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2014年12月

2014年12月31日 (水)

本・「坂の上の雲」と日本人・関川夏央

日露戦争で勇名を馳せた秋山好古・真之兄弟と俳句・短歌の革新者である正岡子規を軸に、明治日本の「青春」を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』。この雄篇が発表されたのが1968‐72年である点に着目し、そこに込められたメッセージを解き明かす。斬新な視点と平易な語り口で司馬文学の核心に迫る傑作評論。

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この本は学生時代に読んでいる。
金もない学生時代、親父の本を読ませて貰った。
ドラマも何回観たか?
歴史小説のおもしろさは、司馬遼太郎によって教えられたと思っている。
長ずるにしたがって、批判も多い事は分かって来た!
いつも思うが劇的に記述しすぎではないかと!
が面白い!
短編の方が良い作品も多い!

会津の事、関ヶ原の武将達、新史太閤記・・・・・・
最近では、軍師官兵衛の影響で、播磨灘物語を読み返している。
資料が公開されていない時に記述されているところもあるようだ。
坂に上の雲の前に、要塞を読んでいる。
旅順要塞に平然と突撃したのは知識としてあった。
日本人は勇敢だと思っていた。
そして乃木大将は、有能だと思っていた。
思うとしていたのかもしれない・・・・・・

そに時に、そう言う見方があると知った。
その乃木大将無能論に対する反論も多かったようだ。
当時の乃木軍の白井参謀が後に言っている。
「成って居らぬ」
理由はいきらでもあるだろう!
が何万の人が死んでいる。

脚気の問題がある。
これは戦場では非常に問題だったようだ。
ドイツ(細菌説)とイギリス(栄養のバランス説)の対立になる。
森鴎外までが絡んで来る。
陸軍と海軍の対立にまで行く。
海軍は脚気を絶滅できたが、陸軍はそうではなかったようだ。

坂の上の雲の矛盾点を指摘している。
山下大佐が封緘命令を持って汽車に乗るが、出来ない事を検証している。
小さな事だが面白い。

日英同盟、児玉源太郎の旅順行、バルチック艦隊、乃木将軍の殉死の時の新聞の対応、明石大佐の事、森鴎外・夏目漱石・正岡子規のこと、乃木将軍に心酔した人達、捕虜の扱い等記述している。
地球を半周して、ロシアから極東にまで艦隊を持ってくるのは奇跡とも言う!
石炭の積む場所もイギリスは当てにならない。
フランスも引き気味だっと言う。
メチャメチャ金がかかったのはよく分かる。
沈められに来たみたいなものだ!
対馬海峡、津軽海峡、宗谷海峡?
何処を通るかの話もある。この話は半藤一利が書きまくっているが・・・・・・・

坂に上の雲に出ていたが、旅順要塞攻撃にリズムがある。
ロシアも攻撃の日を推定していたようだ。
理由がある。
伊地知参謀が言っている。
砲弾の補給に1か月かかる。
日は偶数で割れる。要塞を割れる。
何かの記念の日なので縁起が良い!
司馬遼太郎が皮肉で言っている。兵も死ぬだろう・・・・・・

そんな事を思い出しながら読みました!
参考になる本だと思います!

2014年12月30日 (火)

ハンガリー・ホッロークー村のDVDを見る!「NHKスペシャル」

奥さんが旅行から帰って来て、録画したDVDを見ている。
どちらもNHKである。
「ハスプブルク家」
「ドナウ川流域の国の紀行」
このドナウ川の映像に当然ハンガリーがある。
もう10年前と思うがNHKのドナウ川の流域の国の紀行のスペシャルだ!
ここに「ホッロークー村(世界遺産の村)」が登場する。
見た風景がある。
教会が見えている。
懐かしい????

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パローツの民族衣装を着ている。
ここの案内をお婆さんがする。
村中総出で迎えてくれている。
リハーサルも大変だっと思うが・・・・・・
観光に行った時に出迎えてくれたピロシュカおばあちゃんが写っている。
村人たちが並んで写っている。

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緑と赤のベストを着ているのがピロシュカさん

にこやかに笑っている顔は、同じ顔である。
衣装は少し違うか?
若者が踊っている映像もあった!

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見ていて気持ちが良い!!!
いつまでも元気でいて欲しい!

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2014年のピロシュカさん

2014年12月29日 (月)

丹後・田辺城 幽斎が500の兵で守った城

丹後・田辺城 

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関ヶ原の合戦時、幽斎が500の兵で立てこもった。
攻める西軍は1万以上の兵である。
真剣に攻めたのかと言いたくなる。

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幽斎の才能が身を助けたと言う。
朝廷の勅使で双方兵を引いた。
この兵が関ヶ原に向かっていたらどうなっていたか???

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攻める小野木重勝は、合戦後結局切腹となる。
どうも忠興が助命を蹴ったようだ。
舞鶴公園に門があり、田辺城資料館(無料)もある。
もっとも月曜日は休館日である。

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城址を巡る時は、「城郭放浪記」を参考にさせて貰っている。
非常に助かっている。
今回もっと真剣に読んで行くべきだった。
駐車場は前の舞鶴警察署の駐車場を使えばよいと記述してある。
真面目に50m離れた駐車場に止めてしまった!!!!!
1時間100円だが、値段の問題では無く気分の問題である。

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2014年12月27日 (土)

宮津・大手川ふれあい広場のガラシャの像!!!

宮津市、教会より川沿いにガラシャの像がある。
小さな公園である。

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2013年、細川忠興・ガラシャ生誕450年記念事業として、大手川ふれあい広場に、ガラシャの像が建立されたと言う。

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宮津城は、川の東側にあったので、像は東を向いているようだ。
細川護煕も来ている。
ガラシャは丹後の地に教会を建てかったようだ!
宮津は、丹後はガラシャに賭けているのか?????

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2014年12月26日 (金)

宮津・聖ヨハネ天主堂カトリック宮津教会 「現在の使用されている最古の教会」

宮津城の土塀の反対側に教会がある。
幼稚園も経営している???
奥さんが行きたがった。

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明治29年にフランス人神父によって建てられたロマネスク様式のカトリック教会と言う。
内部は靴を脱いで入る。
畳敷きである。

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中はクリスマスの飾りつけをやっていた。
教会前には女性の像がある。
これはガラシャでは無さそう・・・・・

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2014年12月24日 (水)

丹後・宮津城 ここはガラシャが売りなのか???

丹後・宮津城
宮津城の遺構は残っていないと言う。
細川幽斎・忠興親子の時代の宮津城は場所も特定できていなようだ。
現在の宮津駅北西部一帯に築かれていたようだ。
京極氏の時代に完成した城址は特定できているようだ。
川沿いには、城郭風の土塀が造られている。
宮津小学校には太鼓門が移設されている。
寂しい風景である・・・・・・・

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丹後・宮津城
京都府宮津市鶴賀

丹後・一色稲荷 忠興の謀殺!「長政の宇都宮鎮房の謀殺」

12月にブリしゃぶを食べに丹後宮津まで来ている。
食事後、宮津駅に行った。
駅前は雪が積み上げてある。

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丹後の元領主は名門一色氏!
なかなか従わなかったようだ。
この辺りは官兵衛の中津に通じる物がある。
当主の名前は色々言われているようで、実名は伝わっていないようだ。
宮津駅からすぐのところに一色稲荷がある。
道路沿いにある小さな稲荷神社である。

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そこに『一色義清自刃の碑』がある。
名前はよく分かっていないとある。
官兵衛と長政は宇都宮鎮房を謀殺した。
幽斎と忠興も一色義清を謀殺した。

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これは、「松本清張 逃亡者」「海音寺潮五郎 一色崩れ」が面白い!
細川家も後ろめたかったのか?
城郭内のこの地に鎮魂の社を存続させたと言う!
そう言えば中津にも城井神社があった!
長政が丹後から中津に変った時、城井神社を見て何か感じたのか????
一色稲荷も、光秀・幽斎・忠興・ガラシャが大河ドラマになれば観光客でにぎわうだろうと思う!
が当分無理なようだ!
次の戦国時代は真田である!
個人的偏見では、北条5代が見たいと思っている。
各地方自治体も大変である!

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一色稲荷
京都府宮津市字鶴賀


2014年12月22日 (月)

軍師官兵衛(第五十回)乱世ここに終わる

軍師官兵衛、終わりの時が来てしまった。
今日、12月21日が最終回である。
1年に渡るドラマが終わった・・・・・・・
主演の岡田准一さん、ご苦労さんでした!
九州と関ヶ原の戦いがある。
騎馬武者を沢山走らせていたのが、印象的であった。
九州は順調である。
次々と西軍の城を落して行く。
肥前佐賀の鍋島直茂も官兵衛に協力すると!
大変な兵力になる。
寄せ集めの兵である。
勝ち続けることが、勝ち続けなければ官兵衛の威信は保てない。

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関ヶ原の戦いがあるが、あっと言う間に終わった・・・・・・
三成一人で頑張っているが・・・・・・
小早川秀秋が裏切らない????
洞ヶ峠の順慶なのか?
形勢を見ている。
最初は西軍が押している!
これを見て、秀秋は迷う!
家康が焦る!
長政のととろへ使者を出す。
金吾は大丈夫か????
長政は言い返す。
「知った事か!裏切らなければ自分が攻め上がると!」
この場に及んで、そう言う事を言うなと言う事なんだろう・・・・・・・
家康は秀秋の陣に鉄砲を撃ちかける。
催促である。
これで勝負はあったのか?
時間が無いのは分かるが、これを見て誤解する人もいるだろうと思ってしまう。

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一方九州である。
誰しも関ヶ原が一日で終わるとは思っていなかった??
それが一日で終わってしまった・・・・・・
その連絡が来る。
官兵衛はやるせない。
机(?)をひっくり返す。
終わったと!
会津の上杉もこんなに早く終わるとは思っていない。
なので最上領へ侵攻している。
分かっていれば当然、小山から撤退の家康を追撃している!

家康は長政の手を取って礼を言う!
ここで有名な官兵衛が、左手は何をしていたのか?
何故家康を刺さなかったのかと!
本当かどうかわからないと思うが・・・・・・

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敗れた三成に対しての武将の態度がある。
司馬遼太郎、「関ヶ原」では、長政は最後の芝居を打つ。
後世によく思われるために。
羽織を三成にかけたようだ。
金吾中納言を怒鳴りつける場面は無かった・・・・・・

官兵衛、最後は静かに死ぬ!
長政に後継ぎが生まれる。
こうなると、糸が可哀想になるが・・・・・・

最後は大阪城落城になる。
後藤又兵衛が大阪城に入城している。
討ち死にする!

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二郎のブログを読んでいてくれた人達に、改めてありがとうと言いたい!
奥さんに言わせれば、独断と偏見のブログであるが・・・・・・
官兵衛の物語であるが、当然出て来るはずのキャラクターが出て来ない。
藤堂高虎、上杉景勝、直江兼続、伊達政宗、本多正信、島左近、細川ガラシャ・・・・・
出番が少なかったのが、前田利家、細川忠興・・・・・・
忠興は完全にミスキャスト!!!!
(と思っているファンは多いかも?)

軍師官兵衛のおかげで、九州は中津・別府・福岡、四国の一部、中国は備中、
近江木之本・長浜、尾張は清須・熱田、関ヶ原の各所、京都と回る事が出来た。
よく行ったと思うが、楽しい1年でした。
ドラマの本能寺以降は今一つ面白みに欠けたが、1年間楽しめました。
まだ名所・本はアップして行きたいと思います!!!!!!

ありがとうございました!

2014年12月20日 (土)

九州の関ヶ原、関ヶ原の合戦 紀行 目次 作成しました。

き関ヶ原の合戦 紀行記事の目次を作成しました。

サイドメニュー(ウェブページ)にも表示しています。

関ヶ原の合戦 紀行 目次

九州の関ヶ原 紀行  目次

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スマホからは目次の表示ができないようですweep

関ヶ原の合戦(35) 関ヶ原の史跡めぐり

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関が原の案内、クリックで拡大します

2日にかけて関が原、垂井町の史跡めぐりを行った。
9月下旬の初めに行ったので、合戦時と同じような気候と思う!
楽しく回れました。

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小早川秀秋の陣跡は、大谷吉継の陣から見た。
安国寺恵瓊、毛利秀元の陣は遠方より眺めただけである。
悔いが残るが、時間的にも余裕が無く、これで自己満足としたい!

付き合ってくれた奥さんには大感謝です!

しかし、関ヶ原町と垂井町では関ヶ原に対する思いが違ったようだ!!
ほとんどの戦った武将の陣は関ヶ原町にある。
垂井町にあるのは、戦っていない、戦えなかった武将達が主である。
これが、温度差に繋がっている。
関ヶ原町で売っている旗竿のリストには、垂井町の武将のは無い?
いや毛利のはあったと思うが・・・・・

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垂井町の案内

ともあれ特に道路から入る道には、旗竿が欲しい!

関ヶ原町、垂井町の観光課に感謝しています!
ありがとうございました!

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垂井町でいただいた半兵衛の漫画、ありがとうございました!



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関ヶ原の合戦(34) 垂井陣屋 竹中重門の城???

垂井陣屋 竹中重門の城???
垂井陣屋がある。
竹中半兵衛の息子の居城???

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重門は旗本となり家康に仕えた。
よってここは陣屋になった。
陣屋と言っても、小さな城の規模はあったようだ!

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幟も多くすぐに分かる!
観光客も多い!
門と堀と像がある。
駐車場もある。

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関ヶ原の合戦(33) 美濃垂井城 『平塚為広の城』

美濃垂井城 『平塚為広の城』
関ヶ原で討ち死にした平塚為広の城である。
関ヶ原前に居城としたので、ほとんどここには居なかったのではないか?

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12,000千石と少ないが、名うての戦上手と言う。
大谷吉継と共に戦う!
小早川秀秋の裏切りにより大谷隊は壊滅!
最後に辞世の句を読んで吉継に渡して死んだと言う!

