豊前の官兵衛① 豊前国一揆 官兵衛最大の危機か?
官兵衛最大の危機が訪れる。状況は下記のようだ!
天正15年、豊前国一揆発生!
まず肥後で一揆が発生した。佐々成政あるが無理をした!
馬ヶ岳城の長政から、「肥後で一揆」と時枝城にいた官兵衛に一報が入った。
官兵衛は大阪城へ急便を送り、折り返しの返事で久留米(集合地)に向かった。
官兵衛が肥後一揆鎮圧に向かう隙を見て、黒田家に従っていた土豪が一揆を起こした。
長政は急を官兵衛に知らせたる。官兵衛は後を小早川隆景に託して豊前馬ヶ岳城に引き返した。
この非常事態を官兵衛は秀吉に窮状を一報、次いで安芸の毛利輝元に援軍を要請した。
長岩城の野中鎮兼の呼びかけで、上毛の日熊城の日熊直次、宇佐高家城の中島房直が挙兵。
早くから黒田に降りていた広津鎮種の広津城に向かった。
黒田勢の背後を狙い、山内城主如法寺孫治郎輝則、川底城主城井弥七朗信次、鬼木城主鬼木掃部助、山田城主山田大膳、八屋城主八屋刑部、東友枝叶松城主内尾主水、西友枝雁股城主友枝大膳らの国人衆も手勢を率いて出陣した。
小土豪と言うべきものの連合か???
黒田軍は日熊城に押さえの隊を置き、国人連合軍と観音原で戦い勝つ。
山田大膳は宇都宮鎮房と並ぶ上毛郡随一の強敵。策を講じて討ちとる。
一揆には城井氏と同族の宇都宮氏一族でも全ての家が参加していたわけではない。
下毛郡長岩城の野仲氏は参加したが、宇佐郡・青山城の佐田氏は参加しなかった。
宇都宮氏一族以外でも田川郡・岩石城の佐々木氏は参加したが、宇佐郡・時枝城の時枝氏は早くから黒田氏に臣従している。
肥後の佐々成政は一揆の責任を取らされて切腹!
となれば、官兵衛もやばかったと思う!
「馬ヶ岳城」「時枝城」「長岩城」には行った。
馬ヶ岳城・長岩城は山城である。登るにはそれなりの覚悟がいる???
どちらも官兵衛の名所になり、宣伝されている。
前回アップした名所案内に、一揆関係の名所を回ったのでアップして行きたい!!!
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