黒田官兵衛

2015年3月18日 (水)

本・目からウロコの戦国時代・谷口克広

一般に誤って知られていることを取り上げて正しい説を紹介。また、第二に、あまり知られていない興味深い事実も紹介する。
面白さによって独り歩きした話が多い。質のよい史料をひもといていけば、そこには真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実が見えてくる。
長年、戦国史、特に織田信長を研究してきた著者が、そうした史料をできるだけわかりやすく解説し、戦国時代に精通した人にも初心者の読者にも、「目からウロコ」が落ちるような話満載の戦国時代の決定版!

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著者の本はよく読む。
押しつけがましい事は無いし、他者への批判も適正(?)である。
内容的にはそんなに新しいものではない。
戦国時代はいつから始まり、終わるのか?
応仁の乱から始まり、1590年の秀吉による天下統一までとする。
著者が、普通にどうなのかと言う疑問に答えてくれる。

蓮如の教え。「支配者に従順であれ、年貢・公事をきちんと納めよ」
真宗の教義とはかけ離れた多数の一向宗信者が、現世に利益を求めて集まった。

北条氏康の河越夜戦。どうやら世に名高い夜戦では合戦ではなかったようだ・・・・・

鉄砲はポルトガルより先に、中国から伝来していた???
信長が楽市楽座を積極的に進めたのでは無さそう・・・・・

秀吉が人を殺したがらなかった?
実際に信長の命令で、皆殺しもやっている。
歳を取ってからは、自分の意志でたくさん殺している。
信長は荒木村重の家族を皆殺しにしたが、秀次の妻妾を皆殺しにしたのは秀吉である。

本能寺の変の黒幕説。
やはり単独犯とみた方が良いようだ。

安土桃山時代。
何故桃山と言うのか分からなかった。
吉野の桜に対して、桃の白い花の木を植えたからと聞いて納得した。
がどうもそうでは無さそう・・・・・
桃山と言われるようになったのは明治時代からと言う。

信長に追放された佐久間信盛。
本願寺を包囲しながら4年間、一度も戦わなかったと言う。
別の著作では、包囲中もお茶三昧だっとも言う。

安土宗論。
浄土宗と日蓮宗の宗論。
初めから日蓮宗の負けは決まっていたと言う。信長の日蓮宗の弾圧!
宗論は日蓮宗が勝ったようだが・・・・・・

木綿が信長に天下を取らせた。
木綿は便利と言う。鉄砲の火縄にも使える。
中国・朝鮮半島からの輸入に頼る。
が輸入制限され、尾張・三河で生産する。
木綿を制した信長が天下を制した???

清須会議の滝川一益の立場。
北条との戦いで敗れて宿老の座を外されて、清須会議にも呼ばれなかった。
と言うより、会議の日までに戻れなかったようだ!
といろいろな事柄について、真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実を浮かび上がらせている。

武田信玄の肖像画についての話もある。
謙信と一騎打ちしたと言う割には、太り過ぎと感じていた。
これも違うようだ。
と言うと、柴田勝家もどうかなと思っている。

織田信長の子供は22人と言う。家康は16人と言う。
信長に関して言えば、これだけの子供がいて誰も天下を継げなかったのは、器量不足だったのか?
親父の偉さが光るのか???

名前もよく変わるので分からない。
信長の弟、信行?信勝?
色々ありそう!

知っている話も多いが面白かったです!

2015年3月 6日 (金)

本・信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか・谷口克広

信長はどこまで中世を打ち破ったのか?外交と婚姻政策、対朝廷、対将軍、対宗教、家臣団統制、居城移転策、戦略・戦術、農政、商工業、交通、町に対する政策等、あらゆる信長の事跡を徹底検証!真の信長政権像を提示する!

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著者の本もよく読んでいる。
織田信長関係で面白い。
著者も好きな織田信長の研究が出来て幸せだろう。
分かり易く記述してくれている。
いつも関心するが、研究者は良く文献を読んでいる。
そして実際に検証している。
記録を取り上げるかどうかは迷うと思う!