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関ヶ原には、平塚為広の碑もある。
二郎は好きな武将である!
今回、大谷吉継の陣、墓、平塚為広の碑、城まで来れて嬉しかった!
奥さんに感謝か?????

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関ヶ原の合戦(32) 池田輝政陣跡

池田輝政陣跡
ここも案内は無い。
が、別の売り物がある。
その表識が目印になる。
『春王・安王の墓!』

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1441年、関東管領足利持氏の遺児、春王丸13歳、安王丸11歳が捕えられる。
京都への護送中、垂井町で斬られる。

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しかし11歳と13歳が辞世の句なんて残せるのか!
案内には辞世の句が記述してある。

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墓地の一角にある。
春王丸・安王丸の墓と並んで、池田輝政陣跡がある。
石碑と案内がある。

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池田輝政と言えば現姫路城の城主である。
池田恒興の息子である。
池田恒興は小牧長久手の戦いで長男と共に戦死。
輝政は、秀吉には優遇されていると思う。
秀次の妻妾は処刑されたが、正室の輝政の妹は助命された。

早くから旗幟は鮮明だったと思う。
家康の娘を貰っている。
関ヶ原では抑え役でたいした戦功も無いが、播磨を与えられる。
もっとも岐阜城の攻撃では、正則と先陣争いをしている。
美濃と播磨のどちらかと言われ、家臣は美濃を望んだが、東西の接点である美濃より播磨を選んだと言う!
正則は、はっきりと家康の娘を娶ったから出世しているのだと!
わしらは槍働きで国を取ったが、輝政は一物で国を取ったと、からかわれている!

ともあれ西国将軍との名もある。

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関ヶ原の合戦(31) 長宗我部盛親陣跡

長宗我部盛親陣跡
垂井町では、ここは唯一道路沿いに案内があった。
ホッとする。
3分ほど坂道を歩くと公園になる。
その一角に、案内がある。
ここも寂しい・・・・・・

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吉川広家の陣から回ってきて思ったが、長曽我部が戦闘に参加していたらどうなっていたが?
当然最初、戦端が切られてからすぐにだが・・・・・
兵は土佐兵である。
強い!
抑えと言っても、池田輝政と浅野幸長である。
そうなれば、毛利秀元も参戦したかも知れない。
そんな事を考えました!!!

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案内があるとは言っても駐車場なんかない。

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関ヶ原の合戦(30)長束正家陣跡

長束正家陣跡
ここも分からない!
案内も何もない!
頼りは、城郭放浪記である。
それに従いようやく見つけた。

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吉川広家と同じく、案内板だけである。
石碑も何もない。
が、道路に標識ぐらいは欲しい!

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安国寺恵瓊と同じく、戦力にはならない!
水口5万石の経済官僚である。
検地や兵糧の輸送、ロジェステックの力を発揮した。
合戦後、切腹する。
騙されたようだ!

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道路から入って行くが道を間違わなければ、案内まで車で行ける!


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関ヶ原の合戦(29) 安国寺恵瓊陣跡

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吉川広家の後ろに陣を構える。
果たして戦力になったのか?
ここは登山口と言うか、登り口がある。
がよく分からない!
真剣に探したのかと言われそう!

南宮神社の案内には、毛利秀元の陣だけはある。
他は無い・・・・・・
さみしくなる!!!!!

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関ヶ原の合戦(28) 吉川広家陣跡

吉川広家陣跡
この吉川広家の陣で気が付いた。
自治体の温度差を!!! ここまではと言うと、吉川広家の前までは、「関ヶ原町」である。
その中にある史跡はきっちりしている。
史跡の地図もあり、史跡には旗竿もはためいている。
分かり易い!

がここからは、「不破郡垂井町」である。
ここは竹中半兵衛で売っている!
何が言いたいかと言うと、陣跡の石碑が無いし、旗竿も無い!
案内板があるだけである。
寂しく・・・・・・・・
余程好きな人でなければ行かないのか??
「歴史と自然の町」
もう少し手をかけて欲しいが・・・・・・

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不破高校の横にある。
そこへ行く標識も無い。

関ヶ原の合戦では、この陣の後ろに毛利秀元が陣を構える。
安国寺恵瓊もいる。
長束正家、長曽我部盛親もいる。
皆毛利の動向を見ている。
が広家が兵を動かさない。
幾度となる催促に、弁当を食べている!「宰相殿の空弁当」
広家は信じていたのだろう・・・・・・・
兵を動かさないことが毛利の為だと!
恵瓊の言う通りやれば毛利は滅びると!

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合戦前から黒田長政を通じて家康に毛利本家の存続を求めた。
西軍の総大将は担ぎ出されたもので、輝元の本意ではない!
誓紙もある。
が本多忠勝、井伊直政のもので家康の物は無い。
結局毛利は改易となり、長門・周防の2か国は広家に与えられる。
広家は必死に毛利本家の存続を求め、岩国3万石を与えられるが、家臣扱いである。
関ヶ原の合戦時、毛利秀元は実際に関ヶ原にいた。
もし毛利の大軍が家康に襲いかかればどうなっていたか???
その思いが強いだけに、広家への当りは強かったようだ!
広家は甘んじて本家の処遇を受けたと言う!

幕末に吉川家は、幕府との交渉を行い、本家を助けたと言う!
広家も満足か?
広家の広は、偉大な先祖、大江広元の広を貰ったようだ!

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司馬遼太郎によれば、好き嫌いを表に出さない秀吉が、あからさまに嫌ったようだとの記述があった。
癇が強かったようだ!!!
殿中で浅野長政と殴り合いの喧嘩をしたようだ!
関ヶ原では、父では無く、叔父、小早川隆景の感覚で対応したと言う!

計数に明るい石田三成が言う。
家康が毛利をそのままにする訳は無い!
潰さなければ恩賞として与える土地が無い!
当たっていたようだ!!!

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関ヶ原の合戦(27) 桃配山 徳川家康最初の陣跡

関ヶ原の合戦、 桃配山 徳川家康最初の陣跡

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古い話である。
壬申の乱の時、吉野軍をを率いた、大海人皇子は、ここで近江軍と対峙した。
村人が山桃を献上した。
これを喜び、山桃を買い上げて兵に配ったと言う。
そして連戦連勝で勝利を収めた。
そしてこの辺りを、桃配山と呼ぶようになった。

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家康はこの故事を知っていて、ここに陣を構えたようだ!
家康が縁起をかつぐとは思えないが、兵はそうでは無い。
将たる者は、兵の気力にも気を配らなければならない!
そう言う事のようだ!

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ここは駐車場もある。

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旗竿も沢山ありよく分かる。
少し山(?)を上がるが、石碑の前に酒が供えられていた。
ここからも三成の陣が良く見えたのだろう。
近くに山内一豊の陣があり、浅野幸長、池田輝政の陣もある。
毛利は動かないと信じたのだろう!
毛利に襲いかかられればいちころと感じた!

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目の前に三成がいる。
そして小早川秀秋の陣も見える。
ここへ鉄砲を撃ちかけて、裏切りを催促する!
ここに3万と言う兵がいたようだが、全員野宿である。
糞尿も大変と思う。

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ここは複雑な陣である!

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関ヶ原の合戦(26) 山内一豊の陣跡

山内一豊の陣跡

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戦い後、土佐一国20万石を与えられる。
気前の良さに、本多正信も多過ぎると思った。
が家康は違った。
戦場の槍働きなんか誰でも出来る!
要は、家康に城を明け渡すと言った一言が大きかった!
東海道沿いの大名が、皆明け渡した。
これが大きい!
関ヶ原では何も働いていない。
調略した訳でもない!

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ただ与えられたのが土佐である。
ここに福島正則でも配置すれば、土佐の地侍たちと一緒になって何をしでかすか分からない!
郷士の扱いには苦労したようだ!
家康も人が悪い!

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関ヶ原の合戦(25) 床几場 徳川家康最後陣跡

関ヶ原の合戦、 床几場 徳川家康最後陣跡

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ここで家康は首実検をしたようだ。
案内の絵がそうであった。
皆お祝いを言いに来ていたのだろう・・・・・・・
もう余裕だったと思う。

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関ヶ原の合戦(24) 島津豊久の碑

島津豊久の碑

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島津義弘を救うべく、身代わりとなった豊久の墓がある。
墓には花が活けられている。
旧伊勢街道沿いにある。
道路沿いにあり、少し階段を上がったところにある。
当然島津の○に十である。

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この案内に、島津の撤退のルート図がある。
新しい!
島津隊ゆかりの道とある。

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花が新しい

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関ヶ原の合戦(23) 奥平貞治の碑

奥平貞治の碑
家康は小早川秀秋を監視する為に、奥平貞治を派遣している。
秀秋が裏切った時、先頭に立って大谷隊に襲いかかった。
最初は追い返されている。
その時に戦死したと言う!

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冒涜するわけではないが、なんでこれが史跡になるのか?
まして戦死したところよりは離れていると思うが・・・・・・
何かあるのだろう・・・・・・

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細い道を入って行かなければならない。
だいたい、奥平の姓は良く知っているが、貞治がどう言う武将かもよく分からない!
無理に訪問する必要は無さそう・・・・

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2014年12月19日 (金)

関ヶ原の合戦(22) 田中吉政陣跡

田中吉政陣跡
この名所案内で取り上げる武将の根拠は何かあるのか?

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田中吉政は帰農していたようだ。近江出身。
能力はあったんだろう。
ここまで来れたのだから・・・・・・
三成とは仲は悪くなかったようだ。
さっさと家康に乗り換えている。

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恐らく吉政の名前は、秀吉の吉を貰っている。
三成を捕えたようだ。
佐和山城の開城の話をぶち壊したのが、田中吉政と言う。
後に筑後柳川へ、加増移封される。

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関ヶ原の合戦(21) 脇坂安治陣跡 『裏切りの陣』

脇坂安治陣跡
大谷吉継の陣跡から少し足を伸ばすと、展望台がある。
この展望台から小早川秀秋の陣が見える。
その下に脇坂安治ら、4人の武将が配置されている。

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吉継が万が一の秀秋の裏切りを予想して配置した。
が、この武将達は秀秋の動きを注目している。
勝つ方に付く!
秀吉の恩義なんて関係ない。
脇坂安治は家康に通じていたようだ。
なので、播州龍野で存続出来た。

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藤堂高虎は好きではないが、それなりの評価は出来る。
がこの4人は嫌いである。
細川忠興は、戦いが決まってからの裏切りを許さなかったと言う!
官兵衛なら、そんなものだと思うかも知れないが・・・・・・・

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2014年12月18日 (木)

関ヶ原の合戦⑳  平塚為広の碑

平塚為広の碑 潲
大谷吉継の与力に当たる。
合戦時は、戸田重政と共に奮戦した。
兵は多くないが、名うての戦上手と言う。

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碑が子孫によって建立された。
道路沿いにある。

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今回の官兵衛巡りで、播磨上月城の攻防戦に登場していた。
帰参する為に戦いに参加していた。

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関ヶ原の合戦⑲  南天満山 宇喜多秀家陣跡

南天満山、宇喜多秀家陣跡
小西行長の陣からも行ける。
反対側から行った。
道が合っているのか不安になった。
二郎一人だった。

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宇喜多秀家は奮戦した。
福島正則と激戦を演じた。
秀吉が取りたてた、養子のうち、秀家だけが養父の期待に応えたようだ!
関ヶ原で戦った武将のうち、誰よりも長命だったと言う!
薩摩に保護されて八丈島に流される。
八丈島で、流れ着いた船に酒を無心したようだ。
この相手が福島正則の家臣と言うのも何かの因縁か・・・・・
家臣は酒を与えた。

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それを正則に報告した。正則は褒めたようだ!
陣跡は神社なっているが、さみしい処である・・・・・・

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行く途中に、クマに注意とあった。
どう注意するのか????
教えて欲しいが・・・・・・

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関ヶ原の合戦⑱  松尾山を見る(小早川秀秋の陣)

松尾山を見る(小早川秀秋の陣)
展望台になっていて、ここから案内図で小早川秀秋の陣が分かる。
あまり気分は良くない。
かなり距離はある。
麓に、秀秋の押さえとして脇坂安治らを配置していた。
ものの見事に、一緒に裏切る。
メチャメチャ気分が悪い!

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小早川秀秋の陣には行けないだろう。
時間的に余裕が無い!
言い訳である!
大谷吉継の陣からの眺めで我慢しよう・・・・・・

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関ヶ原の合戦⑰  大谷吉継陣跡

大谷吉継陣跡

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当時はどうだったのか分からないが、陣跡からは木が生い茂って何も見えない!
宇喜多秀家の陣からも見えなかったが・・・・・
無念であっただろうと思う!
らいで病んでいなかったと思うが・・・・・・・

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関ヶ原で戦死した際も大物なのかも知れない。
三成などは落ち延びている。
平塚為広、戸田重政らを従えて奮戦した。
関ヶ原における人間の醜さの中で、紅一点と言うべき爽やかさである。
墓にも参れて満足できました!

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関ヶ原の合戦⑯  大谷吉継の墓(湯浅五助)

湯浅五助と並んで大谷吉継の墓がある。

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少しビックリしたが、新しい花が活けてあった。
訪れる人も多そう!
爽やかにと言ったら言葉は悪いが、この人間関係の中でホッとする武将である。
最後の時、家臣たちに落ち延びよと命じたが、皆吉継に殉じたようだ!
忠実な家臣、湯浅五助に首を渡すなと命じる。
その時、旧知の藤堂家家臣、藤堂仁右衛門に出会う。
湯浅五助は主君の首のありかを言ってくれるなと言って討たれる。

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藤堂仁右衛門は約束を守った。
家康の陣で大谷吉継はどうなったかと言う話が出た。
家康が、湯浅五助ほどの武将が主君の最後を見届けないはずはない!
と言って湯浅五助を討った藤堂仁右衛門が呼ばれた。
が藤堂仁右衛門は、知っているがたとえ死を命じられても言えない!
吉継のらいに爛れた首を見せたくない、と言う気持ちは分かる!!!
家康は藤堂仁右衛門を許した。
後に高虎は加増したようだ。
この墓を建てたのが、藤堂高虎と言う!
藤堂高虎は、生涯自慢話をしなかったと言う!
嫌ってばかりいても仕方がないが、今一好きになれない!

