戸には土着であったが佐竹義宣がいた。会津には最初蒲生氏郷、亡き後は上杉景勝をいれた。
いずれも徳川に対してよい感情を持っていない。
徳川もそれを引き継いだという。
水戸に御三家を、会津には最初藤堂高虎をもって行こうとしたが、加藤嘉明をもって行った。
改易後、家光の弟になる保科正之を配した。
会津は重要なところと理解していた。

会津は藩祖より教育がしっかりしてる。
明治時代の、姿三四郎のモデルと言われる、西郷四郎は会津出身である。
会津は朝敵、敵役と思っていたのは学生時代まで。
やはり司馬遼太郎だ。『王城の護衛者』
松平家の当主からお礼の連絡があったと言う。
公平な立場で会津を書いてくれたと。

会津藩は恭順しているにも関わらずに攻められた。
著者言うように、慶喜のおかげで攻撃されたと言ってもいいのだろう。
奥羽列藩同盟、会津を助けるために結成されたと言う。
別に薩長に対抗する為では無かったと言う。
幕末の騒乱による死傷者の数の少なさは、山内昌之も記述していたが、少ない!

会津に関するエッセイがある。
保科正之
会津藩士列伝
会津の女性達が記述されている。
最後に対比の意味で、長州がある。

保科正之の生まれから名君ぶりが記述されている。
自身お江の方の嫉妬より、堕胎されそうになった経験かがあるために、これを禁止した。
『三大美事』を達成。
末後養子禁止の緩和、大名証人制度(人質)の緩和、殉死の禁止。
玉川上水開削の建議。
明歴の大火の後しまい。

大火の時の果断な決断。食料、米をほっておけば焼かれるだけだと。
町民に取り放題だと言って、焼失を免れた。
石田三成にも同じような話があった。
堤防が決壊した時に、米をもって土表代わりにして防いだ。のちに本来の土表と取り換えて米は農民に与えた。
領民に慕われる人は違うのだろう・・・・・
沢山の善行
が記述されている。

そして家臣たち。女たち!具体的な前がある。
NHK 『坂の上の雲』 これに決死隊が登場する。白襷隊!
結局二〇三高地は取れずに、参謀に批判されていた。嫌な場面だった!
この白襷隊の中隊長が、会津藩士、町野武馬。
会津戦争に反対したが、いざ開戦となると、最後の一人まで戦うべしと!
佐川官兵衛も登場する。

女は自害したので悲惨である。
21人自害した西郷家。
薩長もよくやる。戦死した会津藩士を埋葬させなかったという。
当然新島八重も出て来る。井深八重と言う名前もある。
当時の女性にしても武士階級は、和歌が出来る。そう言う勉強をしている。
今とはえらい違いだ!

会津の武士たちの生活もよく分かる。
著者の本は、よく共著している山内昌之の本と共に、読もうと思って積んでいる。
順次読んで行きたい。

 

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コメント

会津は観光史学といわれ、美化されることが多いものの、保科正之の功績に異存はない。それから200年も経つと、藩主はどこも養子だらけ、武士道は地に落ち、財政破たんは朱子学よりも陽明学で再生、鎖国政策、交通政策、産業革命の遅れで外国に侵略される危機感は、会津藩にない。下級武士の登用もなく、上級武士の特権階級の藩、徳川に都合の良い藩という側面もある。
 それでも、日新館教育はレベルが高いから、明治になって活躍した人物が多い。百石以上は600名おり、文官よりも武官が多く、非戦派より主戦派が強く、家訓に拘束され、幕末の時代のすう勢には疎い。この著書は会津の方には受けるでしょう。西郷頼母については取材不足の感がある。

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