序章  信長の天下布武への道
第一部 周囲に対する政略
第二部 統一戦争に向けた政略
第三部 民衆統治に関する政略
終章  信長の政略を総括する

以上に分かれていて、さらに細かく分析している。
読んでいて非常に分かり易い。そう言う風に記述しているのだろう。

信長の外交の致命的な欠陥!
敵を許さず討伐してしまう事にあると言う。『秀吉との差か?』

公家たちへの経済的援助として、所領宛行いと徳政令を実行した。
援助はしていた。

日蓮宗の弾圧。
日蓮宗は過激な行動を取る。山科本願寺を焼き延暦寺とも対立する。
諸勢力の軍勢によって京から追い出されたと言う。
安土宗論、安土で日蓮宗信者が揉め事を起した。日蓮宗から宗論を望んだ!
信長の日蓮宗弾圧のチャンスが来た。
日蓮宗には勝つチャンスは無かったようだ。

本願寺の教えそのものを信長は排除していない。
伊勢神宮は20年毎に遷宮するが、費用の関係で中断していた。
信長はこの費用を出す。一千貫の見積に対して三千貫だす用意があり、
さらに上積を申し出る。
自己神格家についても、否定する研究家も多い。
フロイスが問題のようだ。何処まで信用するのか?
こうなると宗教観はどうなのか?
無神論者では無さそうと思うが・・・・・・・
信長の家臣の編成がある。
家臣は譜代外様を問わずに粛清が多いようだ。
昔の恨みなのか?
能力が無いと思われ、もう不要と思われたのか?
佐久間信盛の話がある。無能なのか?
昔の逆らった事を罰しているのか?
家臣団の再編成なのか?(無能な武将は追放される)

信長の戦いがある。
籠城は無い。
絶えず相当な兵を集めて攻勢に出る。
兵を集中できる体制、外交、経済、調略がもの凄いと言う!
兵站、ロジェスチックも考えていたのだろう・・・・・・
信長が本能寺の変で倒れなければどうなっていたか?
上杉は滅びる。
毛利はまだ減国されるだろう!
長曽我部は土佐一国か?
東北は北条をはじめ織田と友好的である。
九州も簡単に片付くだろう・・・・・
3年から5年で天下は、完全に織田政権になる。
武将達の粛清もあるだろう。

信長の業績が項目ごとに記述されて大変分かり易い、面白い本でした。

2015年2月23日 (月)

紀伊・太田城・秀吉の水攻めに屈した城!

和歌山城の次に、太田城に寄った。
遺構は残っていない様だ。
町中の、来迎寺の辺りが本丸跡と言う!
来迎寺の入口のところに案内があり、寺の境内に石碑がある。
これが又大きい石碑である。
遺構が残っていない分だけ石碑を大きくしたのか????

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第一次太田城攻めは、1557年(天正5年)に織田信長が攻めた。
この時は上手くいかなかったようだ・・・・・・
第二次太田城攻めは、1585年(天正13年)羽柴秀吉が行った。
時代が違う!
信長はまだ各地に敵を抱えていた。
秀吉は小牧長久手の戦いの後に、各個撃破で各地の従わなかったところを攻めた。
太田城の戦いは備中高松城、武蔵忍城とともに、日本三大水攻めのひとつに数えられる。
別に水攻めしなくても良かったと言う!
秀吉のアピールの為にやった???

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紀の川の水をせき止め、城から300m離れた周囲に堤防を築いた。
堤防の高さは3-5m、幅30mで、6kmにも及んだと言われている。
工事に要した人数は469,200名。
昼夜突貫工事で6日間で仕上げたと思われている???
同年4月1日より水を入れ始め、4月3日から数日間大雨が降り続け、水量が増し始めた。そのため城の周りは浮城のような状態になったと言われている。
469,200人なんてどうやって調べたのか?
そんな数字は信じ難いが?????

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秀吉の運の強さなのか?
備中高松城も、空梅雨と思われていたのに、大雨が降り一挙に水かさが増えたと言う。
備中高松城は、水攻めを行い易い地形である。
実際に行っているので納得できるが、太田城は大変だっただろう・・・・・
良く堤防が決壊しなかったと思う!

好きな人は、細かい遺構まで見物していると思う!
何も無かったが、来たと言う自己満足に浸れました!

2015年2月20日 (金)

本・黒田官兵衛目薬伝説 目の神、鉄の神、足なえの神・(8人)

黒田官兵衛の一族は各地を流浪し、住む家もない貧窮にあったが、家伝の目薬によって財をなし、その後の飛躍につながった。黒田家の目薬商いは、史実かどうかについては賛否両論があり、官兵衛の所伝には虚実不明の話が多い。眼科医学史、金属考古学、民俗学、地名研究、系図研究など各分野の専門家が、黒田官兵衛を生んだ歴史的風土を考えています。

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コメントを下さった方から推薦してもらった本である。
官兵衛巡りに付き合ってくれた。
感謝しています!
と言う事でようやく読んだ本である。
大変面白かった!!!!
連作であるが、学者と言う感じの人はいない。
眼科、地名研究者、系図研究者、役場の役人、金属考古学等の専門家が記述している。
大変面白い本である!
この中で渡邊大門の名前が出て来る。
最近よく読んでいる。
書状など1次資料を駆使して、史伝と伝承を峻別する手並みに定評がある、と紹介されている。


目薬の話がある。
これは本当の事か?
家伝の目薬の製法がある。
目薬の木も名所に植えてある。
司馬遼太郎も広峰神社には取材に来ている。
が渡邊大門も否定的であると!

