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2015年3月18日 (水)

本・目からウロコの戦国時代・谷口克広

一般に誤って知られていることを取り上げて正しい説を紹介。また、第二に、あまり知られていない興味深い事実も紹介する。
面白さによって独り歩きした話が多い。質のよい史料をひもといていけば、そこには真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実が見えてくる。
長年、戦国史、特に織田信長を研究してきた著者が、そうした史料をできるだけわかりやすく解説し、戦国時代に精通した人にも初心者の読者にも、「目からウロコ」が落ちるような話満載の戦国時代の決定版!

20150318_book1

著者の本はよく読む。
押しつけがましい事は無いし、他者への批判も適正(?)である。
内容的にはそんなに新しいものではない。
戦国時代はいつから始まり、終わるのか?
応仁の乱から始まり、1590年の秀吉による天下統一までとする。
著者が、普通にどうなのかと言う疑問に答えてくれる。

蓮如の教え。「支配者に従順であれ、年貢・公事をきちんと納めよ」
真宗の教義とはかけ離れた多数の一向宗信者が、現世に利益を求めて集まった。

北条氏康の河越夜戦。どうやら世に名高い夜戦では合戦ではなかったようだ・・・・・

鉄砲はポルトガルより先に、中国から伝来していた???
信長が楽市楽座を積極的に進めたのでは無さそう・・・・・

秀吉が人を殺したがらなかった?
実際に信長の命令で、皆殺しもやっている。
歳を取ってからは、自分の意志でたくさん殺している。
信長は荒木村重の家族を皆殺しにしたが、秀次の妻妾を皆殺しにしたのは秀吉である。

本能寺の変の黒幕説。
やはり単独犯とみた方が良いようだ。

安土桃山時代。
何故桃山と言うのか分からなかった。
吉野の桜に対して、桃の白い花の木を植えたからと聞いて納得した。
がどうもそうでは無さそう・・・・・
桃山と言われるようになったのは明治時代からと言う。

信長に追放された佐久間信盛。
本願寺を包囲しながら4年間、一度も戦わなかったと言う。
別の著作では、包囲中もお茶三昧だっとも言う。

安土宗論。
浄土宗と日蓮宗の宗論。
初めから日蓮宗の負けは決まっていたと言う。信長の日蓮宗の弾圧!
宗論は日蓮宗が勝ったようだが・・・・・・

木綿が信長に天下を取らせた。
木綿は便利と言う。鉄砲の火縄にも使える。
中国・朝鮮半島からの輸入に頼る。
が輸入制限され、尾張・三河で生産する。
木綿を制した信長が天下を制した???

清須会議の滝川一益の立場。
北条との戦いで敗れて宿老の座を外されて、清須会議にも呼ばれなかった。
と言うより、会議の日までに戻れなかったようだ!
といろいろな事柄について、真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実を浮かび上がらせている。

武田信玄の肖像画についての話もある。
謙信と一騎打ちしたと言う割には、太り過ぎと感じていた。
これも違うようだ。
と言うと、柴田勝家もどうかなと思っている。

織田信長の子供は22人と言う。家康は16人と言う。
信長に関して言えば、これだけの子供がいて誰も天下を継げなかったのは、器量不足だったのか?
親父の偉さが光るのか???

名前もよく変わるので分からない。
信長の弟、信行?信勝?
色々ありそう!

知っている話も多いが面白かったです!

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