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今年中には、敦賀城にも行ってみたい。
ついでに越前の戸田重政の城址にも行きたいと思う!
この主従の事を聞くとホッとする!

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少し文句がある!
道路から標識があり、mが記述されているが、近づいているのにmが増えている!

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関ヶ原の合戦⑮  東首塚

関ヶ原の合戦、東首塚

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松平忠吉・井伊直政陣跡の横に、東首塚がある。

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西と東と2ヶ所に埋葬したと言う。
朱色の門を抜けるとスダジイの大木がそびえたつ。

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首を洗った井戸がある。

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関ヶ原の合戦⑭  松平忠吉・井伊直政陣跡

松平忠吉・井伊直政陣跡
この陣からは三成の陣が見通せる。

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井伊直政は政治も出来るようだ。
家康の相談相手でもある。「本多正信とは違う意味で・・・・」
徳川の天下取りの戦いである。
先陣は徳川が切らなければならない!
と言うことで、忠吉と抜け駆けする。
最初に発砲したようだ!

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島津追撃で負傷する。
三成亡き後の佐和山を治める。
本多忠勝、榊原康政より多い石高である。

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関ヶ原の合戦⑬  本多忠勝陣跡

本多忠勝陣跡

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徳川四天王の一人である。
歴戦の勇士である。
秀吉が引き抜こうとしたようだ。

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関ヶ原では表にそれほど出て来ていない。
軍監として裏方に徹している。
天下取りのために、功名は捨てている????

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関ヶ原の合戦⑫  西首塚

関ヶ原の西首塚

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道路沿いにある。

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竹中重門が、家康の命により兵士たちを埋葬した地である。
現在は小さいが、当時は相当な規模だったと言う。
千手観音と馬頭観音が安置されている。

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各武将の旗竿がはためいていた!

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首塚は西と東がある。
奥さんが面白い事を言った。
西は西軍の兵士の為か???
区別なんて出来ないと思うが・・・・・・
この兵の死体を片付けたのは誰なんだろう???

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関ヶ原の合戦⑪  福島正則陣跡

福島正則陣跡

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福島正則が先鋒を努める。
戦意は旺盛である。
敵は、宇喜多秀家!
これも戦意が高い!
激戦である。

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宇喜多秀家17000に、正則6000と言う。
宇喜多勢は高名な明石全登が前線にいる。
この時、宇喜多秀家は家中が乱れて、大物の家臣が出て行っていた。
戦力が落ちていたと言う。
精鋭とは言い難かったようだ。
福島正則は元気だ!
三成憎しで固まっている。

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正則を東軍に引き入れたのが、黒田長政と言う!
陣跡には、樹齢800年と言う「月見の宮大杉」がそびえたっている。

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関ヶ原の合戦⑩  藤堂高虎・京極高知陣跡 

藤堂高虎・京極高知陣跡 
大好きな藤堂高虎である。
次は家康と思い、そうなるような動きをした。
何度も言うが、司馬遼太郎も罪な事をした。
司馬遼太郎の好みが伝染している。
二郎なんか、凄く影響を受けている。

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戦いより、その前の調略で活躍している。
大活躍である。
調略される側も、家康の信任が篤い事も知っている。

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ここは学校の中にあると聞いていた。
が学校が工事中だった。
どうも移転しているようだった。
案内が新しいのがあり分かった。
何故京極高知と並んでいるのかよく分からない。

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関ヶ原の合戦⑨  北天満山 小西行長陣跡

北天満山 小西行長陣跡

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この人も良く分からない人である。
キリシタンで有名である。
関ヶ原には六千の兵を連れて来ている。
家臣は良く知らない。

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石田、大谷、宇喜多は良く戦っていたが、小西隊はどうなのか?
司馬遼太郎、関ヶ原でもほとんど活躍しない。

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関ヶ原の合戦⑧  島津義弘陣跡

島津義弘陣跡

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兵としては最も強かったか???
1000名の兵しか連れて来ていない。
はじめは東軍に付く予定だったようだ。
が西軍に付いた。

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百戦錬磨である。
三成ごときの実戦の経験なんて、歯牙にもかけないだろう。
献策した作戦は三成に無視される。

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戦いが終わった後に、島津の戦いが始まる。
的中突破である。
これを見たら、死兵と言うのがわかる。
後藤又兵衛なんかは、手を出すなと言ったようだ。
見逃せと!
が徳川譜代、井伊直政は追撃する。
そして負傷する!

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この敵中突破にちなみ、面白い事をやっている。
鹿児島県日置市の青少年団が、『関ヶ原戦跡踏破隊』を組織し、
毎年夏休みを利用して、関ヶ原から大阪までの島津勢退路を踏破しているようだ。
メチャメチャ面白いし、よい事と思うが・・・・・

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関ヶ原の合戦⑦  開戦地

関ヶ原の合戦、開戦地

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決戦の霧が薄くなった朝、先鋒の福島正則が満を持している!
が徳川四天王の一人、井伊直政は先陣を切るのは徳川家でなければならないと思う!
その為に、松平忠吉と抜け駆けする。
が福祉正則の家臣、可児才蔵に見つかる。
言い訳して、誤魔化して通ったようだ。

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相手は宇喜多秀家隊!
戦意はある!

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関ヶ原の合戦⑥  細川忠興陣跡

細川忠興陣跡。
もっとよく分かるように幟を立てて欲しい。
川沿いの公園の中にある?
ここまで行くのが大変である。

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九曜紋が目に付く!!

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黒田長政と並び石田三成の前に、陣を構える。
細川忠興の忠は、織田信忠の忠を貰っている。
期待されていたのだろう!
関ヶ原本戦で忠興は、首級を136上げたとされる。
相手が石田隊なので評価される。

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関ヶ原の合戦⑤  岡山(丸山)烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡

岡山(丸山)烽火場 黒田長政・竹中重門陣跡
今回は良く調べたので間違いなく行けた。
道路上から陣が見える。

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岡山(丸山)烽火場にあり、金毘羅神社がある。
ここは、家康、三成と並ぶ大きさの幟がある。

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駐車場に車を停めて、竹林の中を歩いて上がる。
観光客は多い。

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一望できるが、三成の陣は木の加減で見えない。
見ていて楽しい。
小早川秀秋の陣も分かった!

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長政は三成と激戦を演じた。
後に黒田家中でこの時の嶋左近の話になり、どういういでたちだった?
皆言う事が違う!
そこで石田家に仕えていた者がいたので確認した。
誰も合っていない。
それほどの激戦であり、必死で戦っていたので覚えていなかったようだ!
もっとも激しい戦いが、ここだったんだろう!
裏切りで勝敗が決まりかけたら、皆三成隊の前に戦功を求めて集まって来たようだ!

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関ヶ原の合戦④  決戦地

関ヶ原、決戦地

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この戦いの一番手柄は、何と言っても家康と三成の首である。
小早川秀秋の裏切りにより、諸将は三成の前に群がってきている。
ここが最激戦地になってしまった・・・・・

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彼岸花が咲くころだった。


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関ヶ原の合戦③ 関ヶ原笹尾山交流館

関ヶ原笹尾山交流館、土産物屋さんである。

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ここに説明があった。
石田三成の幟にある
『大一・大吉・大万』
一人が万民のために
万民は一人のために尽くせば
天下の人々は幸福(吉)になれる。
と言う意味だそうだ!

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色々見ていて欲しくなった物がある。
嬉しそうに買ってしまった。
旗竿!!

『大一・大吉・大万』

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何処に飾るのか?
石田三成のファンとしては大満足である!!!!!

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プチ幟、パソコンのそばに置いている。
バックの官兵衛の手ぬぐいは奥さんの福岡のお友達にいただいた。が、向きが逆さだ! すいません!


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関ヶ原の合戦② 笹尾山 石田三成 陣跡

笹尾山 石田三成 陣跡、ここが目玉である。

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よく整備されている。

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車のフロントガラスに手描きの地図がある。

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石田三成の幟がバックシートにある。

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前衛に、嶋左近・蒲生郷舎を配置している。

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島左近の陣跡

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登っていく。

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ここは関ヶ原を一望できる。

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三成の前には、黒田長政・細川忠興と言う戦いだけでは無い、調略も出来る大物が陣取っている。
両者とも三成を嫌っている。

ボランティアで武者の恰好をしている男女がいた。
女性が積極的に案内していた。

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竹矢来、馬防柵が再現されている。
嶋左近の旗竿もあった。
まともに見るのは初めてである。
雰囲気的には申し分ない。

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関ヶ原の合戦① 関ヶ原町歴史民俗資料館

関ヶ原には20年ほど前に来ている。
奥さんに言わせれば、相当嬉しそうな顔をしていたようだ。
が奥さんは、肩が重いと!
武者の亡霊がのっている????????????
二郎は軽い軽い!!!

今回本戦の放送前に来てみたかった。
まずは歴史民俗資料館から始める。

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ここで案内の地図と資料を貰った。
1階が関ヶ原の合戦である。
兜等見ていて楽しい。

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ここで知ったが、関ヶ原の歌がある。
明智光秀、備中高松城の水攻めの唄、九州の関ヶ原・石垣原合戦の唄と見て来た。
当然あってもよい歌である。
YOUTUBEで検索すれば出てきました。
個人的偏見であるが、こういう歌はやはり「島津亜矢」で聞きたい!

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2階が特別展で、官兵衛・半兵衛の2代目、長政と重門の展示だった。
合戦の屏風絵があったが65,000円!
チョッと手が出ない!
ここから各地の史跡を巡ろう・・・・・

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二郎は石田三成のファンだ。

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2014年12月16日 (火)

九州の関ヶ原(28) 筑後久留米城 有馬記念は久留米城主の子孫・・・・・

とうとう久留米まで来てしまった。
この後、佐賀城、柳川城、江上・八院の戦いまで行き来たかったが時間切れである。
年内に来れるようであれば来てみたい!!!!

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関ヶ原の合戦時は、小早川秀包が城主である。
毛利元就の実子であり、隆景の養子である。
小早川秀包は西軍に付く。
九州征伐後、隆景が名島城主になった時、筑後3郡7万5千石を領した。天正15年に久留米城を築き居城とした。
関ヶ原の合戦では、良く戦ったようだ。
が肝心の関ヶ原では、秀秋の内応や吉川広家・毛利秀元の日和見行為により西軍が敗れる。
その後大津城を撤退して大坂城に帰還する。
この時、官兵衛が九州の関ヶ原を戦っていて、久留米城は官兵衛、鍋島直茂率いる37,000の軍に攻撃を受けていた。
城中には宿老桂広繁、白井景俊以下わずか500の兵しか残っていなかったが、数日城は持ちこたえた後、両人は開城勧告に応じた。

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そう言う話は案内には無かった・・・・・・・
筑後は、田中吉政が柳川に35万石で入ったが、改易。
久留米城は柳川城の支城となっていた。
1621年、丹波福知山城主有馬豊氏が21万石で封じられた。
幕府の御墨付きを獲た豊氏は隣国筑前黒田家の助力も得、筑後の要の城に相応しく、大規模に城を拡張した。
以後、明治維新まで久留米は西国の大藩である有馬氏の居城となった。
有馬氏は摂津の出身か?
久留米で久留米有馬氏が始まる。

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有馬氏が造った城と言ってよいので、城址としては案内は有馬氏で良いのか?????
なんとなく割り切れないが・・・・・・・
相当な城だったようだ。
堀、石垣を見ても分かる。
場内には篠山神社がある。

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「有馬記念」は、有馬氏から取っている名前のようだ!
15代当主有馬頼寧は、大正・昭和期に活動した政治家であり、農政・教育・社会事業やスポーツに携わる。
日本中央競馬会、第2代理事長としてファン投票による出走馬の選定という当時前代未聞の画期的な選抜方法を考案し、
「有馬記念」にその名を残している。
面白い話である!

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九州の関ヶ原(27)宇佐神宮

奥さんのたっての希望で宇佐神宮にも寄った。

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今年になって、伊勢神宮・出雲大社・宇佐神宮と訪れて、最後は大宰府天満宮へと行く
感心するほどよく行っている。
「自己満足の世界である」

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そんなに参拝客は多くない!
本宮へ行くのに、外宮から行ってしまった・・・・・

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外宮

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2014年12月15日 (月)

九州の関ヶ原(26) 豊後臼杵

佐伯から臼杵へ回った。
ここは城下町風に街造りをしている。
武家屋敷も有り、堀に鯉が泳いでいる。
八坂神社がある。
静かな町と感じた!
城下町を演出している。

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1595年、福原長堯が城主である。三成の親戚とも言う。
関ヶ原の合戦時は、太田一吉が城主である。
九州の関ヶ原では、病と称して動かなかったが、子が西軍に付いていた。
よって改易され、稲葉貞道が入り、幕末を迎える。5万石と言う。
一鉄と言い、「一徹者」の語源とも言われる。
斉藤利三の元主君で、光秀と利三を争う。
これが本能寺の変につながる?????
との意見もある。

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城址は公園となっていてそれなりに整理されている。

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公園内に面白い物を見つけた。
ここで徐福伝説に会うとはビックリである。
『不老不死の霊薬天台烏薬』

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この地に自生しているのを、徐福一行が発見した?????
伝説としておきたい。
多分案内の横にある木がそうなんだろう・・・・・
誰でも持って帰れる!
本当にそうなのか?

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九州の関ヶ原(25) 豊後佐伯城 日本最後の山城???

岡城から佐伯城に行った。
山城である。
紋がある。

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黄色い上着を着たボランティアの人達がいた。
植木、草の整備をしていた。

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門を見ているとおじさんが声をかけてくれた。
「お城ですか?」
親切にいろいろ説明してくれた。
こう言う熱意ある人と会えるのは嬉しい。
上まではよう行かないと言った。
地元の高校野球の選手は20分で上まで駆け上がるそうだ!
若さが羨ましい!