ここで鉄、足なえ、片目と結びつく話が紹介されている。
鉄、製鉄にしろ鉄をと鍛錬する時破片が飛ぶ。
これが目に刺さり失明する人も多かったようだ。
当時は防護眼鏡なんかなかったようだ・・・・・・・
タタラの火を見て目を痛め、鞴を踏むことにより片足を痛めた!
天目一箇神は、鍛冶や製鉄にかかわる人たちによって祀られた神であり、一つ目で、片足が不自由と言う外見的特徴がある。
広峯神社の近くに歳徳神社があり、「足なえの神」を祀っている。
鉄鉱石が祀ってあるようだ。
足なえの軍師と言えば、山本勘介に黒田官兵衛である。
なんとなく因果関係がありそうな感じがするが・・・・・・・・

目薬は尾張が先進地だったようだ。
それだけ需要があったと言う事なんだろう・・・・・・・
馬嶋流と言う名前が出て来た。
戸部新十郎の短編「仏手」に登場する念流の使い手、友松偽庵がこの流儀の眼医者である。
あまり関係ないが、面白い名前が出て来たと!
ただ目薬も飴状で水に溶かすあるが、水は問題にならないのか?
又布に浸すとあったが、布はきれいなのか???
黒田家の「玲珠膏」と言う目薬は確認できないと!
ロマンが無くなる・・・・・・・・

官兵衛の出身は?
近江木之本か?
播磨黒田庄か?
どちらも行ったが、熱意は木之本の方が数段上であった。
木之本はバスも停車する。ボランティアの人間の熱意が伝わってくる。
展示物も手作りである。間違っているのを指摘するのは心苦しかったが・・・・・・
木之本で黒田庄の話なんかする雰囲気でない!
黒田庄はそう言う人はいない。
展示してあるだけである。
がどうも、どちらの説も「帯に短し、たすきに長し」と言う事のようだ!
ただ木之本地蔵院にも行ったが、片目の蛙が沢山置いてあった。
こじつけでは無いのだろうが、片目の話に繋がってくる。
備前に移り住んだと言うが、備前も刀の名産地である。
鉄にかかわってくる。
西脇市にも、天目一箇神を祀る、天目一神社があるようだ。
今度行って見たいと思う!

足なえは本当だったのか?
これも分からない様だ!
まだまだ面白い研究の結果が記述されている。
本当に好きでやっているのだろうと思う!
大変面白かったです!
がやはりロマン(?)が無くなる・・・・・・・
この本を勧めてくださってありがとうございます!

2015年2月 4日 (水)

本・戦国史が面白くなる「戦国武将」の秘密・渡邊大門

なぜ兄弟は反発したのか―浦上政宗と宗景 ・御館の乱の背景―上杉景勝と景虎
徳川家康の健康法は「粗食」にあり!政宗の弟・小次郎は僧として生き残っていた?真田信繁は、なぜ「幸村」と呼ばれたのか?光秀の謀反と荒木村重の叛逆との共通点とは?

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最近著者の本はよく読む!
著者は、大河ドラマに批判的と感じる。
有り得ない場面も多そうだとは思うが・・・・・・・・
見ていられない感じがするのだろう・・・・・・
内容は下記の通りである。
第1章 戦国武将の日常生活を覗く
第2章 戦国武将を支える家来の実像
第3章 戦国ファンを魅了する真田一族とは?
第4章 本能寺の変―その永遠の謎は解けるのか
第5章 暗殺の戦国史に迫る
第6章 戦国武将家の確執と内訌

婚礼の話がある。
領主クラスになると、相当派手である。

第2章は、戦国武将を支える家来の実像である。
最近は話題にならない。信長・秀吉・家康は書かれ過ぎた。
なのでその下のクラスの武将がよく記述されている。どちらかと言うと家臣である。
徳川四天王、本多忠勝・井伊直政・榊原康政。それに本多正信。
武田家四天王、高坂弾正・馬場美濃守・山県昌景。
小早川隆景・吉川元春・細川幽斎・佐竹義宣もそうだろう・・・・・・・・・
直江兼続・島左近・小田原北条の一族、氏照等・・・・・・
大好きな藤堂高虎????
読む方は楽しいが・・・・・・・
軍師の話になる。この辺は小和田哲男の「軍師・参謀」が詳しい。
高名な軍師を紹介している。
官兵衛も記述されている。
著者は官兵衛が好きになれないと言う。
身の丈を知っている評価であるが、シラッとしている!
良く言えば、臨機応変に対応したのだろう・・・・・・
家臣の生活の様子を記述してくれている。
よく分かり面白い。
最後が宮本武蔵である。
生まれから関ヶ原までの謎がある。
主に父親の事を記述している。
それから武蔵の関ヶ原は何処かを推定する。
吉川英治の影響が大きすぎる。
関ヶ原で負けた西軍に属していた?
勝者の東軍に属していたようだ・・・・・・・

