九州の関ヶ原④ 豊後 七ツ石広場
次に回ったのは、七ツ石広場。
ここも道路沿いである。
駐車場は無い。
神社になっている。
大友に参加した吉弘統幸が、大石の上に立ち、最後の力を振り絞って槍を振るったという伝説が残っている。
統幸は 「今はこれまで」と、血刀を杖に家来共々を引き連れて、七ツ石をあとに石垣原付近まで登り、別府湾上を昇り来る月を眺めながら辞世の句を詠んで自刃した。
吉弘統幸は吉弘城もある。
400年豊後を支配した、大友氏の支配が完全に終わったようだ。
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