軍師 官兵衛(番外編)鳥取城攻防戦『吉川経家の奮戦!』 (二郎作)
鳥取城攻防戦は放送が無かった。
期待していたので寂しかったです!
三木城から備中高松城へ飛んでしまった。
ここは秀吉の冴えを描くべきと思うが・・・・・・・
1580年(天正8年)秀吉の第一次鳥取城攻めで山名豊国は降伏。
ところが、同月3月毛利の来訪で再度の降伏。
鳥取城は毛利方になる。
この時点で山名豊国は因幡守護であるが鳥取城主ではなくなった。
同年4月、山名豊国は秀吉の下へ出奔する。
残存する山名旧臣は毛利氏への従属を継続したため、羽柴秀吉は二度目の鳥取城攻撃をする。
毛利は何人かの城将の入れ替えの末、吉川一門で文武両道に優れた経家を派遣する。
経家は自らの首桶を用意しており、その決死の覚悟を窺うことができる!
鳥取城は吉川経家を城主に迎える。
秀吉は三木城の兵糧攻めを、ここでも行う。
が学習している。
因幡の米を高値で買い取る。
若狭の方が飢饉と言う事で・・・・・・
経家の来る前に軍資金にと城内の米を売る。
計略だとは思わない!
20日分の兵糧しかなかったと言う。
三木城は別所長治の切腹降伏まで2年近くかかっている。
鳥取城攻めでは兵糧を少なくさせて、早く餓えさせることを考える。
鳥取城は秀吉の思惑通りになる。
河川や海からの毛利勢の兵糧の搬入を阻止した。
日本海にも水軍がいる。
山陰道なので、吉川元春が主将である。
鳥取城の西側に伯耆 羽衣石城がある。
ここが織田に付いたため、兵糧を運ぶ毛利を攻撃したと言う。
2度と行けない城である!
死ぬ思いで本丸まで行った・・・・・
瞬く間に兵糧は尽き飢餓に陥った。
何週間か経つと城内の家畜、植物などは食い尽くされ、4か月も経つと餓死者が続出し人肉を食らう者まで現れた。
「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず」と言う。
毛利の常識と言うより、今までの常識では、冬になれば雪で秀吉が引き上げると!
が兵農分離が進んでいる織田の兵は、弱い尾張兵とはいえ一歩進んでいる。
いつでも戦える。
降服しかないが、秀吉は経家の奮戦を称え、責任を取って自害するのは森下道誉・中村春続だけでよく、吉川経家は帰還させるとの意思を伝えた。
しかし経家はそれを拒否し、責任を取って自害する。
「毛利と織田が激突した日本二つの弓矢の境目で、切腹できることは末代までの名誉と存じまする」
この吉川経家は見たかった。進退が爽やかである!
鳥取城には像がある!
経家が一番ふさわしいのだろう!
但馬に、奈佐日本之介と言う土豪?がいる。
但馬の水軍?海賊?
鳥取城に籠城した!
降伏後、奈佐日本之介は秀吉に許されず切腹させられる。
「城山三郎 秀吉と武吉 目をあげれば海」 にあった話である。
この事実を、小早川隆景は、村上水軍の村上武吉に伝えているようだ!
要は織田の世になれば、水軍のいる場所は無いと言うことだろう!
暗に毛利に付けと言っている!
この城攻めは秀吉、官兵衛の頭脳で勝ったのか?
秀吉にすれば楽な戦いだっただろう!
一向一揆とは和睦。村重は逃亡。三木城も落城している。丹波も平定されている。
一時の危機の事を思えば楽な戦いではは無かったのか?
« 台湾は省エネの国なのか? | トップページ | 軍師 官兵衛(第26回) 長政初陣を飾る! 官兵衛・秀吉VS恵瓊・隆景 »
「 黒田官兵衛 大河ドラマ」カテゴリの記事
- 軍師官兵衛(第五十回)乱世ここに終わる(2014.12.22)
- 軍師官兵衛(第四十九回)如水最後の勝負(2014.12.08)
- 軍師官兵衛(第四十八回) 天下動乱(2014.12.01)
- 軍師官兵衛(第四十七回) 如水謀る(2014.11.24)
- 軍師官兵衛(第四十六回)家康動く(2014.11.17)
この記事へのコメントは終了しました。
« 台湾は省エネの国なのか? | トップページ | 軍師 官兵衛(第26回) 長政初陣を飾る! 官兵衛・秀吉VS恵瓊・隆景 »
コメント