第3章が、真田一族を記述している。
小学生、中学生と進み、学生時代、社会人になってからも読んでいる漫画、劇画がある。
白戸三平!
特に好きなのは、真田忍群、猿飛忍群、柳生忍群があり、風魔もある!
この真田忍者たちの活躍は面白い。
当然史実ではない。
今度大河ドラマで真田をやる。
これはどうかなと?
幸村?信繫? 最近は信繫と言うようになっている。
信繫なんて関ヶ原と大阪の陣で活躍しただけである。
人質時代の話なんて面白いのか?
関ヶ原から大阪の陣までの間、九度山での生活なんかドラマになるのか?
そうなると祖父幸綱(幸隆と思っていた)の信玄配下の時代、長篠の合戦から昌幸になり、
武田家滅亡後、織田・徳川・北条・上杉の間を泳ぎ、家康と対立する。
この幸綱と昌幸と二人の兄の話を持ってこなければ面白くないと思うが・・・・・・
信繫だけでは・・・・・
真田忍群と柳生忍群の争いと言うのであれば、メチャメチャ面白いと思うが・・・・・・・
何故真田になったのか?
政治力かと思ってしまうが・・・・・・・
著者ならそこらの事情も知っている??????
何度も思うが、明智光秀・細川幽斎・忠興・ガラシャか、北条5代記を見たかった・・・・・・・
真田の六文銭は意味は???
六文銭は六道銭の事で、三途の川の渡し賃と言う。
つまり決死の覚悟で戦いに挑む意志の表れと言う。
もう一つは、北条との戦いで、信繫が無地の旗に永楽通宝の絵を描かせて戦ったが、
北条の武将に永楽通宝が用いていたので裏切りと勘違いして混乱した。
それ以後六文銭を使っている。となると六文銭は信繫から始まった????????
やはり三途の川の渡し賃と思うが・・・・・・・
紀州九度山に真田庵の六文銭がある。是非に見に行きたい!

第4・5・6章は陰謀の戦国史なのか?
本能寺の変!!!
著者の分析も読んでいる。
黒幕説は無いだろうと、今は思う!
そもそも連絡方法をどうするのか?
手紙、書状なら暗号になるのでは?
荒木村重もそうだが、光秀なりの成算があって反逆したと思っている!
『ロマンが無くなる・・・・・・・』
宇喜多直家の話がある。
子供の頃、頭が足りないふりをしている。
それを嘆かれると、警戒され無い為にわざとやっているのだと!
本当かいなと思うが・・・・・・・・・
そう言う話はよくある。
これは記述されていないが、北条氏康が息子が椀の飯に二度汁をかけた。
毎日の事なのに、一回で出来ないのか?
讃える為に、陥れる為に作られた話ではないのかと思ってしまうが・・・・・・・
織田信長天下を取った?
勝てば官軍である!
若い頃の異様な行動も、良く言われる。
途中で弟に負けていれば、単なるアホである!
父の葬儀で、筑紫の僧なにがしが、「あれこそ国を持ちたる人ぞ!」
と絶賛された話は知っている。これも後世の話なのかと思ってしまうが?
個人的にはこの話は信用しているが・・・・・・・

親子・兄弟の確執がある。
戦国時代である。殺さなければ後に悔いが残る。
武田信玄は2度ある。父を追放し、息子を自害させた・・・・・・・・
兄をたてた弟。
武田信繁、豊臣秀長!
逆らったのは足利直義か?
伊達政宗の弟が生きていた?
と言う話は信じれる感じがする。
父親、又は母親の感情が入る。
上杉謙信も兄と戦っている。能力は謙信の方がある。
自分の跡目も二人の養子の景勝・景虎と対立する。
変った例をあげている。
備前の浦上政宗と宗景。
尼子と毛利の対立が絡んで来る。
複雑と思うが・・・・・・
やる時は徹底的にやる。毛利元就も弟でなく、後継ぎは尼子から迎えようとした家臣もいた様だ。血筋よりも力と言う事である!
養子をどこから迎えるかで紛糾する例も多そうである。
知ってい話では、大内氏の養子は大友宗麟の弟。
又会津の葦名氏も佐竹か伊達かで揉めたようだが佐竹義宣の弟になった・・・・・・・・
親子で対立する例も多い!
武田信玄、斉藤道三がある。もっとあるだろう・・・・・・
記述されていないが、大友宗麟もそうだろう。
著者の本はよく読んでいる。
分かり易く記述しているので早く読めて楽しい!
著者の本を読んでいると、ロマン(?)が無くなってくる。思い込んでいた通説が・・・・・・
面白かったです!

