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2016年2月18日 (木)

本・大坂落城 戦国終焉の舞台(2012/9)・渡邊 大門

戦国時代に終わりを告げた「大坂の陣」。徳川家康が豊臣家を滅亡させるための謀略に満ちた戦いという通説は、事実なのか。家康謀略史観に疑問をもつことで見えてきた、浪人やキリシタン、商人の存在。武将の活躍の陰で、彼らもまた生き残りを賭けて戦っていた。軍功書、首取状などの豊富な史料を駆使しつつ、関ケ原合戦から大坂の陣にいたる激動の時代を鮮明に描く。

20160218_book1

著者の本はよく読む。
戦国時代の事になればダブって来る話も多い。
大阪城落城になれば、どうしても真田が登場する。それに牢人が登場する。
同じ内容が書かれるのは仕方がないのか?

「国家安康」「君臣豊楽」
家康の御用学者もよくやると思う!
徳川家康が豊臣家を滅亡させるための謀略の為の戦いだったと言うのは事実なのか??
名前を避ける事や、分けて書かない事がルールなら間違っている。
うかつだったと言う!
やはり滅ぼす気だったんだろう・・・・・・・

関ヶ原の合戦後、大量の浪人が発生したようだ。
牢人が問題を起すのは分かっていると思うが??
秀吉も家康も厳しかったようだ!
牢人になると早く仕官しなければ野垂れ死になのか??

この記述に、元大名が何千人と率いて入城したとある。
そんな馬鹿な事があるのか??
仙石秀範は5千人、明石掃部は4千人、毛利勝永は4千5百人、石川康勝は5千人、弟肥後も5千人、となっている。
真田も率いている。
元土佐藩主・長曽我部盛親もいる。牢人だが後藤又兵衛もいる。
実際はどうなのか??
元の石高より多い兵を率いている。
マア色々あるのだろう・・・・・・・

牢人にとっては最後の戦いになるかも知れない。
徳川より豊臣が勝った方が恩賞が多くなる!
万が一豊臣が勝っても、リーダーがいない。
なのでスムーズな分配が行われたとは考えにくい。
再び戦国時代が続いたのではないか??

真田は九度山に流配されている。
大阪城からすぐそこである。
すぐに入城している。
あまり家康から恐れられていなかった??
ここに宇喜多秀家が流配されていたら大騒ぎである。
が八丈島である。
家康も相手を見て考えている!!
真田など恐れていない。
昌幸には苦杯を舐めさせられているが・・・・・・・

冬の陣が終わり、惣構・堀を埋める。
これは徳川・豊臣の分担が決まっていた。
が実際は徳川が埋めたようだ。
惣構・堀を埋めると言うのは双方の了解事項だったようだ。
毛利秀就の工事についての注意事項がある。
大阪城の者と口論になったら、相手にかかわらず毛利方を処分する。
だから家康が勝手に埋めたと言うのは間違いの様だ??
結局は丸裸になる。
こうなれば大阪城撤去も考えられるが、豊臣は望まなかったようだ。
内部はバラバラでリーダーがいない。
最大の戦力の牢人衆は戦闘継続である。
この時に国替えをすればどうなっていたか??
いずれ滅ぼされていたとは思うが・・・・・・・

大阪城内の生活は悲惨であったようだ。
脱出しても押し戻されたようだ!
城内を餓えさせる為か??
牢人の悲惨さはよく分かる。

入城した武将達の最後も記述されている。
ほとんど戦死か斬られている。
細川興秋も切腹である。
あわよくばと思っている武将も夢を絶たれた。
キリシタンも、宣教師も悲惨である。
宣教師は大阪城を去ろうとしたが、信者が許さなかったようだ!
どちらにしてもキリシタンは不幸な結果しかないと感じたが・・・・・・・

徳川幕府に臣従(?)しなかったから滅ぼした?
実際に国替えに応じて、淀の君を人質に差し出せば存続したのだろうか???
分からない!!

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