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門のところで、門が階段になっていない。
坂道である。
敵が来た時、ここで油などを流して入って来れないようにすると???

城の模型があると言うので案内してくれた。
良く出来ている!
相当広い城である。
最後の山城と言う!
再建したら面白いと思うが・・・・・・・

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1601年、豊後日隈城より、2万石で毛利高政が入封し、八幡山に1602年から1606年にかけて築城される。
天守は江戸時代初期1617年に失火で焼失。
ガイドさんは、落雷と言っていた。

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毛利は初め「森」と言っていた。
備中高松で講和後毛利に人質になる。
その時に、毛利輝元に気に入られ、毛利の姓を貰ったと言う!
ガイドさんは、貰わねば殺すと言われたと言っていた。

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平成の大合併で、佐伯市・上浦町・弥生町・本匠町・宇目町・直川村・鶴見町・
米水津村・蒲江町が一緒になり、佐伯市になった。

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楽しく観光出来ました!
ボランティアのおじさん、ありがとうございました!

佐伯城
大分県佐伯市西谷

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九州の関ヶ原(24) 豊後岡城で思った事!

関ヶ原の合戦時、中川秀成は豊後岡城7万石ではじめ西軍に属する。
が途中で裏切る???
中川秀成は、あの高名な中川清秀の息子である。
血は争えぬのか?
親父は荒木村重を売った???
息子も裏切ったおかげで、本領安堵になる!
官兵衛も殺したいとは思わなかったのか????

ここの案内には裏切ったことを記述していない。
飛ばしている!
何か割り切れない!

坂を上がって城址に行くが、荒城の月の歌詞を書いている壁がある。
その前に自動販売機を置いている。
竹田市は滝廉太郎で売っている。
チョッと考えて欲しい!

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人物で言えば、広瀬武夫も出身である。

それに城址で仮設の販売所がある。
がここもブルーの養生シートで見るからに仮設である。
撤去した方が良い!

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トイレが整備されたところなのか、非常にきれいだった。
ウオッシュレットも完備されている!

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少し考えました!

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九州の関ヶ原(22) 豊後岡城 

豊後 岡城。
フェリーで大分には6時半に着いた。
そのまま竹田市岡城址に行った。
8時前には着いてしまった・・・・・・
学生時代に一度来ている。その時は駅から歩いた・・・・・・・
当然駐車場にはお客さんはいない。

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城址に行くには入場料がかかる。
が係員もいないし、料金所も閉まっている。
サアどうする?
考える事も無い!
レッツゴー!!!

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階段も整備されてい。
石垣も整備されている。
いたるところに標識と案内がある。
嬉しい!!!!
岡城の絵もある。天守もあり相当な広さと思う・・・・・・

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滝廉太郎の像もある。

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本丸跡には神社がある。岡城天満神社!

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回っていて、但馬竹田城を思い出した!
何となく似ている????
ここも『恋人の聖地』で売り出せばよいのに??????????

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駐車場に戻ると、草木の整備をする人が沢山いた。
料金所も開いていた。
来た時閉まっていたので勝手に上ったと!
そこまで言えば金を払いに来たのは分かる。
おばさんが、よろしいでしょうか?
と聞いてくれたので、一人300円を支払った!
世の為人の為に!
充分に堪能しました!

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豊後 岡城
大分県竹田市竹田提灯谷

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2014年12月14日 (日)

九州の関ヶ原(21)豊前 豊前時枝城

豊前時枝城 、道路沿いにある。
自治体の温度差がある。幟も何もない。

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豊後高田城は豊後高田市。
豊前高森城、豊前時枝城は宇佐市!
どちらも他に売る物があるのか、熱意は無い!

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道路を挟んで、陣屋と城址がある。
九州征伐では、官兵衛に従い功があった。
石垣原の合戦でも活躍したようだ。
陣の後の名所もあった。

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土豪でもあり、独立していたが、官兵衛の中津時代に家臣になる。
そうでなければ生き残れない。
又兵衛と同じで、官兵衛には心酔したが、長政とは今一だったようだ。
福岡移封後、干されたようだ!

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豊前時枝城
大分県宇佐市下時枝

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九州の関ヶ原⑳ 豊前 豊前高森城

豊前高森城
幟も何もない。
道路沿いに小さな標識があった。

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注意しなければ分からい。
城山神社のところにある。

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訪れる人も少ない神社であろう・・・・・
沢カニがいた。
少しビックリ!
蚊に大分噛まれた。刺されたか?

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石垣原の合戦時、官兵衛はこの城から出陣したようだ。

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豊前高森城
大分県宇佐市高森字本丸

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九州の関ヶ原⑲ 豊後 豊後高田城

高田城址は石垣が残っている。
豊後高田市は冷ややかである。
官兵衛は関係ない。
九州の関ヶ原時、城主は竹中半兵衛の従兄弟である。
官兵衛に説得されて東軍に付く。
そういう話もある。
もう少し熱意が欲しい!
公民館に上がって行く階段のとこが石垣で、案内もある。
その公民館で、豊後高田城の事を聞いたがおじさんは知らないと!

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播州御着城、近江木之本の官兵衛にかけている熱意から程遠かった!
豊後高田市は官兵衛にかけていない!
幟は欲しかった!

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豊後高田城
大分県豊後高田市玉津字本丸

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九州の関ヶ原⑱ 豊後 富来城

富来城
国東市は嬉しい!
官兵衛に燃えている。

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幟も多い。
富来城は、公園になっている。城山子供公園。
狭い道路沿いにある。
幟が多いのですぐに分かった。

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富来城主垣見和泉守家純(岐阜大垣城戦死)
垣見理右衛門
関ヶ原の戦い西軍方富来城代 真田十勇士筧十蔵縁者 慶長五(1600)年

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ちょっとビックリした。
ここまでやるかと言う感じ。
しかし嬉しい!
筧十蔵の縁者?

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面白みを感じた!
富来城主垣見和泉守家純は、大垣城で殺されたようだ。
垣見理右衛門が開城したようだ!

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石の祠が傾いていた・・・・・・

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富来城
大分県国東市国東町富来浦


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九州の関ヶ原⑰ 豊後 九州の関ヶ原 吉弘城

吉弘城は、山城である。はじめから無理と思っていた。
幟が多い。
城を目指していると、幟がある。
楽庭八幡神社である。

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「軍師官兵衛 吉弘嘉兵衛 統幸 ゆかりの地」

吉弘統幸は石垣原の合戦で活躍した。
官兵衛の敵であるが・・・・
それを過ぎると、標識がある。
1,6kmとある。

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行けるとこまで行こうと思った。
距離が近くなる。
250mとの標識があった。
がどうも曲がるようだった。
そのまま真っ直ぐ行き、ひと山越えて向こう側についた。
情けない!

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吉弘城
大分県国東市武蔵町吉広字西ヶ谷

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九州の関ヶ原⑯ 豊後 九州の関ヶ原 安岐城

安岐城 、天満宮のところにある。
幟が立っているのですぐに分かる。
この幟が嬉しい!!!

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安岐城主熊谷内蔵助直陳「石田三成娘婿」(岐阜大垣城戦死)
熊谷外記
関ヶ原の戦い西軍方安岐城代 慶長五(1600)年

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初めて見る。
ここは昔町だったんだろう。
平成の合併で合併したと思う。
何も無いといえば何もない。
熊谷内蔵助直陳は、三成の身内になる。

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安岐城
大分県国東市安岐町下原字古城

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九州の関ヶ原⑮ 豊後 杵築城

杵築城 、杵築は細川忠興の飛び地である。

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松井康之が城を守る。
はじめは木付と言っていたようだ。
官兵衛の時代はそうみい。
徳川の時代に、幕府が杵築と間違いそれが名前になった。
幟がある。

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大河ドラマ 「軍師官兵衛」 ゆかりの地
杵築城の戦い
九州の関ヶ原「石垣原の戦い」前哨戦

駐車場があり、階段を上がって行く。
それらしい造りである。

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上がれば、寄付だろうが、石仏が沢山ある。

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模擬天守閣である。やはり綺麗に整備されている。
中には入らなかった。

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ここは激しい攻防戦があったようだ。
落城寸前までいったようだ。

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杵築城
大分県杵築市大字杵築16番地1

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九州の関ヶ原⑭ 豊後 吉弘嘉兵衛統幸陣所跡

吉弘嘉兵衛統幸陣所跡

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大友義統・宗像掃部・吉弘統幸の陣を回ったことになる。
朝見川断層崖の上にある天然の要害と言う。
吉弘統幸は衰退する大友家に珊瑚まで忠誠を尽くしたと言う。

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ここも駐車場は無い。
全部駐車場は無いと言ってよいだろう!
吉弘神社だけはあったと思うが・・・・・
これで案内の名所は一応全部回ったことになる。
良かったです!

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九州の関ヶ原⑬ 豊後 海雲寺

海雲寺、天満天神宮の近くにある。

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大友義統は合戦後、官兵衛の降服勧告に応じ、この寺で剃髪したと言う。
そして、妹婿である母里太兵衛に伴われ官兵衛のもとに降りた。

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映画・ホビット 決戦のゆくえ

「ホビット 決戦のゆくえ」
待ちに待った映画である。
第3作で最終章である。
「決戦のゆくえ」とあるのが期待させる。
物語は前作の続きであり「当たり前であるが・・・・」、竜が町を襲う!
総督も財宝を持って逃げる。
竜が火を吐き、町は焦土と化す!
人間のバルドが戦う。
弓の名手である。
かって竜退治に失敗している???
黒い矢を放つ!
この弓の場面は無理がある・・・・・・
あっけなく竜は仕留められる!
もう少し持たせるかと思ったが・・・・・
ただ竜が落ちてゆく時、想像通りの結果となったのには笑ってしまったが・・・・・・

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竜が死んだのは、はなれ山にあるドワーフの故郷エレボール奪還を果たした、トーリンからも見える。
トーリンは人が変わる。
財宝を自分の物にしようとする。
が竜が死んだ事が分かれば、財宝目当てに欲張った人々が群がってくる。
町を焼かれたバルド達もエレボールを目指す。
すでに動いている大物がいる。
闇の森のエルフの王、スランドゥイルがすでに兵を率いて来ている。
私の財宝と言う!
トーリンも自分の財宝と思っている。
バルドが仲介に入る。
バルドは町の再建の金が欲しい!微々たるものである・・・・・・
が戦いになる。
エルフの軍が見応えがある。
美しいと言うべきなのか?

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一方ガンダルフが苦しめられている。
冥王サウロンが復活する?????
捕らわれの身になっているが、
ガラドリエル・エルロンド・白のサルマンが助けに入る。
サルマン役の、クリストファーリーはもう92歳である。
流石戦いの場面はスタウトマンと思うが、よくやっている。
サウロンはわしに任せろ!
ロード・オヴ・リングでは、サウロンにつくが・・・・・・
ケイト・ブランシェットが、恐ろしい顔つきで演技する。

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エレボールで戦いが始まる。
トーリンは、ドワーフを舐めるなと言う!
突如として地中から軍が現われる。
敵かと思ったらドワーフだった。
エルフと戦いが始まろうとするときに、トーリンの宿敵アゾグが現われる。
エルフ・ドワーフ・人間がオークと戦う!
エレボールの攻防戦になる。
ビルボは一人、自分の信念に従って戦っている。
壮大な戦いがあり、レゴラスとタウリエルが参戦する。
北方から別のエルフが攻撃してくる。
これを迎え撃つのが、大鷲達である!
熊に変身する、ビヨルンも参戦している。
嬉しい事に、茶色のラダガストも参戦する。
大鷲の背中に乗っている。
ホッとする場面である。

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そうしてトーリンとアゾグの戦いになる。
タウリエルはドワーフのキーリを失う!
スランドゥイル、王自ら剣をふるって戦う!
これが意外な事に強い!
あまりのエルフの死傷者に王は引き上げる。
レゴラスとタウリエルはアゾクとの戦いに参戦する。
『エルロンドも救援に来るかと思ったが・・・・・・・』
今回は、エルフ・ドワーフ・人間が勝つ!
が冥王サウロンの影がちらつく。
60年後に、ロード・オヴ・リングの場面になる。
レゴラスは王の元から出て行く。
王にある人物に会うように言われる!
懐かしい名前である。ファンであれば想像が付く!

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気になる事が一つある。
あの財宝はどうなるのか?
ドワーフの物になるのか?
又争いになるのか?
それに、「アーケン石」はどうなったのか???
映画は期待通りの出来栄えであり、面白かった!
2時間半があっと言う間である!

スピンオフとして、出て行ったレゴラスとタウリエルとがストライダーと共に戦うドラマはどうだろうか?
無理だろうだな!


2014年12月13日 (土)

九州の関ヶ原⑫ 豊後 宗像掃部墓・本村天満天神宮

宗像掃部墓がある、本村天満天神宮 。

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うらびれた、天満天神宮である。
整備も今一である。

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ここに墓がある。
五輪塔が安置されている。

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九州の関ヶ原⑪ 豊後 大友義統本陣跡

大友義統本陣跡。
立石砦に本陣を構え、右翼に吉弘統幸、左翼に宗像掃部と、鶴翼に陣をとった。
6時間に及び戦闘の末、敗れた。

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天満天神宮への道筋に碑はある。

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ここは面白い碑があった。
石垣原合戦 大友本陣の歌!!!!!
YouTubeでも無かった・・・・・
当然か????

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もう一つあった。
壁に 『大友本陣 守る会』
頑張って下さい。

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九州の関ヶ原⑩ 豊後 宗像掃部鎮続陣所跡

宗像掃部鎮続陣所跡。

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宗像掃部は大友氏の旧臣で、石垣原合戦が行われた当時は中川秀成(豊後岡城主)に属していた。
旧主、大友義統が旧領回復をかけて豊後に帰国するとこれに従った。
吉弘統幸、田原紹忍ら有能な家臣は多かったようだが。
が大友義統の優柔不断さに悩まされたようだ。
西か東の選択は難しいと思うが・・・・・

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ここは工事中で、行くのに苦労した。

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九州の関ヶ原⑨ 豊後 宝泉寺

宝泉寺、吉弘統幸の菩提寺である。

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官兵衛から吉弘統幸の埋葬と追善供養を申し受けた、東嶽和尚が、村人たちと丁寧に葬ったようだ。

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ここは幟が外に無い。
寺内にある。
外からでは分からない!