2015年1月23日 (金)

軍師官兵衛(番外編⑪)天下統一とは???? 天下は尾張・三河・駿河・遠江の物か!

昨年1年は、軍師官兵衛巡りをした。楽しかった!
九州・四国・中国・京・尾張・美濃・伊豆と回っている。
NHKに感謝している。
名所旧跡、特に城址を見るたびに思う事がある。
城址の説明にもある。城主は誰か?
帰って来てから調べて思う事がある。
天下は中京地方の物なのか????
近畿も入るのか?
関ヶ原以降の大名の配置がある。

九州!
豊後中津に官兵衛(播磨)、後に細川忠興(丹後)、その後は奥平氏(三河)か?
豊後の小大名達。
臼杵の太田一吉(美濃)。
岡の中川秀成 (摂津)。
高田の竹中重利(美濃)。
佐伯の毛利高政(尾張)。
安岐の熊谷直陳(近畿地方?)。
富来の垣見一直(近江)。
筑前福岡に小早川隆景(備後三原)、後に黒田長政(播磨)。
肥後は、佐々成政(尾張)で、後に加藤清正(尾張)と小西行長(摂津?)。
関ヶ原後、加藤清正が一国を領し、後に細川忠興(丹後)。
筑後柳河は立花宗茂で、田中吉政(尾張)が入り、立花宗茂が元に戻る。
久留米は毛利秀包(中国)で、後に有馬氏(播磨)が入る。
肥前唐津は寺沢広高(尾張)、後に小笠原、松平、土井、水野が入る。(三河等)

こうなると元からの大名は、薩摩の島津、肥後人吉の相良、筑後柳河の立花、
肥前佐賀の鍋島、肥前平戸の松浦、肥前大村は大村嘉前、後は秋月、筑紫とかになる。
領主はほとんど変わっている???

四国!
土佐は長曽我部で、後に山内一豊(尾張)が入る。
阿波は蜂須賀家正(尾張)が入る。
讃岐は生駒正親(美濃)が入り、後には松平(三河)が入る。
伊予は小早川隆景(備後)が入り、後に加藤嘉明(尾張)、藤堂高虎(近江)は入る。
その後は、蒲生(近江・会津)、伊達(陸奥)、松平(三河)らが入る。
地の大名は残らなかったのか??

中国は毛利氏が支配した。
備前岡山は宇喜多氏で、その後小早川秀秋(尾張)が入る。
播磨、因幡は池田氏(摂津)。
安芸は福島正則(尾張)で次は浅野家(尾張)。
出雲松江は堀尾吉晴(尾張)で、後に松平家(三河)。
津和野は亀井氏、これは尼子の旧臣である。

となると大大名はほとんど、日本の真ん中の中京・近畿の人間なのか?
これで200数十年支配したのだから、影響は残っているだろうと思う!
結局島津・毛利・鍋島と地の大名が倒幕に立つ。
土佐は特殊であり、郷士と言う長宗我部侍が倒幕に立つ。
恨みは果たされたのか?

2014年12月10日 (水)

本・牢人たちの戦国時代・渡邊大門

戦国時代、武将が戦いに敗れると、仕える武士たちは牢人となった。牢人には、真田幸村、山本勘助、後藤又兵衛などもいたが、多くは、名前を知られることもない武士たちである。主家を失い、「非正規身分」となった武士たちは、どう生きたのか。勝者の歴史に埋もれた敗者の「その後」を、丹念な史料の読み解きから、鮮やかに描きだす。

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牢人?
浪人?
最初に読んで思ったのは、関ヶ原の合戦後の牢人達である。
西軍に付き改易されられる。
宇喜多秀家、長曽我部盛親、真田昌幸等がいるが、許されると思っていたようだ。
立花宗茂は筑後柳川に復帰できた。
要は、負けた方は死ねと言う事みたい!
その牢人の希望は豊臣秀頼になる。

源平時代から戦国時代になる。
この頃から牢人は迷惑な存在だったようだ。
戦国時代は大量に牢人が増える。
牢人自体が悪なのか?
危険視されていたようだ。
秀吉の牢人追放令がある。
新たに町人、百姓にはなれない。
田畑を耕さないものは追放。
主人に断わりも無く新たな仕官先に移れない。
後藤又兵衛が当てはまる。

