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2014年3月23日 (日)

歴史ドラマと時代考証・小和田哲男

『秀吉』では竹中直人の「すし食いてぇ、天ぷら食いてぇ」のアドリブで綿密な台詞考証が吹っ飛び、『功名が辻』では脚本家の強い要請でしぶしぶ認めた本能寺での銃撃戦にたくさんのお叱りを受けるなど、いまだから話せる時代考証失敗談などの三つの大河ドラマの制作秘話を披露。本書を読めば大河ドラマを見る楽しみが倍増します。

20140323_book1

時代考証も大変だ。
読んでいてメチャメチャ面白かった。
そこまで言うのか?
セイタカアワダチ草が画面に映っている。これは外来種で江戸時代には無かった。
そんなに注意して見ているのか?
だいたいセイタカアワダチ草なんて最近の若者が知っているのか?
そう言う会があるのかと思ってしまう・・・・・・・
昔は照明も暗かった。そういう風に撮影すると、弱視者の団体から抗議が来た。見えないと!
マア仕方がないといえる。
俳優が大きな口を開けて笑う。銀歯が見えた。クレームが来たそうだ・・・・・・・・
登場人物の出身地の特定は難しいと言う。
山本勘介。風林火山では富士宮市山本でいったそうだが、豊橋市が郷土の偉人としている。
学校側は困ったそうだ・・・・
「ねね!北政所」だが、正解は「おね」のようだ。
現在と当時は違う。
小田原攻めの、石垣山城。北条氏降伏後は廃城になり石垣しか残らなかった。
江戸時代にその石垣を見て、石垣山城跡と言ったそうだ。
越後は酒どころ、米どころだが、戦国時代は違う。先入観はダメな例のようだ・・・・・
そう言う話が一杯あって楽しい!

清須会議がある。「秀吉」の時に、滝川一益が喋っている。
ちょっとおかしいと思った。確か外されたのではないか?
読んでいて理由が分かった。
考証は無い事をあるとはできない。
あると言っても突飛な事は出来ない。
備中高松城の対毛利戦。

秀吉は大きな手柄をたてて、猜疑心で見られる事を避けるために信長の出陣を願う。
そう思っていたが、そう言う手紙は現存していないと言う。
さすればどうやって信長に出陣を願ったのか?
気になります!

いつも思う。秀吉亡き後、石田三成を襲った七将の名前は?
加藤清正、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政、細川忠興、池田輝政と理解していた。「司馬遼太郎 関ヶ原」でだ!
がこの本では、加藤清正、福島正則、浅野幸長、、黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、蜂須賀家政となっている。
脇坂安治と言う名前もある。少しランクが下がると思うが・・・・・・・
これなんかどうすのだろう?
どうも三成が家康の屋敷に逃げ込んだのでは無いと言う。
「軍師 官兵衛」には当然出てくる場面である。
著者がどうアドバイスするのか?
サアどうなるのか楽しみである。

夢枕獏の小説にあった。格闘技の撮影で、そこで立ち技か?寝技か?
言い出した者通しが意地を張る。ここで監督が言う!
どちらでもよい。要は映像として見栄えが良い方にしたい。
納得!

明智光秀を誰が演じるのか?近藤正臣が印象に残っている。
それ相応の歳の俳優に演じて貰いたい。
ともあれ楽しい本である。
確かに、大河ドラマを楽しむ為にはなると思う。

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