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九州の関ヶ原⑧ 豊後 吉弘神社

吉弘神社。

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吉弘統幸は元大友家の家臣である。
関ヶ原の合戦時、東軍に付くべきと進言したが受け入れられなかった。
黒田方からも称賛されたようだ。
この石垣原の合戦での、名所には吉弘統幸が多い。
ここも幟のおかげですぐに分かった。

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ここは面白い幟があった。
築上町の幟である。
宇都宮鎮房
ここまで遠征して来ているのか?

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九州の関ヶ原⑦ 豊後 実相寺山『細川陣所跡』

実相寺山『細川陣所跡』

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細川忠興は西軍である。
杵築城は、忠興の飛び地として与えられた。
忠興自身が現地を巡察し、黒田孝高と会談し、来たるべき紛争への対応を協議した。
家臣の松井康之が官兵衛に協力している。
実相寺に布陣したようだ。

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この山頂には、今は豪華な寺がある。
黄金の仏像がある!

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九州の関ヶ原⑥ 豊後 犬の馬場『時枝兵太夫陣所跡』

犬の馬場 『時枝兵太夫陣所跡』
道路沿いにある。幟で分かった。

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官兵衛に属する、豊前宇佐時枝城主の陣所跡。
この辺り、実相寺と角殿山の中間付近は、「犬の馬場(いんのばば)」
と呼ばれていたようだ。

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祠があるが、傾いている。
誰か直さないのかな?

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案内は無かった。
時枝城へはこの後行くつもりである。

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2014年12月12日 (金)

九州の関ヶ原⑤ 豊後 角殿山『黒田本陣跡石碑』

角殿山、黒田本陣跡石碑
ここも幟が立っている。

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公園の隅に碑がある。
新しい碑である。

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昭和45年 市指定とある。
石碑は昭和45年ではないだろう。
黒田先発隊の、井上九郎左衛門と野村市右衛門が、ここに布陣して本隊が到着する前に、大友軍を敗走させたようだ。

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九州の関ヶ原④ 豊後 七ツ石広場

次に回ったのは、七ツ石広場。
ここも道路沿いである。
駐車場は無い。
神社になっている。

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大友に参加した吉弘統幸が、大石の上に立ち、最後の力を振り絞って槍を振るったという伝説が残っている。

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統幸は 「今はこれまで」と、血刀を杖に家来共々を引き連れて、七ツ石をあとに石垣原付近まで登り、別府湾上を昇り来る月を眺めながら辞世の句を詠んで自刃した。
吉弘統幸は吉弘城もある。

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400年豊後を支配した、大友氏の支配が完全に終わったようだ。

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九州の関ヶ原③ 豊後 石垣原古戦場跡の碑

まず「石垣原古戦場跡の碑」に行った。
ホームページで探した地図が大活躍した。
おかげでスムーズに回れた。
道路沿いにある。

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民家の道路側の一部を使っている感じがした。
ここに碑があるのは何か意味があるのか?

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ここは幟で分かった。
幟がメチャメチャ役に立った。
『石垣原合戦』の幟である。

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殉節の烈士の碑もあった。
当然駐車場なんてない。

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九州の関ヶ原② 豊前豊後の大名・武将達!

関ヶ原前の配置は下記のようだ。
豊前の国
黒田長政:中津12万石。1587年から1600年。関ヶ原後福岡52万石に移封。
毛利勝永小倉6万石。1587年から1600年。関ヶ原後改易。

豊後の国
大友義統:豊後1国。1587年から1593年。秀吉に改易されて石垣原の戦いを起す?
中川秀成:豊後岡城7万石。1594年から1600年。所領安堵。
太田一吉:豊後臼杵6万5千石。1594年から1600年。関ヶ原後改易。
福原長堯:豊後府内12万石→6万石。1597年から1600年。関ヶ原後自刃。
三成の従兄弟と言う。大垣城に入城し関ヶ原後裏切られる。
早川長政:豊後府内→杵築2万石。1594年から1600年。関ヶ原後改易。
毛利高政:豊後国内2万石。1594年から1600年。関ヶ原後豊後佐伯へ2万石で移封。
垣見一直:豊後富来2万石。1594年 - 1600年。関ヶ原後、大垣城にて殺害される。
熊谷直盛:豊後安岐1万5千石。1594年 - 1600年。関ヶ原後、大垣城にて殺害される。
三成の妹婿にあたる。
竹中重利:豊後高田1万3千石。1594年 - 1600年。関ヶ原後、豊後府内で2万石。
竹中半兵衛の従兄弟。
木村清久:豊後国内1万石。1594年 - 1600年。関ヶ原後改易。
松井康之:豊後杵築、細川忠興の飛び地。

ほとんど西軍である。
九州は西軍が多い。
東軍は加藤清正と、官兵衛ぐらいか?

西軍には三成の関係者もいる。
これにかっての大友の名のある武将が参加する。
大友家再興の願いをかけている武将が大く集まる。
大友が官兵衛に付いていればどうなったか?
所領安堵されたのは裏切っている武将である。
裏切ったのは理由はあるにしろ、あまり気分は良くない。
家康が勝ってから、上手く立ち回った???

とりあえず回れるところは回ろう・・・・・

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九州の関ヶ原① 豊前・豊後 JR別府駅

九州の関ヶ原の名所を回ってみた。
別府駅に着いてみれば、ここも官兵衛にかけている。

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それだけの材料はある。
官兵衛が西の関ヶ原で活躍しなければ、話題にもならないが・・・・・

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駅には観光客が多い。
駅前におどけた像がある。
ピカピカのおじさん!
レスリーかと思った?????

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2014年12月10日 (水)

本・戦国武将はイケメンがお好き?・渡邊大門

群雄が割拠し、戦に明け暮れた乱世。男だらけの戦場で、重宝されたのが戦国版デリヘル、出張サービスだ。売春婦集団は、各地に遠征する。宣教師ルイス・フロイスも目を丸くした、戦国時代の下半身事情。お姫様は政略結婚の道具にされ、敗北した領地の女性は容赦なく敵に犯された。猛将たちが美少年の尻ばかりを追いかけ、処女の純潔など少しも重んじられなかった、そんな世の中であった。

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本の題名が悪い。
なにか誤解されるような題名である。
要は戦国時代の性事情を記述している。
読んでいて思うが、今も昔も性事情は変わらない・・・・・

尼???
寺でも売春がある。
女が一人で出歩く。旅をする。
襲われることも多いと言う。
ルイス・フロイスの報告書がある。
ヨーロッパは処女性を重要視する。
が日本は関係ない。やりたい放題なのか?
戦国時代の法令集に、妻以外とみだらに交わってはならない。
と言う事は、それが多かったんだろう・・・・・・・
日常茶飯事だった堕胎や子供殺し!

性病の治療法もある。
男性性器の治療法がある。病状により対処方法が違う。
「蝦蟇とウサギの糞を同僚ずつ採取して搗き、盛り上がったおできに散布する」
そういう薬が沢山ある。
果たして効くのか?

足利義満の愛妾。
遊女であり、性のテクニックにより義満を籠絡したと言う。

戦いの後は、女、子供は慰み者にされる。
又、戦利品として売買されたりする。
そういう事例が沢山ある。
イケメンの問題では無さそう。
日本人の特性にかかわる話である。

最後に男色の話がある。
上杉謙信、武田信玄、伊達政宗、家康等の例がある。
信玄のラヴレターまで残っている。
うかつに手紙は残せない・・・・・
面白い本ではあるが、戦国も現在もあまり変わらないと思った!

本・牢人たちの戦国時代・渡邊大門

戦国時代、武将が戦いに敗れると、仕える武士たちは牢人となった。牢人には、真田幸村、山本勘助、後藤又兵衛などもいたが、多くは、名前を知られることもない武士たちである。主家を失い、「非正規身分」となった武士たちは、どう生きたのか。勝者の歴史に埋もれた敗者の「その後」を、丹念な史料の読み解きから、鮮やかに描きだす。

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牢人?
浪人?
最初に読んで思ったのは、関ヶ原の合戦後の牢人達である。
西軍に付き改易されられる。
宇喜多秀家、長曽我部盛親、真田昌幸等がいるが、許されると思っていたようだ。
立花宗茂は筑後柳川に復帰できた。
要は、負けた方は死ねと言う事みたい!
その牢人の希望は豊臣秀頼になる。

源平時代から戦国時代になる。
この頃から牢人は迷惑な存在だったようだ。
戦国時代は大量に牢人が増える。
牢人自体が悪なのか?
危険視されていたようだ。
秀吉の牢人追放令がある。
新たに町人、百姓にはなれない。
田畑を耕さないものは追放。
主人に断わりも無く新たな仕官先に移れない。
後藤又兵衛が当てはまる。

朝鮮半島出兵から関ヶ原になろ。
宇喜多秀家は合戦前に家中がガタガタになる。
よく言われる、宇喜多秀家位の兵は精鋭か?
吉川広家が、宇喜多軍を評して「まとまりが無くバラバラ」
かなり牢人を雇い入れていたようだ・・・・・・

牢人達を上手く使ったのが、黒田官兵衛。
九州の関ヶ原は、銭で雇ったとは言え、牢人達で戦った。

減封されたが、家臣を追い払わなかった、上杉と毛利!
牢人をあまり出していない・・・・・

関ヶ原の合戦後、牢人達の希望は大阪城になる。
ここにはキリシタン達も多く入城した。
大好きな、明石全登である。
他にもいる。
忠興の息子、興秋。
毛利勝永、氏家行広、石川数正の息子の康長・康勝、織田頼長、塙団右衛門、薄田兼相。
と言う顔ぶれがいる。
記述されていなかったが、大谷吉継の息子、増田長盛の息子らもいる。
司馬遼太郎、城塞にはもっといろいろと名前が出て来る。
変ったところでは宮本武蔵がいる。
関ヶ原、大阪の陣、天草の乱と参戦しているようだ。
全て牢人であるようだ。
武蔵自身が、どちら側で参戦したのか喋っていない様だ!
天草の乱は、幕府側である。
牢人もキリシタンなので、幕府側での参戦が多かったようだ・・・・・・

幕府は徹底的に大阪牢人を追及したようだ。

あえて牢人となった例をあげている。
嶋左近に山本勘介である。
実力があれば再仕官も可能か?
とは言え、後藤又兵衛の例もある。

牢人の悲惨な生活例として、映画「切腹」「一命」をあげている。
同じ滝口康彦の原作だが、どちらも面白い!

本・信長政権・・・本能寺の変にその正体を見る・渡邊 大門

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか?
異説・新説が飛び交い、いまだ論争が絶えない「本能寺の変」。光秀の性格はむしろ信長に似ていた?
四国出兵は長宗我部氏討伐が目的ではなかった?
信長は天皇を蔑ろにしていたわけではない?
将軍・足利義昭の黒幕説は成り立たない?
史料を真摯にひもときながら、日本史永遠の謎を改めて検証。あわせて織田政権の実像を浮き彫りにする。

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著者の本は何冊か読んでいる。
今回も面白かった。
最近信長について、谷口克広・渡邊大門・藤田達生と続けさまに読んでいる。
全部面白い!

旧来の信長像は「中世的権威を否定」した超人的な人物として描かれてきた。
政策、将軍や朝廷なども含めて「革新性」が強調され、彼らに代わる権力・権威
として天下統一を図ろうとしたように考えられもした。
そして自ら神になろうとしたのか?

明智光秀から始まる。
光秀のイメージがある。
やはり文献を調べている。感心する。
出自から分からない。
教養人であり、どちらかと言うと弱弱しいイメージがある。
そんな事は無いだろう。
信長に仕えて破格の出世をしている。

最近本命視されている、四国問題がある。
初めの取次は光秀である。長宗我部と親しい。
が信長の四国政策が変更になり、信孝が四国征伐に赴く。
それにより光秀が著しい不利益を被った分けではない。
光秀が信長から遠ざけられたわけではない。
そういうのは二次資料が多いと言う。
あまり記録として残っていない。
四国問題は光秀の立場を悪くしたわけでもなく、秀吉との対立があった分けではないと言う。

家臣・諸大名との関係がある。

荒木村重の謀叛。
十分な事前協議と総合的判断と言う。家臣は兵糧を本願寺に入れ、中川清秀が謀叛を勧めた・・・・・・・
そうではないようだ!
別所長治の謀叛。
やはり総合的に考えて毛利が有利と判断した結果と言う。
毛利の外交、足利義昭の働きかけがあった。『安国寺恵瓊か?』

家臣の能力による整理、粛清。
佐久間信盛は、本願寺包囲中、毎日のように茶会を開いていたと言う。『津田宗及の茶会記』
そんな話は知らなかった。
信長は総合的に判断して、もう使えないと判断した。
しかし昔の恨みも持ち出している。
早く追いだしたいのを我慢していたのか?

黒幕説の代表。
朝廷と足利義昭!
朝廷とは対立していたのか?
どうもそうでは無さそう!
改元問題、暦、三職推任問題、譲位の問題等はあるが・・・・・・

足利義昭黒幕説。
そもそも光秀は義昭を評価していたのか?
していたとは思えない。
学者・作家の思い込み、言葉尻を取っていて都合よく判断する。
そういう物ではなく、本能寺の変は、光秀なりの勝算があって起こしたものと言う。
『そう思う。黒幕に操られた等言うのであれば、信長も光秀も浮かばれない!』

最後に本能寺の変がある。
ここで斉藤利三が出て来るが大きな扱いではない。
言い尽くされている、細川幽斎・忠興、筒井順慶の動向がある。
幽斎宛ての書状は哀願に近い物と言う。
光秀なりの成算はあったと思う。
しかしそれは織田家の武将達が京都にいない空白の時、
柴田勝家VS北陸で上杉。
滝川一益VS関東で北条。
羽柴秀吉VS備中で毛利。

織田信忠は京都、丹羽長秀は大阪。徳川家康は堺か?
単にこの空白時の、時間がありその間に何とかすと言うのが、光秀の成算なのか?
その時間も上手く利用しているとは言い難い!
光秀はまず来るのは、織田家武闘派の巣窟、柴田勝家北国軍団と思っていたようだ。
なので、秀満を近江の方へ派遣している。
鈴木眞哉と思うが、信じられない秀吉の幸運により光秀の目算は狂った。
と言うのが正解か?

