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2014年11月30日 (日)

本・城を攻める 城を守る・伊東潤

城めぐりをしていて、城好きが高じて、その歴史的背景までも知りたいと思っているのではないだろうか。本書は、そうした方々を対象としている。その城で過去にあった攻防戦に目を向けてもらい、その城の経てきた歴史に興味を持っていただく必要がある。本書は、そうしたことを念頭に置いて書いた「戦う城本」である。

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26城紹介してある。
当然のことながら実際に城の周りを歩いている。
山城はえらかったと思うが・・・・・・・
戦国時代から幕末にかけての戦いのあった城を紹介している。
又城郭の図(?)絵(?)も付けている。
大変よく分かる。
城址によっては、案内に「堀切」と案内がある城址もある。
播磨三木城攻防戦。
秀吉の平井山本陣。
ここの主郭にいくまでにの斜面に兵が寝泊まりしていたとの案内があった。
食料や糞尿はどうしたのだろうか?

読んでいて特に北条関係の城に行ってみたいと思った。
八王子城・河越城・箕輪城・山中城・韮山城・・・・・・・・
河越城
三大奇襲戦と言われる、河越城。
北条氏康が主役である。氏綱も関係しているので北条とは関係が深い。
他は織田信長と毛利元就である。
氏康は名将なんだろう・・・・・
が定説は変わっていく。
戦いも夜戦では無かったようだ・・・・・・
その都度ロマンが無くなるが・・・・・・

水戸城
幕末これほど藩内で殺し合いをやったところは無さそう。
その為有為の人材が枯渇した。
実際幕末も後半になると水戸藩士の名前はあまり出て来なくなる。

八王子城
巨大な城である。
秀吉の小田原攻めで落城。
氏政の弟、主戦論者の氏照の居城である。
秀吉に刃向ったとあまり評価されていない。
玉砕したようだ・・・・・
が著者も小説で取り上げている。
なかなかの武将と感じたが・・・・・・
行って上までは登れないと思うが・・・・・・・

箕輪城
武田信玄の攻撃に耐えた城である。
長野業政には、新陰流 上泉信綱が仕えている。
中小企業連合と言うべき、小土豪との連携を図る。
やはり人なのか?
息子の時代に落城する。
二代目は気の毒である。

韮山城
名将、北条氏規は守る。
寄せ手の大将に問題はあったが、守りきり開城する。
最初の山中城が一日で落城する。
織田信雄が大将で、蒲生氏郷・福島正則・細川忠興らが攻める。
大将以外は猛将がそろっていた様だ!!
やはり人なんだろうと思う。

有岡城
荒木村重の居城である。
信長に反抗する。
一度でも信長に疑念を持たれると、いつかは滅ぼされる。
その不安から反旗を翻す!
そうそそのかした中川清秀はさっさと信長に帰順する。
信長も清秀は重要視していなかったんだろう・・・・・・
1,6kmの800mと言う巨大な城である。
村重にはそれなりの成算があったんだろう・・・・・・
高槻・茨木・尼崎・花隈・三田と支城があり充分戦えると!
全部行ったが・・・・・・『自慢にもなりませんが・・・・・』
播磨三木別所氏、丹波波多野氏、本願寺と同時に信長は戦わなければならない!
が全て毛利の援軍が頼りである!
安芸からは遠いと思うが・・・・・・

家康と信玄・勝頼の攻防戦。
高天神城、長篠城は行っているが、又行ってみたい。
今までと違った目で見れると思う!

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