1月17日 阪神大震災の日に思う事!
もう何年になるのか?
平成7年である。20年になる。
良く覚えている。
その時は播磨町に住んでいた。
朝仕事に出かける前に震災になった。
大きな音がして、一瞬何事かと思った。
地震と言う事は分かったが・・・・・・・・
我が家は被害は無かったので、どうしようかと思った?
後で気が付いたが、食器が何個か割れていた。
ニュースを見ていてもよくわからな。
とりあえず車で神戸三宮に向かった。
明石までは順調に走った。
それからが走らない。
朝の7時前に出て、三宮に着いたのは16時過ぎだったと思う。
須磨のあたりで家が燃えていた。
それを横目に見て走ったが、どうなるのかと思った?
三宮は人気もあまり無かった。傾いているビルもある。
最初携帯も繋がったが、しばらくするとパンクである。
帰りはガソリンが無く、ようやく開いているスタンドを見つけた。
ここも釣りは出ない。
払った金額の、5千円だったら計算して5千円分入れてくれた。
帰りはまだスムーズに帰れた。
それからが大変だった。
建築業に従事しているので、死ぬ思いで復旧作業にかかった。
三宮のメインと言うべき建物の復旧を担当した。
どこの会社も各地から応援に来ていた。
言葉が面白かったが・・・・・・・
北海道から九州、四国と来てくれた。
東京からも多かった。
やはり波長が合わないと思ったのは、二郎だけか?
ともあれ建物が復旧し、お客さんが入った時は新聞にも大きく出ていた。
今は三宮も様変わりしている。
これからも計画があり、色々変化あると思う。
東北の大震災もあり日本はいつ地震が来てもおかしくない。
備えあれば憂いなしと言うが、なかなか出来るものではない。
ニュースで東北の自動車教習所の避難の責任の判決が出ていた。
『東日本大震災の津波で常磐山元自動車学校(宮城県山元町)の教習生と事務職員計26人が死亡したのは、学校が安全配慮を怠ったためだとして、遺族が学校な どに計約19億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は13日、学校に約19億1000万円の支払いを命じた。』
教習所に責任があるとしていた。
責任が無いとは言えないが、あまりに他人のせいにし過ぎではないか?
「お金を貰っても、子供は帰って来ない!」
そう言う話なら、金は何処かに寄付でもするのかと思ってしまうが・・・・・・
大体19億円も支払う能力があるのかと!
畑村洋太郎が記述していた。
言い伝えがある。
『地震が来れば最低限のやる事をやって、何が何でも高い所に逃げろ!』
やる事と言うと、火を消す事だろう・・・・・・
北海道南西沖地震の時、テレビの放送で観たが、奥さんと子供を亡くした人がいた。
奥さんは高い所に逃げようしたが、津波に巻き込まれたようだった。
気の毒に思う!
『映画 八甲田山』
死が運命なら、生もまた運命である!
阪神地方、瀬戸内海に面しているところは、四国のおかげで津波の心配があまり無い。
東北はもろに津波の心配がある。
シカゴの博物館で観たが、『TUNAMI』の実験装置があった。
津波は世界語である。
自動車教習所で亡くなった人は気の毒と思う。
がそうなると、教習所をその場所に建てる事を許可した責任まで追及される。
近いうちに地震もあると思える。
コンクリートで守るのではなく、個人として何をまずすべきか考える必要があると思うが・・・・・・・・・・
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