祝・2020年東京五輪開催決定!4年に一度、スポーツヒロインを生み出してきたオリンピック。1964年の東京五輪の華といえば女子体操個人総合金メダルのベラ・チャスラフスカ。しかし、東欧社会主義圏のチェコに生まれ育った体操の女神のその後の人生は、あまりにも過酷なものだった。時代の荒波に翻弄されながらも自分の生き方を貫き通そうとした女性の個人史を丹念な取材によって描いた、大宅賞作家・後藤正治渾身の力作
著者の本は何冊読んでいる。
主にスポーツ関係である。
最初に読んだ時から感心しているが、インタビューが多い。
今回は世界的スターである。
チェコ、ロシア、ルーマニア、ウクライナ、アメリカ等世界中回っている。
通訳を連れて大変だったと思う!
2004年発行である。2018年東京オリンピックが再度開かれる。
そのヒロインとして著者が取り上げている。
チャスラフスカの歴史・人生ががある。
体操をはじめて、世界トップになり、プラハの春から不遇時代。
復権、病気までが、チェコ・日本の関係者のインタビューがあり、かってのライバル達の現況がある。
女子体操(男子も)はバレーボールと同じでソ連。東欧が強かった。
何の因果か日本も入っていた。
今は勢力範囲は変わってきている。アメリカ・ウクライナ・中国も強い!
女子体操は全盛期の年齢が下がってきている。
コマネチは14歳で頂点に達した。
妖艶な技を競わなくなってきた。
何処かで新旧の女王の交代がある。
東京オリンピックで、ベラ・チャスラフスカは女王になった。
そのまま何事も無ければメキシコ大会を経て、結婚してコーチになり順調な生活だったんだろう。
「プラハの春」が起こった。
ソ連は許さなかった!
メキシコ前にワルシャワ機構軍が押し寄せる。
この事実をソ連の選手は知らなかったようだ。
メキシコ大会の華!!
ソ連のナターシャ・クチリンスカヤ!!
ここで女王交代が行われてもおかしくなかった??
がソ連は世界の反感を買っていた。ナタリアは別だったようだが・・・・・・・
この大会にチャスラフスカはソ連に対する敵愾心を隠さなかった!!
ソ連の選手はチェコへの介入を教えられていない!!
悲しかったようだ!
もろくも「プラハの春」は「冬」になったが、チャスラフスカは信念を押し通す!
「2000語宣言」に署名し、撤回しなかった。
同じように同世代の歌手・アナウンサーも撤回しなかった。復権できたのは何年後になるのか?
職にもあり付けない。普通ならナショナルチームのコーチだ!!
結婚するがやがて別れる。
主人は妥協するが、チャスラフスカはもうここまで来たら妥協できない!!
社会主義の国は優秀なスポーツ選手を優遇する??
そんな事も無かったようだ。褒美はあったようだが・・・・・・
日本人との交流がある。
チャスラフスカは親日家である。
結婚式にも女子選手が呼ばれている。
日本に来た時、同窓会的な食事会を開いたようだ。
日本の選手については知らない名前が多いが、こう言う交流があったのは驚きである!
ソ連の選手のインタビューも沢山ある。
元女王ラチアナ(ローマ)、ムラトウ、ホルキナ(シドニー)、ウクライナのツリシチュワ(ミュンヘン)・・・・・・
確かにロシアの選手は華がある。ホルキナも気まぐれと言われているがモデルでもおかしくない!
ツリシチュワは勝つべくして勝った??
ミスを犯さない。コルブトはミスをおかして脱落した。
著者らしい表現が各所にある。
メキシコ大会はチェコ問題、ミュンヘン大会はイスラエルの人質問題、
モスクワ大会はアメリカのボイコット問題、ロサンゼルス大会は逆にソ連のボイコットがある。
ソ連も大変である。選手も苦労が絶えなかったんだろうと思う!!
メキシコの花嫁、ナタリア・クチリンスカヤのインタビューがある。
今アメリカにいる。
可愛らしいと言う感じの方が強かったのを覚えている。
現役生活は短かったようだ。
著者が言っているが、インタビューにも法外な報酬を望む人もいる。
クチリンスカヤはそんな事は無かったようだ。
1991年秋から1994年春まで泉佐野で体操のコーチをやったようだ。
全然知らなかったが・・・・・・
当時はソ連が崩壊して海外に糧を求めなければならなかったようだ・・・・・・・・
ここで面白い話があった。
ロシアでは銀行を信じない。
給料を手渡しにして欲しいと!!
信州にコーチに言ってお礼にリンゴを貰った。
郵便で送ろうとしたが、ロシアではこんな美味しいリンゴを郵便で送ったら途中でなくなる。
手分けして持って帰ったようだ!!
帰国の時、報酬をどうやって持って帰るのか??
ロシアの銀行振り込みを信用しない。
ドルに換えて特製のベストにポケットを沢山作り、ここに入れて帰ったようだ。
あの笑顔で信じられない話だが、面白い!!
夫婦の写真と共に、・チャスラフスカ宛てのメッセージを著者に託している。
きっと見ただろう・・・・・・
メキシコまで普通に喋ってくれいたのに、メキシコではものも言ってくれない???
「白い妖精」コマネチへのインタビューもある。アメリカでである。
コマネチのニックネームであるが、これは日本で付けられたようだ。
翻訳かと思っていたら違った!
コマネチも日本でそれを知ったようだ。
その話題の時、インタビューで一番の笑顔を見せたようだ。
ルーマニアには2回行っている。もう一度行こうかと思っている。
革命の発端のテミショアラにも行った。
チャウチェウスクはソ連の言いなりにならない指導者と思われていた???
が、裁者である。最後はみじめであるが、独裁者の最後はこんなものなのか??
革命時、一番の流血があった国である。
コマネチもいろいろ嫌がらせもあり苦労している。
大統領の次男に言い寄られている???
そう言う事は無かったようだ!ホッとするが・・・・・・
大統領はコマネチが有名になるのを好まなかった??
男の嫉妬か??
やはり強い女性なんだろう!!
試合が終わればユニホーム、レオタードの交換がある。
日本のレオタードを交換にコマネチ達が訪ねて来る。
本当にうれしそうに持って帰ったようだ。
この時は可愛らしい少女だったようだ・・・・・・・
時代に翻弄(?)されながら、自分に忠実に生きた女性がいる。
復権できたのは良かった。
違う人生があったかも知れない。
が、それしか自分に忠実な人生は無かったのだろう!
チャスラフスカは、インタビュー時精神的に病んでいたので、著者とは会えなかったようだ。
気になるので現状を調べてみた。
病気は治り、チェコ日本友好協会の名誉会長として両国の交流にも携わっている。
東日本大震災後の11年10月、ほぼ20年ぶりに日本を訪問している。
チェコでチャリティーコンサートを開き、避難所生活の福島県の子供たちを招待し、
チェコの子供たちと陸上、体操、球技などのミニ五輪を開いたようだ。
当然この時は、日本の体操の旧友たちと会っているだろう。
刀を贈ってくれた人は福島出身の人だったという。(この刀が彼女の気持ちを支えたようだが・・・・・)
仙台では、枝垂れ桜の植樹をした。
気になるのは著者と会ったのかどうかである。
いずれ分かるだろう・・・・・・
面白かったです!
著者の講演も聞く事が出来た。又本も読んで行きたいと思う!!!
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