本・ここまでわかった!明智光秀の謎(2014/9)・『歴史読本』編集部
本能寺の変の実行者として「謀反人」のレッテルを貼られてきた明智光秀の実像を、最新研究から解き明かす。付録として、本能寺の変後に書かれた同時代史料「惟任退治記」全文の原文・現代語訳を掲載。
とりたてて言う目新しいものは無いと思うが・・・・・・
本能寺の変で、渡邊大門が記述している。
最近はよく読んでいる著者なので、嬉しいが内容は目新しくない。
要はみんな確実な物は無い。
出生。
誕生の地も分かっていない。
明智、明知・・・・・・・
系図もはっきりしない。
推定することだ出来る。
がいずれも帯に短し、襷に長し、と言う事のようだ。
有能であったと言う。
でなければ信長に重要視されない。
足利義昭に仕えて、信長に仕えて各地を転戦する。
家臣団の事を記述している。
家康のように譜代の家臣も多く無い!
斎藤利三も引き抜きである??
秀満も光秀との関係は不明と言う。
明智の性があると言っても一族とは限らないようだ。
人心掌握の為に、性を与える。
蒲生氏郷がそうだろう・・・・・・
ただ伊勢家臣団を配下におさめた。
これが大きい!
本能寺の変での戦死している伊勢家臣は多かったようだ。
知らなかったが、光秀の妹が信長の側室になっている。
それも光秀が優遇された一つの理由だろう・・・・・・・
光秀の5ヶ条の法度がある。
① 織田家の宿老や馬廻衆とすれ違う時は、脇によって慇懃に先方を通す事。
② 阪本と丹波を往復する場合は、洛中を通らずに、北辺の柴野・白河経由か、南辺の渋谷・大津経由で往復する事。
③ 京に用があり、人を遣わす場合は、馬を用いないこと。
④ 洛中・洛外での遊興見物は禁止すること。
⑤ 道路で他家の家臣団と口論してはいけない。もし喧嘩をした場合は理非にかかわらずに成敗するし、喧嘩をしたならその場で自害せよ。
メチャメチャ苦労人だと思う!
秀吉みたいに明るくない分、そんな役回りと思う!
当世、本当の文化人は、細川幽斎と言う。
光秀もそうだと言われているが・・・・・・・
50回前後の連歌興行を行っている。
千句興行に参加している。3回あったようだ。
1日で、4人でやる。参加者は当代一流の連歌の宗匠と言う。
句を記録する人も大変である。
有名な「ときは今 天が下しる 五月哉」
深読みし過ぎではないかと!
単に戦勝祈願と考えた方が良いと言うが、そうだろうと思う!
四国問題はどうなのか?
単に四国だけで無いようである・・・・・・・・
斎藤利三主犯説はなさそうである。
明智藪に入っている。
首塚も沢山ある見たい。
子孫も多そうであるが・・・・・・・・
本能寺の変は、渡邊大門が記述している。
その動機は?
① 家康饗応説
② 光秀骨折り発言説
③ 光秀小用説
④ 光秀の母見殺し説
⑤ 光秀移封説 出雲・石見への移封??
⑥ 光秀付髪落下説
黒幕説は記述されていない!
それぞれの説は否定的である。
正解は無いだろうと思うが・・・・・・・
やはり本能寺の変がらみの本は面白いと思う!
最後に『惟任退治記」全文の原文・現代語訳が掲載されている。
絶対に学者にはなれないと思った!
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