朝鮮半島出兵から関ヶ原になろ。
宇喜多秀家は合戦前に家中がガタガタになる。
よく言われる、宇喜多秀家位の兵は精鋭か?
吉川広家が、宇喜多軍を評して「まとまりが無くバラバラ」
かなり牢人を雇い入れていたようだ・・・・・・

牢人達を上手く使ったのが、黒田官兵衛。
九州の関ヶ原は、銭で雇ったとは言え、牢人達で戦った。

減封されたが、家臣を追い払わなかった、上杉と毛利!
牢人をあまり出していない・・・・・

関ヶ原の合戦後、牢人達の希望は大阪城になる。
ここにはキリシタン達も多く入城した。
大好きな、明石全登である。
他にもいる。
忠興の息子、興秋。
毛利勝永、氏家行広、石川数正の息子の康長・康勝、織田頼長、塙団右衛門、薄田兼相。
と言う顔ぶれがいる。
記述されていなかったが、大谷吉継の息子、増田長盛の息子らもいる。
司馬遼太郎、城塞にはもっといろいろと名前が出て来る。
変ったところでは宮本武蔵がいる。
関ヶ原、大阪の陣、天草の乱と参戦しているようだ。
全て牢人であるようだ。
武蔵自身が、どちら側で参戦したのか喋っていない様だ!
天草の乱は、幕府側である。
牢人もキリシタンなので、幕府側での参戦が多かったようだ・・・・・・

幕府は徹底的に大阪牢人を追及したようだ。

あえて牢人となった例をあげている。
嶋左近に山本勘介である。
実力があれば再仕官も可能か?
とは言え、後藤又兵衛の例もある。

牢人の悲惨な生活例として、映画「切腹」「一命」をあげている。
同じ滝口康彦の原作だが、どちらも面白い!

本・信長政権・・・本能寺の変にその正体を見る・渡邊 大門

明智光秀はなぜ謀反を起こしたのか?
異説・新説が飛び交い、いまだ論争が絶えない「本能寺の変」。光秀の性格はむしろ信長に似ていた?
四国出兵は長宗我部氏討伐が目的ではなかった?
信長は天皇を蔑ろにしていたわけではない?
将軍・足利義昭の黒幕説は成り立たない?
史料を真摯にひもときながら、日本史永遠の謎を改めて検証。あわせて織田政権の実像を浮き彫りにする。

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著者の本は何冊か読んでいる。
今回も面白かった。
最近信長について、谷口克広・渡邊大門・藤田達生と続けさまに読んでいる。
全部面白い!

旧来の信長像は「中世的権威を否定」した超人的な人物として描かれてきた。
政策、将軍や朝廷なども含めて「革新性」が強調され、彼らに代わる権力・権威
として天下統一を図ろうとしたように考えられもした。
そして自ら神になろうとしたのか?

明智光秀から始まる。
光秀のイメージがある。
やはり文献を調べている。感心する。
出自から分からない。
教養人であり、どちらかと言うと弱弱しいイメージがある。
そんな事は無いだろう。
信長に仕えて破格の出世をしている。

最近本命視されている、四国問題がある。
初めの取次は光秀である。長宗我部と親しい。
が信長の四国政策が変更になり、信孝が四国征伐に赴く。
それにより光秀が著しい不利益を被った分けではない。
光秀が信長から遠ざけられたわけではない。
そういうのは二次資料が多いと言う。
あまり記録として残っていない。
四国問題は光秀の立場を悪くしたわけでもなく、秀吉との対立があった分けではないと言う。

家臣・諸大名との関係がある。

荒木村重の謀叛。
十分な事前協議と総合的判断と言う。家臣は兵糧を本願寺に入れ、中川清秀が謀叛を勧めた・・・・・・・
そうではないようだ!
別所長治の謀叛。
やはり総合的に考えて毛利が有利と判断した結果と言う。
毛利の外交、足利義昭の働きかけがあった。『安国寺恵瓊か?』

家臣の能力による整理、粛清。
佐久間信盛は、本願寺包囲中、毎日のように茶会を開いていたと言う。『津田宗及の茶会記』
そんな話は知らなかった。
信長は総合的に判断して、もう使えないと判断した。
しかし昔の恨みも持ち出している。
早く追いだしたいのを我慢していたのか?

