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2016年5月12日 (木)

大阪市天王寺 一心寺 酒封じの神??

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一心寺。
安居神社前にある。

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人は多い。
一心寺は、大阪府大阪市天王寺区にある浄土宗の寺であり、正式名称は坂松山高岳院一心寺。骨仏の寺としてよく知られているようだ。
宗旨に関係なく参詣や納骨を受け入れる寺でもあったため、全国から多くの納骨が集まった。

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徳川四天王の一人、本多忠勝。
真田丸では藤岡弘である。桑名に槍を持った像がある。
息子がいる。本多忠朝である。ここに墓所がある。
冬の陣で、酒を飲んでいたため敗退し家康に叱責さた。
親の子とも思えぬ!!
このため夏の陣では討ち死にを覚悟した様だ。
これは家康の策略とも言う。
死にもの狂いにさせる為に………
この頃は家康創業以来の武将がいなくなっている。
戦上手と言われる武将も少ない。
なので挑発したとも言う!
「司馬遼太郎 城塞」にこの話が出ている。
老練な武将が少なくなって来ている。

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藤堂高虎に井伊直孝がいる。
井伊直孝は徳川四天王井伊直政の息子である。
結城秀康の毒殺に関係している??
死兵が欲しい。
死にもの狂いで戦う武将が欲しい。
この時、蝋燭の蝋が流れた。
家康はこの蝋燭は誰が献上した?
出雲守か!
蝋まで流れて役に立たない!
これを控えの間にいる本多忠朝に聞こえるように言った。
それで忠朝は死を覚悟して戦う事になる。
もう一人は松平忠直である。
これにも家康は挑発している。
忠直も抜け駆けで陣を進める。
家康の思ったと通りになる。
ここに来てそんな話も思い出した!
忠朝が、死の間際に 「酒のために身をあやまる者を救おう」 と遺言したといわれることから 「酒封じの神」 とされるようになった。
今でも墓所には禁酒を誓う人がよく詣でている。
そう言う話も面白い!
名所巡りに行くといろんな事に出会う! 

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寺の外の石垣。ねずみが居る!

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一心寺
大阪市 天王寺区逢阪2−8−69

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