肥前名護屋城 秀吉の朝鮮半島侵攻の城 『官兵衛の縄張りによる城』
この城跡は3回目である。
初めて訪れたのは、学生時代だった。
何も無い原っぱだった!
今は充実されている。
ここは幟が多い!
黒田官兵衛が縄張りの城
肥前名護屋城
と言っても官兵衛で売る必要はない城址である。
観光客も沢山いる。
団体さんが、ガイドの説明を聞きながら歩いていく。
好きな人は、一日楽しめる。
秀吉のまわりに味方と思える武将を配置している。
家康等は遠方に配置させている。
信号のところで奥さんが声を上げた。
『伊達政宗陣跡』
これが交差点の名前なのか?
『前田利家陣跡の森』 もあった。駅の道のところである。
家康と利家の兵が、些細なことから喧嘩になり双方引っ込みがつかなくなった。
このころから兵は分かれている。
家康びいき!
利家びいき!
家康嫌いで利家びいきの、蒲生氏郷は利家のところまで来て、いつでも応援できると!
そう言う話もある。
日頃、利家に近づいてきていながら、こういう時に家康に走る武将もいる。
人間性を見た感じがする。
しかしこんなところで何十万の兵がいれば問題は多い。
それこそ遊女の問題もあったと思う!
博物館の中に、城の模型がある。
これは見ていて楽しい!
船、安宅船もある。
倭城、朝鮮半島で造られた日本の城の分布もあった。
資料館は楽しめる!
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