黒幕説の代表。
朝廷と足利義昭!
朝廷とは対立していたのか?
どうもそうでは無さそう!
改元問題、暦、三職推任問題、譲位の問題等はあるが・・・・・・

足利義昭黒幕説。
そもそも光秀は義昭を評価していたのか?
していたとは思えない。
学者・作家の思い込み、言葉尻を取っていて都合よく判断する。
そういう物ではなく、本能寺の変は、光秀なりの勝算があって起こしたものと言う。
『そう思う。黒幕に操られた等言うのであれば、信長も光秀も浮かばれない!』

最後に本能寺の変がある。
ここで斉藤利三が出て来るが大きな扱いではない。
言い尽くされている、細川幽斎・忠興、筒井順慶の動向がある。
幽斎宛ての書状は哀願に近い物と言う。
光秀なりの成算はあったと思う。
しかしそれは織田家の武将達が京都にいない空白の時、
柴田勝家VS北陸で上杉。
滝川一益VS関東で北条。
羽柴秀吉VS備中で毛利。

織田信忠は京都、丹羽長秀は大阪。徳川家康は堺か?
単にこの空白時の、時間がありその間に何とかすと言うのが、光秀の成算なのか?
その時間も上手く利用しているとは言い難い!
光秀はまず来るのは、織田家武闘派の巣窟、柴田勝家北国軍団と思っていたようだ。
なので、秀満を近江の方へ派遣している。
鈴木眞哉と思うが、信じられない秀吉の幸運により光秀の目算は狂った。
と言うのが正解か?

著者は、谷口克広・藤田達生らの引用も多い。
上手くまとめている。
面白い本です!

2014年12月 8日 (月)

本・謎とき 東北の関ヶ原 上杉景勝と伊達政宗・渡邊大門

歴史モノのキラー・コンテンツのひとつ「関ケ原の戦い」。本書では、上杉景勝と、そのライバル伊達政宗という東北の二人の大名を中心に、関ケ原の謎と俗説を、ひとつひとつ解き明かしていく。情報戦、腹の探り合い、裏切り、アリバイ工作―。数多くの史料を丹念に読み解くことで見えてきたのは、人間味溢れる大名たちの姿だった!

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最近著者の本はよく読む。
戦国時代の著書が多い。
通説を見直している。他の研究者も参考にしている。
上杉景勝と言うなら直江兼続である。
関ヶ原で果たした役割は多い!
関ヶ原前後の状況から記述されている。
上杉討伐が始まる。
上杉の出自から記述されている。
上杉も、山内・扇谷・宅間・犬懸とある。
謙信が継いだ上杉は山内である。
その長尾家から、景勝と景虎の対立から越後の領国支配がある。
景勝は秀吉に臣従する事により地位を保つ。
秀吉政権下では、越後45万石、佐渡14万石、出羽庄内三郡14万石、
信濃北四郡18万石の約90万石が支配下にある。
ここまでになり、会津蒲生氏郷亡き後、会津120万石へ移動となる。
越後には堀氏が入る。
がこの時上杉は越後の年貢を持って行ったとある。
これにより堀氏は上杉に恨みを持つ。
他の本でだが、先に蒲生氏が会津の年貢を持って行った。
ので上杉も持って行ったとあるが、この本ではそに記述は無かった。

上杉討伐までの出来事を検証している。
なかなか面白い!

通説を見直している。
三成と家康の対立。
そういう中で大谷吉継の動きも記述されている。
矛盾しているのか?
上杉討伐が始まる。
上杉の藤田信吉が裏切る!
栗田刑部と上杉を出奔するが、栗田刑部は討ち取られたとある。
が実際は生き残ったようでもある。
通説を検証する。
その中で、小山評定はあったのか???
書状の日付から判断すると矛盾が出て来る。
こうなると何を信じればよいのか?

有名な直江状がある。
これは本当なのか?
本書は残っていない。
数多くの写しが残っている。
追而書が有名である。
『会津へ家康が来るなら、上杉も待っているので雌雄を決したい!』
と言う意味になる。
写しにはこの追而書は書かれていない。
書かれているのは、軍記物と一部の書状と言う。
実際どうなのか?
直江状は本物のようだが、追而書は後世の付け加えられたようだ!
ただ上杉の気分としては、直江状の通りだったんだろう・・・・・・

最後は東北の関ヶ原になる。
伊達政宗と最上義光が上杉の敵である。
三成挙兵を聞き、家康は小山から引き返す。
兼続は徳川追撃を主張したと言う!
が、これも書かれている資料が悪いようだ!
信用出来ない様だが、この追撃の話はあったと信じたい!
著者の本は最近よく読む。
検証も、自身と他の研究者を合わせて記述している。
面白かったです!

