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2015年6月 7日 (日)

宮本武蔵生誕地 揖保郡太子町宮本 

パンフレットを調べると下記のようだ。
宝暦12年(1762)に書かれた地誌【播磨鑑】に当時、宮本武蔵が太子町宮本村で生まれたと記されています。
また、晩年の武蔵を知る唯一の史料、自筆「五輪書」に武蔵が自ら「生国播磨の武士・・・」と記載をされています。
残念なことに、宝暦年間の大火災にて村の大半が罹災し、武蔵に関する資料・古文書・系図等の大部分が消失。
さらに、明治20年におきた再度の大火災により、総ての史料・古文書等は灰となってしましました。
現在、武蔵生家跡として言い伝えられた場所には、古井戸が残っているだけです。

宮本武蔵生誕の地は3ヶ所の候補地がある。
(まだ3つだから良い。官兵衛の生誕地は近江木之本?播磨黒田庄?。まだ日本各地には、徐福伝説に邪馬台国もあるようだが・・・・・・・・・)
岡山県美作市大原、高砂市米田町、揖保郡太子町宮本である。
そのうちの一つがここ、揖保郡太子町宮本である。
3ヶ所のあと2ヶ所は美作市大原と高砂市米田町にある。全部行く予定である。
姫路に所要があり、そのついでに太子町まで行った。

千種川から石海神社へ入ったが、川べりに案内がある。

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石海神社のまわりに史跡は固まっている。
祭神は舎人親王(とねりしんのう)。創立年月日は不詳とある。
公園には案内書があり、自由に持って帰れる。
駐車場付である。

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「宮本武蔵生誕の地」碑がある。
何でも造りゃいいのかと思ってしまうが・・・・・・・・・
が、何も無ければ無視されるのか??

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あまり関係ないと思うが、力石?がある。
力石には、重さが刻印されている。

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公園の西側で奥さんが見つけた。
『武蔵産湯井戸』
明智光秀にも同じような史跡がある。
光秀も生誕地は何か所かあるようだが・・・・・・
上に滑車がある。

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荒神さんの境内の無残な傷跡を残した椋樹があり、全てを見ていたと!
再度の大災害を物語っていると言う。
修復はなされているようだ・・・・・・

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武蔵の幟が立っている分けでは無いし、静かなものである。
何年か前の大河ドラマで宮本武蔵をやっていたが、その時も本家争いがあったようだ。
吉川英治で美作が有名になっている。
宣伝の差なのか??
武蔵が語っていると言うが。生まれたところを武蔵は認識しているのか?
誰かに聞いて知っている。
それは両親なのか?
いずれ身近にいた人だろう・・・・・・・
あまりあてに出来ないのではないかとも思うが・・・・・・・・
ここも古文書が焼けたと言うが、内容は伝承だけで何が書かれていたのかは分からないのではないか?
それで主張するのは、やはり問題が多いと思う!!!

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