軍師官兵衛(番外編⑩秀吉の家臣)秀吉の晩年は寂しかった??
秀吉は出身が出身なので、元からの家臣に恵まれない。譜代の家臣がいない。
のし上がっていくにつれて優秀な家臣が欲しいがそんなにいない。
他家の家臣に手を出す。
家康の重臣、石川数正。本多忠勝。
大友宗麟の家臣、高橋紹雲、立花宗茂。
島津の新納忠元。
伊達の片倉小十郎。
直江兼続も手を出されている。
もっといるだろう・・・・・・
例えば秀吉自ら、家臣にの領土を主君に命じて決める場合がある。
直江兼続もそうであるし、細川家家臣・松井康之、島津家家臣・伊集院幸侃、堀家の堀監物らがいる。
自分の手足となる有望な人がいない。
半兵衛、秀長、小六と亡くなってからは余計にそう感じるが・・・・・・
動かす兵が多くなる。
秀吉一人で指揮出来ない。
軍監が必要になる。
これに人がいない。
四国攻めは官兵衛が軍監を勤めている。
九州攻めがある。
官兵衛は隆景らと侵攻している。
仙石秀久は、先の四国征伐の功で讃岐高松10万石の領主となっていた。
官兵衛はまだ中津18万石を貰っていない。
九州攻めでは軍監を努めた。
戸次川の戦いがある。12月12日 (旧暦)早朝、戸次川を挟んで両軍が対峙した。
島津戦法の「釣り野伏せ」に誘われ、仙石勢は遁走。
軍監、仙石秀久は諸将の軍を差し自領の讃岐へ逃げ帰る。
四国勢は長曽我部元親・信親親子がいる。
四国を制覇した実力者である。
仙石秀久はコンプレックスがあったのだろう。
元親の言う事を聞かなかったようだ!
尾藤知宣が仙石政秀の後の軍監を努める。
根白坂の戦いがある。長篠の合戦のようだと言われている。
豊臣軍は8万、島津軍は3万5000。
島津軍では大将の島津義弘が自ら前線に立って戦ったようだ。
豊臣軍は宮部継潤らを中心にした1万の軍勢で堅守。
秀長の本隊が救援にきたが、軍監の尾藤知宣は救援は不可能。
島津の軍に当たるべからずと秀長に進言し、秀長は救援の中止を受け入れた。
しかし、秀長麾下の藤堂高虎に、小早川・黒田勢が挟撃をしかけたため、島津軍は敗走。(尾藤はこの時の消極的な姿勢を秀吉に責められ、追放。後に処刑された)
こうなると家臣には恵まれていないのかと思ってしまう!
たまたま秀吉の出世と共に、家臣も出世する。
信長から与力として秀吉に付けられる。
柴田勝家のところに行った家臣もいる。
これも運なのか?
山内一豊なんか良い例であると思うが・・・・・
家康は関ヶ原で軍監として、井伊直政・本多忠勝を派遣している。
名前だけでも秀吉と差がある感じがする。
秀吉の家臣となった、蒲生氏郷は心情的には信長の家臣である。
海音寺潮五郎が記述しているが、寂しい晩年だったんだろう・・・・・
うわべは華やかであるが・・・・・・
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