関ヶ原の合戦(23) 奥平貞治の碑
奥平貞治の碑
家康は小早川秀秋を監視する為に、奥平貞治を派遣している。
秀秋が裏切った時、先頭に立って大谷隊に襲いかかった。
最初は追い返されている。
その時に戦死したと言う!
冒涜するわけではないが、なんでこれが史跡になるのか?
まして戦死したところよりは離れていると思うが・・・・・・
何かあるのだろう・・・・・・
細い道を入って行かなければならない。
だいたい、奥平の姓は良く知っているが、貞治がどう言う武将かもよく分からない!
無理に訪問する必要は無さそう・・・・
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