著者は、谷口克広・藤田達生らの引用も多い。
上手くまとめている。
面白い本です!

フェスティバルホールの案内!フジコ・ヘミング&スロヴァキア国立放送交響楽団

奥さんが悩んでいる。
悩んでいる???
悩んでいるのならもう少し暗い顔をしているのではないか?
嬉しそうな顔と言ったほうが良い。
「清家信也&スロヴァキア国立放送交響楽団の浜松公演に行ってきた」
楽団の人は感激しているようだ。
そりゃ差し入れまでしている。
代表で渡したメンバーからメールが入った。
奥さんはメンバーとは会わずに帰ってきているので
お礼と、10日のフェスティバルホールの案内である。
「イングリット・フジコ・ヘミング&スロヴァキア国立放送交響楽団!」
是非に来て欲しいと!
サア奥さんは大変!
もう行く気満々なのは見ていて分かる。
がこの時期、皆予定がありお連れがいない!
それに英語に自信が無い???
度胸はあるが・・・・・・
こんな機会は絶対にない!
スロヴァキア国立放送交響楽団が日本に今度いつ来るか分からない!
当然行くべきと思うが・・・・・・・
なんやかんやと言っても行くのは間違いない!
これは必然なのだ!

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2014年12月 8日 (月)

本・謎とき 東北の関ヶ原 上杉景勝と伊達政宗・渡邊大門

歴史モノのキラー・コンテンツのひとつ「関ケ原の戦い」。本書では、上杉景勝と、そのライバル伊達政宗という東北の二人の大名を中心に、関ケ原の謎と俗説を、ひとつひとつ解き明かしていく。情報戦、腹の探り合い、裏切り、アリバイ工作―。数多くの史料を丹念に読み解くことで見えてきたのは、人間味溢れる大名たちの姿だった!

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最近著者の本はよく読む。
戦国時代の著書が多い。
通説を見直している。他の研究者も参考にしている。
上杉景勝と言うなら直江兼続である。
関ヶ原で果たした役割は多い!
関ヶ原前後の状況から記述されている。
上杉討伐が始まる。
上杉の出自から記述されている。
上杉も、山内・扇谷・宅間・犬懸とある。
謙信が継いだ上杉は山内である。
その長尾家から、景勝と景虎の対立から越後の領国支配がある。
景勝は秀吉に臣従する事により地位を保つ。
秀吉政権下では、越後45万石、佐渡14万石、出羽庄内三郡14万石、
信濃北四郡18万石の約90万石が支配下にある。
ここまでになり、会津蒲生氏郷亡き後、会津120万石へ移動となる。
越後には堀氏が入る。
がこの時上杉は越後の年貢を持って行ったとある。
これにより堀氏は上杉に恨みを持つ。
他の本でだが、先に蒲生氏が会津の年貢を持って行った。
ので上杉も持って行ったとあるが、この本ではそに記述は無かった。

上杉討伐までの出来事を検証している。
なかなか面白い!

通説を見直している。
三成と家康の対立。
そういう中で大谷吉継の動きも記述されている。
矛盾しているのか?
上杉討伐が始まる。
上杉の藤田信吉が裏切る!
栗田刑部と上杉を出奔するが、栗田刑部は討ち取られたとある。
が実際は生き残ったようでもある。
通説を検証する。
その中で、小山評定はあったのか???
書状の日付から判断すると矛盾が出て来る。
こうなると何を信じればよいのか?

有名な直江状がある。
これは本当なのか?
本書は残っていない。
数多くの写しが残っている。
追而書が有名である。
『会津へ家康が来るなら、上杉も待っているので雌雄を決したい!』
と言う意味になる。
写しにはこの追而書は書かれていない。
書かれているのは、軍記物と一部の書状と言う。
実際どうなのか?
直江状は本物のようだが、追而書は後世の付け加えられたようだ!
ただ上杉の気分としては、直江状の通りだったんだろう・・・・・・

最後は東北の関ヶ原になる。
伊達政宗と最上義光が上杉の敵である。
三成挙兵を聞き、家康は小山から引き返す。
兼続は徳川追撃を主張したと言う!
が、これも書かれている資料が悪いようだ!
信用出来ない様だが、この追撃の話はあったと信じたい!
著者の本は最近よく読む。
検証も、自身と他の研究者を合わせて記述している。
面白かったです!

本・黒田官兵衛・長政の野望 もう一つの関ヶ原・渡邊大門

関ヶ原合戦。武将たちは、戦いの直前までどの軍に与するのかに苦悩していた。軍師伝説を検証することで明らかになってきた黒田官兵衛・長政の暗躍の事実。関ヶ原合戦に賭けたふたりの知られざる野望に迫る。
稀代の「軍師伝説」を検証し、黒田父子の暗闘の真実に迫る。

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著者の本も何冊か読んでいる。
押しつけがましくなく、面白く読める。
出自は何処か?
近江・木之本か?
播磨・黒田庄か?

どちらも行ったが、熱の入れように差を感じた。
木之本は「軍師 官兵衛」にかけていた。
地元の人の熱気を感じた。交通機関も確かである。
西脇荘厳寺は、展示場は無人だった。
交通の便も悪い。
著者言うには、いずれも「帯に短し襷に長し」か?
本書の内容は下記の通りである。
①   秀吉没後の政局    黒田氏台頭の契機
②   九州の情勢変化    黒田氏と大友吉統
③   関ヶ原合戦      長政の活躍と苦悩
④   九州における関ヶ原  官兵衛、最後の賭け

秀吉の没後から始まる。
官兵衛は吉川広家をかっていたようだ。
著者は三成襲撃の七将を、藤堂高虎、蜂須賀家政としている。
加藤嘉明、池田輝政ではない。
秀吉没後は知っていることがほとんどである。

そして九州の情勢になる。
大友宗麟の息子、吉統が記述されている。
どちらか言うと、出来の悪い息子であり、大友家を衰退させた張本人と言う。
果たしてそうなのか?
九州攻めの前に、島津に領国を提示する。
それによると、九州攻め後の、薩摩・大隅の二か国から見ればよいと思うが・・・・・
この時、大友吉統はかなりよい!
豊後一国、肥後半国、豊前半国、筑後一国とある。
肥前一国は、毛利輝元。筑前一国は直轄領。
残りが島津とある。
もし島津が戦わなかったら、官兵衛は豊前6郡は貰えない。
面白いイフと思うが・・・・・
ともあれ島津は戦うが、降伏する!
九州攻めにも活躍したのだろう。
結局大友吉統は豊後一国になる。
豊前に入国した官兵衛は、中津に城を築く。
天守は無かったようだ。
ここで一揆にあい、苦労する。
肥後の一揆、宇都宮鎮房の成敗。
朝鮮出兵があり、大友吉統はヘマをして改易される。

そうして西の関ヶ原に突入する。
本戦は長政が大活躍する。
地方版、九州の関ヶ原の主役は官兵衛である。
本戦での長政の活躍が記述されている。
特に福島正則を東軍へに引きみ!
吉川広家を通じて毛利輝元を戦わせない!
細川忠興と並んで石田三成の陣の前に陣取った。
まともに西軍で戦ったのは石田三成に大谷吉継、宇喜多秀家か?
嶋左近と相当激しい戦いをやったようだ。

長政は広家の為にも、毛利家を残そうとしたが上手くいかない。
三成が、毛利家を削らなければ恩賞の土地が無いと言ったようだ。
その通りになった。
結果として騙された!
広家は毛利家から恨まれた。関ヶ原にいた毛利秀元。
実際に戦いを見ているだけに、もし毛利が戦いに参加していたらと言う気持ちが強い!
それだけに広家に対しての当たりは強かったと言う。
甘んじて広家はそれを受けたようだ。
恵瓊だけ悪者には出来ないと思うが・・・・・

この状況下で、大友吉統が旧領回復の為に豊後に上陸する。
西軍に付く。
この辺りは、「滝口康彦 西の関ヶ原」が詳しく面白い!
官兵衛の本当の狙いは?
やはり九州で切り取り放題として貰いたかったのか?
策士なのか?博打打なのか?
中国をも攻めようとする。
この辺は何が真実なのか分からないが・・・・・
ともあれ九州の諸城を落とし、島津攻めまで行こうとするが、家康に止められる。

長政の遺言状がある。
関ヶ原時、西軍に味方すとなれば、福島正則・加藤清正・藤堂高虎・浅野幸長らを寝がえさせることも出来た。
それ以外の大名も味方する。
要は自分と官兵衛のおかげで家康は天下を取れた。
と言いたいのか?
官兵衛は加藤清正・鍋島直茂を従えて攻め上がれば、10万の兵力となる。
どちらも自信家である!
長政は、筑前一国か、四国で二ヶ国かを選ぶように言われて、筑前を取った。
実収は100万石とも言う・・・・・・
官兵衛は加増を断ったようだ。
今更家康に恩を被りたくないと言う事なのか?
野望は、野望で終わったようだ!

軍師官兵衛(第四十九回)如水最後の勝負

関ヶ原に突入する。
味気ないドラマになってしまった。
緊張感も迫力も無くなってしまった・・・・・・・
本編の関ヶ原が、いよいよ始まる。
長政が動き回っている。
小早川秀秋、吉川広家を調略している。
三成も動き回っている。
秀秋に関白を約束する。
エサをチラつかしている・・・・・・
このまま本戦に入るのだろう・・・・・
西軍は、石田三成・大谷吉継・小西行長・宇喜多秀家がメインである。
他は登場しない??
毛利の陣へ三成が行く。
が広家が無視する。
恵瓊が悩んでいるようだ・・・・・
実際に広家が動かなかったので、毛利本軍に恵瓊、長曽我部盛親、長束正家が動けなかったようだ。

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関ヶ原には9月に行っている。
実際に三成・長政・広家らの陣を回っている。
距離もだいたい実感している。
この戦場では、歩いて行くか馬である。
戦国武将も体力がいる。
しかし毛利の陣まで行くのは無理なのではないか?
三成と広家の間に、東軍がうじゃうじゃいる!
今週から、関ヶ原と九州の関ヶ原の名所案内をアップする予定である。
どちらも9月に行っている・・・・
関ヶ原の名所では温度差を感じた。
関ヶ原町と垂井町にまたがっている。
両町で協力すればよいと思うが、関ヶ原町の方が旗竿もあり熱心である。
それに比べて、垂井町の広家・恵瓊等の陣は分かり難い。
旗竿も無く、案内板一枚である。
探すのに苦労した・・・・・・

関ヶ原の陣では東軍が物見を出す。
西軍の兵力がいくらか?
10万と言う・・・・・
これに黒田の物見が出る。
毛屋主水!
黒田二十四騎の一人である。
渡り歩いている。柴田勝家・前田利家・池田恒興・佐々成政と仕え、
佐々成政が肥後で改易された時、黒田家に仕える。
蒲生氏郷に1万石で誘われるが、朝鮮出兵前なので断る。
無事に帰れたらお願いする。
が長政が許さなかったようだ。ここら辺は長政と言い、忠興と言い面白いが・・・・・
2万から3万と言う!
要は戦う気がある兵の数である。
実際その通りだったが・・・・・・
長政が家康の為に毛屋主水を物見に出したようだが・・・・・・
ドラマでも実際でも三成は開戦前に戦場を動いている。
可哀想になってくるが・・・・・・
三成の前に黒田長政と細川忠興が配置されている。
両者共やる気満々である!
来週はこの戦いの場面になるのだろう・・・・・・・

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九州では官兵衛が動いている。
天下取りの野望に燃えている?????
官兵衛ほどの人物である。
先は読めていたのではないかと思うが・・・・・・
いかに官兵衛の智謀がさえているとはいえ、人材に差がある。
徳川250万石と、中津18万石である。
差があり過ぎると思うが・・・・・
もう石垣原の戦いも終わった。
来週は選挙報道で最終回は21日である。

名所案内は石垣原である。言っているだけに懐かしい??
来週は関ヶ原か???

2014年12月 7日 (日)

映画・THE LAST NARUTO THE MOVIE

THE LAST 、久しぶりのナルトである。
奥さんが興奮している。
その前にテレビ特別編というか、外伝的なドラマを放映している。
奥さんが当然のことながら録画している。
しつこく見て行けと言われた。
「ヒナタ」と妹の「ハナビ」の物語である。
従兄弟の「ネジ」も登場する。
ヒナタは宗家の跡取として生まれた。
がやさしい性格である。
非常になれない。
才能はどうなんだろうか・・・・・・・
妹に組手で負ける!
がハナビはヒナタの事が大好きである。

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ヒナタと言えば、「ナルト君!」
の絶唱バージョンがあった。これは面白かった。
声優も大変である。
作者の解説もあった。
この映画はナルトとヒナタの愛の物語である。
ナルトの連載の終わりはどうなるのかと奥さんと話していた。
二郎は奥さんに言った。
ナルトとヒナタが結婚する。
サスケは山へ修行に行く。それをサクラが追いかける。
そう言う話で終わって欲しいと思っていた。

作者も言っていたが登場人物は成長している。
顔も身体も変わっている。
ナルトも大きくなり、シュートカットになっている。
サクラも大人の色気がある。
火影は綱手が引退してカカシである。
写輪眼も無くしての火影は辛いのではないか?
カカシの秘書みたいな女性がいる。
誰だかは分からない!
奥さん曰く、自来也が亡くなり暗号解読をシカマルと一緒にしていた女性???
違うような感じがする!
ともあれカカシも勘だけ働いている感じ!

