ドイツ観光(三日目)ポツダム④ツェツィーリエンホーフ宮殿③ポツダム会談の内容
会議の内容は現在の混乱に通じるものばかりではないと思う。
「平和条約を締結するための外相会議の設立」、
「ドイツ占領統治政策の決定」、
「イタリア・ギリシャ・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリアの選挙を監督する共同行動」、「イタリア王国の休戦条約緩和と国際連合への加入」
と言う内容のようだが、ソ連は譲らない!!
「ドイツ船舶の処分」、「賠償」、「イタリア植民地のソ連による信託統治」、
「ルーマニア、ポーランド(ポーランド国民解放委員会)、ハンガリー(ハンガリー臨時国民政府)の親ソ連政権の米英による承認」、
「スペインのフランシスコ・フランコ政権問題と、タンジェ問題」、
「シリア・レバノン問題」、
「ロンドンにあるポーランド亡命政府の消滅」
特に紛糾した三つの問題、ポーランド問題、賠償問題、
旧枢軸国に成立した各政府の扱いをめぐってイギリスとソ連は強く対立した。
かってのチャーチルとスターリンの密約??(アメリカ抜きである)
ルーマニア:ソ連が90%、イギリスが10%、(ダンさんも気の毒である)
ギリシア:イギリスが90%、ソ連が10%、
ユーゴスラヴィアとハンガリーは英ソそれぞれ50%ずつ、
ブルガリアはソ連が75%、その他の国が25%。
この協定はパーセンテージ協定(百分率協定)といわれ、バルカンの分割を策する英ソ両国の思惑が一致して成立した。
帝国主義である!
大国ですべて決める!!
会議はイギリスが総選挙で保守党が大敗し、チャーチルにかわって労働党のクレメント・アトリーが首相となった。アトリーが首相として残りの会議に参加した。
トルーマンは、一時決裂も覚悟したようだ。
日本はポツダム宣言を最終的には受け入れた。
原爆の完成を聞いているトルーマンは強気だったと言う!
ポツダム会談の場でそんな事を思い出しました………
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