九州の関ヶ原(26) 豊後臼杵
佐伯から臼杵へ回った。
ここは城下町風に街造りをしている。
武家屋敷も有り、堀に鯉が泳いでいる。
八坂神社がある。
静かな町と感じた!
城下町を演出している。
1595年、福原長堯が城主である。三成の親戚とも言う。
関ヶ原の合戦時は、太田一吉が城主である。
九州の関ヶ原では、病と称して動かなかったが、子が西軍に付いていた。
よって改易され、稲葉貞道が入り、幕末を迎える。5万石と言う。
一鉄と言い、「一徹者」の語源とも言われる。
斉藤利三の元主君で、光秀と利三を争う。
これが本能寺の変につながる?????
との意見もある。
城址は公園となっていてそれなりに整理されている。
公園内に面白い物を見つけた。
ここで徐福伝説に会うとはビックリである。
『不老不死の霊薬天台烏薬』
この地に自生しているのを、徐福一行が発見した?????
伝説としておきたい。
多分案内の横にある木がそうなんだろう・・・・・
誰でも持って帰れる!
本当にそうなのか?
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