因幡 鳥取城 「毛利の援将 吉川経家」
鳥取城は毛利と織田の争奪戦になる城である。
毛利は山陰地方は吉川元春に主導権がある。
山陽は小早川隆景だ。
ゆえに三木城攻防戦は小早川隆景が采配をとった。
山陽の場合は宇喜多直家がいる。
梟雄と言う!
鳥取城は城主がだらしなく家臣が主導権を握り、毛利につく。
毛利に武将の派遣を依頼する。
最初に派遣された武将より、毛利一門の武将を依頼する。
よって石見福光城より吉川経家が派遣される。
元より死を覚悟している。
吉川経家は、自身の行動で後世に名を遺した。
鳥取城祉に、吉川経家の像がある。
当然だろう。
案内に渡辺数馬の墓があると!
しかし歴史上ではやはり、吉川経家だろう。
秀吉は三木城攻防戦で学習している。
2年かった。
「鳥取の飢殺し」
早く餓えさすために、奥州?
米が不足していると言う事で米を買い占める。
兵糧米まで売る馬鹿がいる。
そして農民たちを城へ追い込み食料の枯渇を早める。
その通りになる。
吉川経家は唖然としたであろう。
6月から包囲されて、2,3か月で餓死者が出たと言う。
鳥取城の家臣は冬になれば雪で秀吉は引き上げるとの甘い見通しを持っている。
毛利の輸送も上手くいかない。
秀吉が包囲している。そんな抜かりはない。
まして官兵衛がいる。
ここまでと吉川経家は城兵を助ける為に降伏する。
秀吉は、吉川経家を助けたかったと言う。
主人を追いだした家臣の切腹で構わないと言ったようだが、城主たる責任を取った。
天下が衆目する、毛利と織田の戦いの最前線である。
毛利と織田が激突した日本二つの弓矢の境目で、切腹できることは末代までの名誉である。
爽やかな武将である。
播磨三木城別所長治、因幡鳥取城吉川経家、備中高松城清水宗治。
3人とも後世に名を遺した!
今回、石見福光城、因幡鳥取城と吉川経家を訪ねれた。
大満足しています!
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