物語は日向の頭領が狙われる場面から始まる。
ヒナタの子供の頃からのナルトの思いがつづられる・・・・・・・
好きで好きたまらない。
他の同期はみんなヒナタの思いが分かっている。
リーとシノはどうかな?
そしてヒナタはマフラーを編む。ナルトの為に!
この時のヒナタの服装は女性を感じさせる!
妹のハナビがさらわれる。
日向の白眼がターゲットである。
最終のねらいは、ヒナタである。
ヒナタにはカグヤのチャクラが入っている。

現在はナルトが英雄である。忍界大戦での活躍が知れ渡っている。
モテモテである。
祭りに沢山プレゼントされる。
ヒナタは出来上がったマフラーをナルトに渡したい!
状況が分かっているさくらがヒナタを応援する。
ナルト達は一楽のラーメン屋でラーメンを食べている。
この時マフラーをしているが、ラーメン屋までファンが来る。
その時ナルトはマフラーを外す。
そこへひヒナタが来るが、ファンがいる前では渡せない。
サクラが気を使う!
が渡せない!
そうしてナルトにマフラーを渡そうとするが、ナルトがマフラーをしているのでよう渡さない!
それから物語は急展開する。
カカシの命令で、シカマル・サイ・サクラ・ナルト・ヒナタがハナビの捜索に出る。
シカマルが長である。なかなかさまになっている・・・・・・
ここからがややこしい!
月が地球に落ちて来る。
このままだと地球に衝突する。
「大筒木トネリ???」
大筒木カグヤの子孫である。
そんなもの出すなと言いたいが・・・・・・
ナルトVSトネリ???
スピーディーに展開する。
雷影は月を破壊しようとする。
この辺りは、五影が登場してのやり取りになる。
今回は敵を(?)を倒すが、ナルトとヒナタの協働のチャクラの力で倒す!
ついでに言うと、戦いの時のヒナタの服装は今一である!

ヒナタがナルトに聞く。
そのマフラーは誰に貰ったの?
返事を聞いて納得する。
アカデミーの時、地球最後の時誰と居たいか?
ヒナタは書く。「うずまきナルトくん」
最後にようやくナルトが気づく。
サクラ言う、「鈍感!」
二郎だったらとっくにヒナタに走っているが・・・・・・

エンディングのスタッフの字幕の時に、ナルトとヒナタの結婚式の場面である。
映画は爽やかに終わった!
皆席を立たない。
何か特典映像でもあるのか?
待ちきれずに出てしまったが・・・・・・
ラストとあるがラストでは当然ない。
次は、「ラストはkの物語の為の序章に過ぎない?」
作者も大変だろうと思う!
面白い映画でした!!!

2014年12月 5日 (金)

神戸ルミナリエが始まるゾ!!! 12月4日 ~11月15日

今年もルミナリエが始まる。
年々要領よくなって来ている感じがする。
開催日も早くなっている。

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昔はタコ焼き屋が多かったと思ったが、見かけない!
牛串の店が多いと感じた。
ルミナリエ公式グッズとある。
神戸市も銭儲けに走っている?????
この費用の一部を捻出しているのだろうと思うが・・・・・・・・
寄付も募っていた。

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今年は、朱色と緑色が目立った!
人通りは昔ほど多く無い。
交通整理の人が、さかんに右側通行を叫んでいた。
市役所もトイレを提供しているようだ。
来年もあるだろう・・・・・・・・
神戸の三宮なんて小さなところである。
来年も見に行こう!!!

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今三宮に住んでいる。
のでいろんな行事に出会う。
選挙の演説も三宮・元町が多い。
二郎にとって(と言うより奥さんもだが・・・・・)住みやすい所である!
感謝感謝です!

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2014年12月 4日 (木)

「お客さま感謝の集い・辛坊治郎」に参加して

12月3日(水)某大手銀行の講演会があった。
これに行かないかと銀行の担当者に誘われた。
『辛坊治郎』である!
これは行かなければならない!

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何を喋るのかは知らないが・・・・・・
「お客さま感謝の集い」
銀行の会議室で講演会を行う。流石大銀行である。会議室も素晴らしい・・・・・・
180人と言うが、少しこれよりは少なそうだった。
この講演会の為に銀行の係員が沢山動員されている。
地域の支店長も来ている。十何人いる。
会議室までちゃんと案内してくれる。
偉いさんがずらっと並んでいる。
この年末に暇なんかと思うが・・・・・・
それとも余裕があるのか?

1時間半の講演である。
『日本はこれからどうなるのか?分からない!』
特別なテーマは無い。
自身の経験を面白く喋っている。
「そこまで言って委員会」なんかやるもんではない!命がいくらあっても足らない!
脅迫・嫌がらせの手紙・電話が沢山来るようだ。
名前を書いていない。余計に腹が立つようだが・・・・・・
嫌がらせも面白い。辛坊治郎の子供が出来たと家まで来る!
マア言われても仕方がないと思うが・・・・・

広島の裁判がある。
過去の例を出す。
かって犯罪は個人だけが悪いのではない!
社会も問題がある!
なので罪は軽い方である。
それに根拠も無く出獄させる。
それで再犯を、殺人を犯す!
これに広島の事件の弁護士を批判した人がいる。
弁護士も反論していたが、舐めているとしか思えなかったが・・・・・・
これを言った番組を訴える。生放送でないのはそう言う編集をしているからと・・・・・・
この時思ったが、弁護士なんてなるもんじゃないと!
批判した人は今何しているか?
どうも大阪市長のようだが・・・・・・・

太平洋戦争の日本の飛行機!
高性能を誇る二式大艇と、戦争末期の極地戦闘機・紫電改!
日本とアメリカの情報の差がある。川西の担当者が言う!
B29の空襲に、紫電改が迎える。
陸軍は四式戦闘機・疾風がある。
兵庫県に、この紫電改の工場があった。
アメリカは何処を狙えば良いか知っている。
二式大艇の工場は攻撃せず、紫電改の工場を狙ったようだ!
つまりどこの工場を狙えば良いかアメリカは知っていた。
紫電改の工場は今鳴尾の阪神の2軍の練習場である。
この技術の後継者、新明和工業が作った飛行艇、US2がある。
これに辛坊治郎は遭難時助けられたようだ・・・・・・

自動ブレーキを車につける。
これを日本は15年前に研究している。
がこれを役所は認めない。
月日は流れれて自動ブレーキを付けなければならないようになった。
が日本は遅れた。
自動ブレーキとは前の車が止まれば同じように止まる。
この実験をやる時、ある役所が怒った。
ハンドルから手を放している。
舐めとんか?逮捕するぞ!
実権にならない!
利権の構造が出来ている。
それを犯そうとする勢力は排除されるようだ!
この話は納得できる!
いかに政治家の能力が無いのかの例である!

これからは長生きが問題になる。
その例をあげている。
平均寿命の考え方がある。
例えば平均寿命が80歳と言う事は、今生まれた赤ちゃんが生きれる年数を言う。
今70歳の人はあと10年ではない。
もっと生きれる。
10年以内に人間の臓器はIPS細胞でできるようになる。
山中先生の意見と言う。

現在はお札を刷って景気対策をしている。
お札を刷る速度を落せば、地方銀行は危なくなる。
大きい銀行は?????
円安であるが、原油が下がっているので影響が現在少ない!

ガン告知がある。告知をして同意を求める。
今はそう言う事をやる!
ここはガンでも簡単に死なないと言う事を言いたいようだ!

辛坊治郎は年内株価は上がると言い続けた!
その通りになった。
私の言う事を信じて儲けた人も沢山いる?????
実際、自分自身そこまで信じていなかったが・・・・・・・
笑わせるが・・・・・・・

しかしどこかで調整が入るはず!
その為にはどうするのか?
『信用できる金融機関に相談する事と言う!』
『これが今日のテーマなのか?????』

日本の国がしっかりしているのは、国民がしっかりしているからである。
納税者がチャンと税金を納めてくれるから国がしっかりしている。
特に皆さんのような高額納税者がいるから成り立っている???
別に二郎は高額納税者ではないが、そう言う雰囲気の人も沢山いるみたい・・・・・・

福島原発での吉田調書。
ウソをついたのは菅直人元総理!
余程恨みがある????

辛坊治郎も慣れたものである!
面白く聞けました!

軍師官兵衛(番外編⑩秀吉の家臣)秀吉の晩年は寂しかった??

秀吉は出身が出身なので、元からの家臣に恵まれない。譜代の家臣がいない。
のし上がっていくにつれて優秀な家臣が欲しいがそんなにいない。
他家の家臣に手を出す。
家康の重臣、石川数正。本多忠勝。
大友宗麟の家臣、高橋紹雲立花宗茂
島津の新納忠元。
伊達の片倉小十郎。
直江兼続も手を出されている。
もっといるだろう・・・・・・
例えば秀吉自ら、家臣にの領土を主君に命じて決める場合がある。
直江兼続もそうであるし、細川家家臣・松井康之、島津家家臣・伊集院幸侃、堀家の堀監物らがいる。
自分の手足となる有望な人がいない。
半兵衛、秀長、小六と亡くなってからは余計にそう感じるが・・・・・・
動かす兵が多くなる。
秀吉一人で指揮出来ない。
軍監が必要になる。
これに人がいない。

四国攻めは官兵衛が軍監を勤めている。
九州攻めがある。
官兵衛は隆景らと侵攻している。
仙石秀久は、先の四国征伐の功で讃岐高松10万石の領主となっていた。
官兵衛はまだ中津18万石を貰っていない。
九州攻めでは軍監を努めた。
戸次川の戦いがある。12月12日 (旧暦)早朝、戸次川を挟んで両軍が対峙した。
島津戦法の「釣り野伏せ」に誘われ、仙石勢は遁走。
軍監、仙石秀久は諸将の軍を差し自領の讃岐へ逃げ帰る。
四国勢は長曽我部元親・信親親子がいる。
四国を制覇した実力者である。
仙石秀久はコンプレックスがあったのだろう。
元親の言う事を聞かなかったようだ!

尾藤知宣が仙石政秀の後の軍監を努める。
根白坂の戦いがある。長篠の合戦のようだと言われている。
豊臣軍は8万、島津軍は3万5000。
島津軍では大将の島津義弘が自ら前線に立って戦ったようだ。
豊臣軍は宮部継潤らを中心にした1万の軍勢で堅守。
秀長の本隊が救援にきたが、軍監の尾藤知宣は救援は不可能。
島津の軍に当たるべからずと秀長に進言し、秀長は救援の中止を受け入れた。
しかし、秀長麾下の藤堂高虎に、小早川・黒田勢が挟撃をしかけたため、島津軍は敗走。(尾藤はこの時の消極的な姿勢を秀吉に責められ、追放。後に処刑された)

こうなると家臣には恵まれていないのかと思ってしまう!
たまたま秀吉の出世と共に、家臣も出世する。
信長から与力として秀吉に付けられる。
柴田勝家のところに行った家臣もいる。
これも運なのか?
山内一豊なんか良い例であると思うが・・・・・
家康は関ヶ原で軍監として、井伊直政・本多忠勝を派遣している。
名前だけでも秀吉と差がある感じがする。

秀吉の家臣となった、蒲生氏郷は心情的には信長の家臣である。
海音寺潮五郎が記述しているが、寂しい晩年だったんだろう・・・・・
うわべは華やかであるが・・・・・・

軍師官兵衛(番外編⑨看羊録)日本と朝鮮の違い!

秀吉の朝鮮侵攻がある。
思い出した本がある。
『孫子の読み方 山本七平』
この本の最初にある。
『看羊録 姜沆』
半島で日本軍の捕虜になり、日本を見聞してから半島に帰った。
その時の日本の印象をまとめている。
そして3度目の侵攻はあるのか??
50/50と見た様だ。その対策も記述しているようだ。
その時に日本の武将達の事を記述している。
朝鮮半島の将軍は秀才ぞろいである。
日本の武将達は叩き上げの将軍である。戦争体験は豊富である。

戦国武将、日本の武将は一人として文字を解する者が無いが、たたき上げ、戦場で経験を積んでいる。
細川幽斎、忠興、官兵衛、吉川元春、直江兼続とかはそうでもないと思うが・・・・
「武経七書」も朝鮮の武将は精通している。
日本の武将は読んだことがない。(それは言い過ぎではないか?)
ただ日本の武将たちは、あらゆる技能者たちを身の近くに置いている。
その中に軍法に精通したものがいる。
それらの人に解説させ、自己の体験、失敗成功を考えていたようだ!
その知識は朝鮮の将軍に比べれば及びもつかなかったようだ!
戦場のたたき上げVS机上の秀才!
朝鮮は負けた!「兵書読みの兵書知らず」と言う事のようだ。
日本は絶えず戦場にいるプロであるが、個々の戦闘に勝っても、戦争の勝利に持っていけない!
つまり戦術で勝っても戦略がない!
逆に朝鮮も「孫子」をはじめ「武経七書」を読んでいるが、丸暗記だけではどうしようもないと言う。

ビスマルクの名言。
愚者は体験に学ぶ。賢者は歴史に学ぶ!

