関ヶ原の合戦(28) 吉川広家陣跡
吉川広家陣跡
この吉川広家の陣で気が付いた。
自治体の温度差を!!! ここまではと言うと、吉川広家の前までは、「関ヶ原町」である。
その中にある史跡はきっちりしている。
史跡の地図もあり、史跡には旗竿もはためいている。
分かり易い!
がここからは、「不破郡垂井町」である。
ここは竹中半兵衛で売っている!
何が言いたいかと言うと、陣跡の石碑が無いし、旗竿も無い!
案内板があるだけである。
寂しく・・・・・・・・
余程好きな人でなければ行かないのか??
「歴史と自然の町」
もう少し手をかけて欲しいが・・・・・・ 
不破高校の横にある。
そこへ行く標識も無い。
関ヶ原の合戦では、この陣の後ろに毛利秀元が陣を構える。
安国寺恵瓊もいる。
長束正家、長曽我部盛親もいる。
皆毛利の動向を見ている。
が広家が兵を動かさない。
幾度となる催促に、弁当を食べている!「宰相殿の空弁当」
広家は信じていたのだろう・・・・・・・
兵を動かさないことが毛利の為だと!
恵瓊の言う通りやれば毛利は滅びると! 
合戦前から黒田長政を通じて家康に毛利本家の存続を求めた。
西軍の総大将は担ぎ出されたもので、輝元の本意ではない!
誓紙もある。
が本多忠勝、井伊直政のもので家康の物は無い。
結局毛利は改易となり、長門・周防の2か国は広家に与えられる。
広家は必死に毛利本家の存続を求め、岩国3万石を与えられるが、家臣扱いである。
関ヶ原の合戦時、毛利秀元は実際に関ヶ原にいた。
もし毛利の大軍が家康に襲いかかればどうなっていたか???
その思いが強いだけに、広家への当りは強かったようだ!
広家は甘んじて本家の処遇を受けたと言う!
幕末に吉川家は、幕府との交渉を行い、本家を助けたと言う!
広家も満足か?
広家の広は、偉大な先祖、大江広元の広を貰ったようだ! 
司馬遼太郎によれば、好き嫌いを表に出さない秀吉が、あからさまに嫌ったようだとの記述があった。
癇が強かったようだ!!!
殿中で浅野長政と殴り合いの喧嘩をしたようだ!
関ヶ原では、父では無く、叔父、小早川隆景の感覚で対応したと言う!
計数に明るい石田三成が言う。
家康が毛利をそのままにする訳は無い!
潰さなければ恩賞として与える土地が無い!
当たっていたようだ!!!
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