九州の関ヶ原(25) 豊後佐伯城 日本最後の山城???
岡城から佐伯城に行った。
山城である。
紋がある。
黄色い上着を着たボランティアの人達がいた。
植木、草の整備をしていた。
門を見ているとおじさんが声をかけてくれた。
「お城ですか?」
親切にいろいろ説明してくれた。
こう言う熱意ある人と会えるのは嬉しい。
上まではよう行かないと言った。
地元の高校野球の選手は20分で上まで駆け上がるそうだ!
若さが羨ましい!
門のところで、門が階段になっていない。
坂道である。
敵が来た時、ここで油などを流して入って来れないようにすると???
城の模型があると言うので案内してくれた。
良く出来ている!
相当広い城である。
最後の山城と言う!
再建したら面白いと思うが・・・・・・・
1601年、豊後日隈城より、2万石で毛利高政が入封し、八幡山に1602年から1606年にかけて築城される。
天守は江戸時代初期1617年に失火で焼失。
ガイドさんは、落雷と言っていた。
毛利は初め「森」と言っていた。
備中高松で講和後毛利に人質になる。
その時に、毛利輝元に気に入られ、毛利の姓を貰ったと言う!
ガイドさんは、貰わねば殺すと言われたと言っていた。
平成の大合併で、佐伯市・上浦町・弥生町・本匠町・宇目町・直川村・鶴見町・
米水津村・蒲江町が一緒になり、佐伯市になった。
楽しく観光出来ました!
ボランティアのおじさん、ありがとうございました!
佐伯城
大分県佐伯市西谷
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