本・黒田官兵衛・長政の野望 もう一つの関ヶ原・渡邊大門

関ヶ原合戦。武将たちは、戦いの直前までどの軍に与するのかに苦悩していた。軍師伝説を検証することで明らかになってきた黒田官兵衛・長政の暗躍の事実。関ヶ原合戦に賭けたふたりの知られざる野望に迫る。
稀代の「軍師伝説」を検証し、黒田父子の暗闘の真実に迫る。

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著者の本も何冊か読んでいる。
押しつけがましくなく、面白く読める。
出自は何処か?
近江・木之本か?
播磨・黒田庄か?

どちらも行ったが、熱の入れように差を感じた。
木之本は「軍師 官兵衛」にかけていた。
地元の人の熱気を感じた。交通機関も確かである。
西脇荘厳寺は、展示場は無人だった。
交通の便も悪い。
著者言うには、いずれも「帯に短し襷に長し」か?
本書の内容は下記の通りである。
①   秀吉没後の政局    黒田氏台頭の契機
②   九州の情勢変化    黒田氏と大友吉統
③   関ヶ原合戦      長政の活躍と苦悩
④   九州における関ヶ原  官兵衛、最後の賭け

秀吉の没後から始まる。
官兵衛は吉川広家をかっていたようだ。
著者は三成襲撃の七将を、藤堂高虎、蜂須賀家政としている。
加藤嘉明、池田輝政ではない。
秀吉没後は知っていることがほとんどである。

そして九州の情勢になる。
大友宗麟の息子、吉統が記述されている。
どちらか言うと、出来の悪い息子であり、大友家を衰退させた張本人と言う。
果たしてそうなのか?
九州攻めの前に、島津に領国を提示する。
それによると、九州攻め後の、薩摩・大隅の二か国から見ればよいと思うが・・・・・
この時、大友吉統はかなりよい!
豊後一国、肥後半国、豊前半国、筑後一国とある。
肥前一国は、毛利輝元。筑前一国は直轄領。
残りが島津とある。
もし島津が戦わなかったら、官兵衛は豊前6郡は貰えない。
面白いイフと思うが・・・・・
ともあれ島津は戦うが、降伏する!
九州攻めにも活躍したのだろう。
結局大友吉統は豊後一国になる。
豊前に入国した官兵衛は、中津に城を築く。
天守は無かったようだ。
ここで一揆にあい、苦労する。
肥後の一揆、宇都宮鎮房の成敗。
朝鮮出兵があり、大友吉統はヘマをして改易される。

そうして西の関ヶ原に突入する。
本戦は長政が大活躍する。
地方版、九州の関ヶ原の主役は官兵衛である。
本戦での長政の活躍が記述されている。
特に福島正則を東軍へに引きみ!
吉川広家を通じて毛利輝元を戦わせない!
細川忠興と並んで石田三成の陣の前に陣取った。
まともに西軍で戦ったのは石田三成に大谷吉継、宇喜多秀家か?
嶋左近と相当激しい戦いをやったようだ。

長政は広家の為にも、毛利家を残そうとしたが上手くいかない。
三成が、毛利家を削らなければ恩賞の土地が無いと言ったようだ。
その通りになった。
結果として騙された!
広家は毛利家から恨まれた。関ヶ原にいた毛利秀元。
実際に戦いを見ているだけに、もし毛利が戦いに参加していたらと言う気持ちが強い!
それだけに広家に対しての当たりは強かったと言う。
甘んじて広家はそれを受けたようだ。
恵瓊だけ悪者には出来ないと思うが・・・・・

この状況下で、大友吉統が旧領回復の為に豊後に上陸する。
西軍に付く。
この辺りは、「滝口康彦 西の関ヶ原」が詳しく面白い!
官兵衛の本当の狙いは?
やはり九州で切り取り放題として貰いたかったのか?
策士なのか?博打打なのか?
中国をも攻めようとする。
この辺は何が真実なのか分からないが・・・・・
ともあれ九州の諸城を落とし、島津攻めまで行こうとするが、家康に止められる。

長政の遺言状がある。
関ヶ原時、西軍に味方すとなれば、福島正則・加藤清正・藤堂高虎・浅野幸長らを寝がえさせることも出来た。
それ以外の大名も味方する。
要は自分と官兵衛のおかげで家康は天下を取れた。
と言いたいのか?
官兵衛は加藤清正・鍋島直茂を従えて攻め上がれば、10万の兵力となる。
どちらも自信家である!
長政は、筑前一国か、四国で二ヶ国かを選ぶように言われて、筑前を取った。
実収は100万石とも言う・・・・・・
官兵衛は加増を断ったようだ。
今更家康に恩を被りたくないと言う事なのか?
野望は、野望で終わったようだ!

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    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。