堺屋太一言うところの、日本に土地が無い。
つまり恩賞として与える土地が無い。
豊臣家の成長志向が問題と言う。
そのエネルギーが朝鮮侵攻になった・・・・・・
元寇の時、日本を守った御家人たちに恩賞が出せない。
鎌倉政権が倒れる原因の一つである。

秀吉の歳も関係していると思うが・・・・・・
司馬遼太郎言う、秀吉の政権は滅び、朝鮮半島は荒れて、救援した明も滅びる。
何処も良くなかった!
もっとも侵攻しなければそうならなかったと言われそうであるが・・・・・・

『懲ヒ録 柳成龍(朝鮮朝廷の高官)』と言う本がある。
日本軍が朝鮮に侵攻する前兆から、朝鮮朝廷の行動と明の動態、日本軍と朝鮮及び明の交渉と裏取引等、文禄・慶長の役の一部始終を詳細に記したものである。
朝鮮の英雄、水軍の李舜臣を推薦したと言う。
主題は日本軍の侵略の実態もあるが、朝鮮軍の国防意識の希薄さに重きを置いていると言う。内容は朝鮮側の戦略の不甲斐なさを批判するところが多いようだ。

2014年12月 3日 (水)

軍師官兵衛(番外編⑧)石田三成について

石田三成について
1586年 (27歳)
秀吉の命により上洛した上杉景勝と秀吉の間を斡旋。堺町奉行に。
1587年 (28歳)
九州攻めの後、博多町奉行となり町の再興に貢献。
1588年 (29歳)
島津義久と秀吉の間を斡旋。嶋左近を抱える。1596年説もある
この頃、兄の石田正澄が堺奉行に。
1590年 (31歳)
秀吉の小田原攻めで武蔵忍城の水攻めを行うが失敗。
佐竹義宣と秀吉の間を斡旋する。奥州仕置で検地奉行を務める。
近江佐和山城主となる。
1592年 (33歳)
朝鮮出兵(文禄の役)では朝鮮総奉行に。
1593年 (34歳)
五奉行制が敷かれると、そのひとりに。
1594年 (35歳)
島津氏の領土を検地。
佐竹氏の領土を検地。
1595年 (36歳)
関白秀次を糾問。
1596年 (37歳)
京都奉行に。キリシタンを弾圧。
1598年 (39歳)
秀吉死没。博多に赴き、朝鮮からの帰還者を迎える。
1599年から1600年 (40歳から41歳)
関ヶ原の合戦

兄:石田正澄
妹:福原長堯室・朝鮮で軍監を努めて長政らと対立
妹:熊谷直盛室・朝鮮で軍監を努めて長政らと対立・豊後安岐城城主
長男:石田重家・出家
次男:石田重成・津軽信建の助力で生き延びる
三男:佐吉・出家
娘:家臣山田隼人正室
荘厳院:高台院(おね)の養女で津軽信板室
娘:蒲生家家臣岡重政室、岡左内の弟?

攻略結婚と言う意味ではどうなのか?
派手ではないし、そんなに大物はいない。
わざとそうしているのか?
それとも相手にされていないのか?
微妙なところである・・・・・・・

津軽家が恩を感じて、息子・娘を保護している。
ただ検地などでは優遇しているようだが・・・・・

慶長2年(1597年)10月、佐竹氏の与力大名の宇都宮国綱が改易。
佐竹氏も処分を受ける可能性があったが、石田三成の取りなしにより処分を免れた。
こう言う話は良く聞く。
なにか依怙贔屓がある感じがしている。
上杉、島津とかを優遇している。

利休と秀次に処分にも関係していると言われる。
それは無さそうであるが・・・・・・
官房長官としての力はあったんだろう。
以下は堺屋太一が記述していた。
毛利輝元の家臣の脇差しを三成が欲しいと言ったようだ。
輝元は家臣に直ぐに三成に脇差しを渡すように言ったようだ。
理由もある。三成が重要な人物であるのと、その脇差しは秀次も見ている。
秀次が欲しいと言いだしたら困るので、先に三成に渡すように言ったようだ。
輝元から見ても、三成に力があったんだろう。
秀次と三成を天びんにかけた様だ。
輝元も見る眼はあったようだ・・・・・・・・

三成に味方はいたのか????
大谷吉継がいる。
が他はどうなんだろう?
増田長盛・長束正家・小西行長といるが、三成に殉じたわけではない。
増田長盛は豊臣家の領土を100万石預かっていたと言う。
これを三成につぎ込んでいたらどうなっていたのか?
三成の家臣は良く戦っている。
島左近、三成が抱えた蒲生家牢人達!
19万石で家康相手に良くやったのだろうと思うが・・・・・

本・誰も書かなかった 黒田官兵衛の謎・渡邊大門

播磨の小豪族から身を興し、その才智のみで「天下人の軍師」へとのし上がった黒田官兵衛。
さまざまなエピソードが伝わる生涯は、多くの謎に満ちている。合戦ではどんな活躍をしたのか? 
信長や秀吉との関係は?子孫に遺した教訓とは?50の謎解きとともに、その素顔が明らかになる!


20141203_book1


今年は、軍師官兵衛の影響で、戦国時代の本を読みまくっている。
改めて面白いと思う!
初めて読む作者も多い。
渡邊大門の本はよく読むようになった。
面白いと思う。
官兵衛の本も多い。

この本は疑問に答える形の内容である。Q&Aなのでその項目については分かり易い!
著者の本には良く出ている。
官兵衛の出自は???
近江木之本?
播磨西脇?
どちらも帯に短しタスキに長し、と言う感じである。
しかし木之本では、ボランティアの人に、西脇の話は出来なかった!
それぐらい燃えていた!

目薬伝説もどうなのか???
ロマンが無くなる・・・・・・・

身内の事。
小寺家の事。
活躍した戦場の真実。
秀吉との関係。
50項目あるので、官兵衛がよく分かると思う!

「主君の罰より臣下百姓の罰恐るべし」
神の罰は祈ることにより免れる。
主君の罰は、謝罪すればよい。
臣下百姓に疎まれると、国を失う!

黒田24騎の出自がある。
これははっきりしている。
武田や徳川のように入ったり入ってなかったりしていない。
戦国時代も後期だからか?
もっとも、母里太兵衛の像がある福岡光雲神社は25騎としてあった。
黒田長政を入れるようだが、ややこしい事をしないで欲しい!

茶道・連歌もたしなみ風流である。幽斎とも交流がある。
最後に官兵衛は軍師だったのか???
著者は、軍師と言うには無理があると!
別に貶めているわけではない。
『取次』と言う言葉を使っている。

2014年12月 2日 (火)

『維新の党 橋下徹代表の街頭演説』 12月1日 元町にて 

元町の方に仕事に行っていた。
元町の大丸前が騒がしい。
街宣車?
維新の党とある。
15時30分に橋下代表が来ると言う。
まだ1時間半近くある。
これは聞きに行かなければならない!
昨年は明石まで聞きに行っている。
神戸でやるとすれば、三宮か元町である。
どちらも百貨店がある。
元町は昨年、麻生太郎が来たところである。

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15時20分頃に来たら、松井一郎大阪府知事が演説している。
要は公務員の数、議員の数、給料が多いと!
大阪は少なく出来た!
人口800万の大阪で議員は80人台。(調べると880万で定数109人のようだが・・・・・)
人口500万の兵庫で議員は80人台。(調べると550万で定数94人で87人とあった・・・・・)

20141201_hashimoto1

兵庫は多すぎると!
その後井戸兵庫県知事に怒られると、小さな声で言った。
その後どうも自民党鴻池よしただが車で通ったようだ。
車の中から、「その通りやの!」と言ったようだ。
それを松井知事はおかしく話した。

冷やかしで来ていたのではないかと思うが・・・・・・
兵庫県は号泣議員がいる。
それを言ってくれればよいのにと思ったが・・・・・・・

20141201_hashimoto3

橋下大阪市長も、松井大阪知事も本来の仕事があるのに大丈夫かなと思ってしまう。
そして橋下徹が登場する。
①   公務員の給料が高い。大企業並みである。公務員は平均で良いと!
②   議員報酬が高い。どさくさにまみれて2割増加している。それに月100万の活動費が貰える。大阪府、大阪市はカットしているし、市長府知事の給料も減らしている。退職金も減らしている。やれば出来る!
③   公務員の報酬として27兆円ある。これを2割カットできれば5兆円浮く。これを教育福祉に使いたい。
④   自民・民社・公明ではしがらみを断ち切れない。
⑤   無駄な公共工事が多すぎる。5兆円も不要である。
⑥   維新は大阪、近畿一円で元気だが、東京は元気がない。神戸の井坂氏をよろしく!

20141201_hashimoto4

壇上には維新の国会議員が何名かいる。
自民、民社と違い団体の旗、幟は立っていない。
橋下代表もマスコミに叩かれているのか?
道路を挟んでカメラがまわっている。
これに対して少しだが、思う事を言っていた。
これから西宮に行くようだ!
頑張って欲しい!
二郎は橋下徹のファンである!

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2014年12月 1日 (月)

映画・フューリー

映画、フューリー。
1945年4月の話である。
あと1カ月でドイツは降伏する。
そう言う状況下で、ドイツに攻め入っているアメリカ軍の物語である。
主演はブラッド・ピット。
良く知っている俳優として、マイケル・ペーニャがいた。
ひげを蓄え、人相もかなり悪い。
北アフリカからのドン(ブラッド・ピット)との付き合いである。
スペイン語を喋っていた。

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最初に出て来たが、第2次世界大戦のアメリカの戦車の性能はドイツより劣っていたようだ。
子供の頃は、ドイツ戦車ターガーが無敵と思っていた。
が長ずるに従って分かって来た。
戦車の分析については三野正洋が詳しい。
第2次世界大戦の最優秀な戦車は、ソ連のT34と言う。
好走守3拍子揃っている。
派生型を含めて、5万両以上制作している。
アメリカも、M4シャーマンの派生型を5万両以上制作している。
今回ドイツの戦車として、多分6号ティーゲルが登場した。
ドイツは主軸の戦車として、3号・4号・5号パンテル・6号ティーゲルと2万3千両制作したと言う。
連合軍はこれにイギリスの戦車もある。
つまり数では圧倒的に負けている。
性能の差を数で埋めていたようだ。
実際に戦車戦がある。
世界で唯一駆動可能なティガー戦車をひっぱり出してきている。
ティガー1である。

20141130_film5

これに挑むのは、M4シャーマン4台! 
ティガー1とは装甲の厚さが違う!
M4シャーマンはまわりに衝撃吸収になるように砂袋をぶら下げている!
これが破裂する場面はリアルである。
4台のシャーマンが襲撃を受ける。
反撃するが逆にやられる。正面からの砲撃は跳ね返される。
ようやく後ろに回り、薄い装甲をを攻撃する。
リアルな場面である。

20141130_film6

物語は、最初この戦車、フユーリーの戦車兵が一人戦死する。
補充兵は新米である。
戦いを通じて一人前になる。
命令を受けて町を攻撃に行く。
ドンは小隊長になる。繰り上がる。
本当なんだろうが、戦いを拒否したドイツ人が吊るされている。
ドイツは総動員である。
女子供も兵として戦う。

20141130_film4

ドンはSSに憎しみを感じている。
この場合は、武装SSだろう・・・・・・・
新米が無理やりSSを殺すことになる。
この頃は自分を撃てと言う。
まだ純真である。が成長していく?
町を占拠し解放する。
ヒロイン的な女性、エマがアリシア・フォン・リットベルク。
フォンが入っているのでドイツの貴族なのか?
きれいな女優である。
ドンがこの女性を見つける。
新米が抱く!!
が町全体が砲撃を受け、女性のビルが破壊され死ぬ!
虚しい!

20141130_film1

命令により十字路を死守しに行く。
この途中にタイガーに襲われる!
ドンの戦車、フユーリーが生き残る。

十字路につくが、地雷でキャタピラが切れる。
そこへドイツ兵が来る。
行進に歌を歌っている。
精鋭である。
300人は、いると言う。
ここは逃げても、撤退してもよい。
がドンは戦うと言う。
皆呆れるが、戦車を指さしてここが家だと言う。
新米が残ると言う。
全員残る。
夕刻である。
あくまで自然を装っている。

20141130_film3

動けない戦車の中に5人いる。要塞である!
ドイツは戦車を持って来ていない。輸送の車両である。
だから戦ったのだろう・・・・・
それから戦闘シーンになる。
夕刻から夜になる。
新米が見違えるように戦う。
弾が無くなり外へ取りに行く。
機銃は撃ち続ける・・・・・・
戦いが終わる。
最後は泣かせるが・・・・・・・
面白い映画でした!

軍師官兵衛(第四十八回) 天下動乱

三成挙兵!
大阪城へ入る。
家康陣営では長政が活躍している。
家康に言われる前に福島正則を調略している。
小山評定がある。
ここで上杉には押さえを残し、軍を引き返す事が決まる。
がこれを決めたのは、正則である。
家康が三成に味方するなら構わないので引き揚げてもよいと!
正則は長政に言い含められている。
一番最初に発言する。
全員和さざる得ない!
この場面、山内一豊の発言は省略されている。

毛利輝元が総大将である。
安国寺恵瓊が控えているが、精彩が無い感じ!
安国寺恵瓊は官兵衛を心配している。

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三成は人質を取る。
黒田家は光と栄を逃がすことに成功する。
加藤家も成功するはずである。
問題のガラシャの自害の場面は無かった・・・・・・
無いだろうと思っていたが・・・・・・
ガラシャを演じる女優は相当な大物でなければならない。
又は美しすぎる女優か?
ドラマ 関ヶ原はオールスターなので俳優もそろえ易かったのか?
ガラシャは栗原小巻だった・・・・・・・
ともあれ脱出に成功する・・・・・・・
中津に帰る・・・・・

20141130_kanbei3

小早川秀秋がおねのところに来る。
何をしに?
今後どうすればよいかを聞きに来る。
おねは冷たい。
自分で決めろと!
但し信用できる人に相談せよと!
長政に秀秋から書状が届く!
ニヤリとする!
長政は家康に賭けている!
正則・広家・秀秋と調略している。
正則は先頭に立って戦う!
広家は毛利を戦いに参加させない!
秀秋は裏切る!
たいしたものである。
筑前52万石は正当なのか?

官兵衛が銭で兵を集めている。
二重取りする不届き者もいる。
が官兵衛はこだわらない!
2倍働けと!

官兵衛に三成から恩賞は望み次第と誘いが来る。
それなのに、元豊後の大友吉統を豊後に官兵衛対策で送り込む!
九州の関ヶ原が始まる!
栗山・母里・井上が控えている。
又兵衛は長政と関ヶ原にいる。
早速石垣原の合戦になるのか?

これは官兵衛の物語である。
従って官兵衛が中心になるが、少し省き過ぎの感じがしないでもないが・・・・・・
名所案内は黒崎の春日神社である。
ここと黒崎城は行っている。
懐かしい感じがする???

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    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。