明智光秀 (明智・細川)

2016年3月23日 (水)

本・ここまでわかった!明智光秀の謎(2014/9)・『歴史読本』編集部

本能寺の変の実行者として「謀反人」のレッテルを貼られてきた明智光秀の実像を、最新研究から解き明かす。付録として、本能寺の変後に書かれた同時代史料「惟任退治記」全文の原文・現代語訳を掲載。

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とりたてて言う目新しいものは無いと思うが・・・・・・
本能寺の変で、渡邊大門が記述している。
最近はよく読んでいる著者なので、嬉しいが内容は目新しくない。
要はみんな確実な物は無い。
出生。
誕生の地も分かっていない。
明智、明知・・・・・・・
系図もはっきりしない。
推定することだ出来る。
がいずれも帯に短し、襷に長し、と言う事のようだ。

有能であったと言う。
でなければ信長に重要視されない。
足利義昭に仕えて、信長に仕えて各地を転戦する。
家臣団の事を記述している。
家康のように譜代の家臣も多く無い!
斎藤利三も引き抜きである??
秀満も光秀との関係は不明と言う。
明智の性があると言っても一族とは限らないようだ。
人心掌握の為に、性を与える。
蒲生氏郷がそうだろう・・・・・・
ただ伊勢家臣団を配下におさめた。
これが大きい!
本能寺の変での戦死している伊勢家臣は多かったようだ。
知らなかったが、光秀の妹が信長の側室になっている。
それも光秀が優遇された一つの理由だろう・・・・・・・

光秀の5ヶ条の法度がある。
①   織田家の宿老や馬廻衆とすれ違う時は、脇によって慇懃に先方を通す事。
②   阪本と丹波を往復する場合は、洛中を通らずに、北辺の柴野・白河経由か、南辺の渋谷・大津経由で往復する事。
③   京に用があり、人を遣わす場合は、馬を用いないこと。
④   洛中・洛外での遊興見物は禁止すること。
⑤   道路で他家の家臣団と口論してはいけない。もし喧嘩をした場合は理非にかかわらずに成敗するし、喧嘩をしたならその場で自害せよ。

メチャメチャ苦労人だと思う!
秀吉みたいに明るくない分、そんな役回りと思う!

当世、本当の文化人は、細川幽斎と言う。
光秀もそうだと言われているが・・・・・・・
50回前後の連歌興行を行っている。
千句興行に参加している。3回あったようだ。
1日で、4人でやる。参加者は当代一流の連歌の宗匠と言う。
句を記録する人も大変である。

有名な「ときは今 天が下しる 五月哉」
深読みし過ぎではないかと!
単に戦勝祈願と考えた方が良いと言うが、そうだろうと思う!

四国問題はどうなのか?
単に四国だけで無いようである・・・・・・・・
斎藤利三主犯説はなさそうである。

明智藪に入っている。
首塚も沢山ある見たい。
子孫も多そうであるが・・・・・・・・

本能寺の変は、渡邊大門が記述している。
その動機は?
①   家康饗応説
②   光秀骨折り発言説
③   光秀小用説
④   光秀の母見殺し説
⑤   光秀移封説     出雲・石見への移封??
⑥   光秀付髪落下説

黒幕説は記述されていない!
それぞれの説は否定的である。
正解は無いだろうと思うが・・・・・・・

やはり本能寺の変がらみの本は面白いと思う!
最後に『惟任退治記」全文の原文・現代語訳が掲載されている。
絶対に学者にはなれないと思った!

2015年3月18日 (水)

本・目からウロコの戦国時代・谷口克広

一般に誤って知られていることを取り上げて正しい説を紹介。また、第二に、あまり知られていない興味深い事実も紹介する。
面白さによって独り歩きした話が多い。質のよい史料をひもといていけば、そこには真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実が見えてくる。
長年、戦国史、特に織田信長を研究してきた著者が、そうした史料をできるだけわかりやすく解説し、戦国時代に精通した人にも初心者の読者にも、「目からウロコ」が落ちるような話満載の戦国時代の決定版!

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著者の本はよく読む。
押しつけがましい事は無いし、他者への批判も適正(?)である。
内容的にはそんなに新しいものではない。
戦国時代はいつから始まり、終わるのか?
応仁の乱から始まり、1590年の秀吉による天下統一までとする。
著者が、普通にどうなのかと言う疑問に答えてくれる。

蓮如の教え。「支配者に従順であれ、年貢・公事をきちんと納めよ」
真宗の教義とはかけ離れた多数の一向宗信者が、現世に利益を求めて集まった。

北条氏康の河越夜戦。どうやら世に名高い夜戦では合戦ではなかったようだ・・・・・

鉄砲はポルトガルより先に、中国から伝来していた???
信長が楽市楽座を積極的に進めたのでは無さそう・・・・・

秀吉が人を殺したがらなかった?
実際に信長の命令で、皆殺しもやっている。
歳を取ってからは、自分の意志でたくさん殺している。
信長は荒木村重の家族を皆殺しにしたが、秀次の妻妾を皆殺しにしたのは秀吉である。

本能寺の変の黒幕説。
やはり単独犯とみた方が良いようだ。

安土桃山時代。
何故桃山と言うのか分からなかった。
吉野の桜に対して、桃の白い花の木を植えたからと聞いて納得した。
がどうもそうでは無さそう・・・・・
桃山と言われるようになったのは明治時代からと言う。

信長に追放された佐久間信盛。
本願寺を包囲しながら4年間、一度も戦わなかったと言う。
別の著作では、包囲中もお茶三昧だっとも言う。

安土宗論。
浄土宗と日蓮宗の宗論。
初めから日蓮宗の負けは決まっていたと言う。信長の日蓮宗の弾圧!
宗論は日蓮宗が勝ったようだが・・・・・・

木綿が信長に天下を取らせた。
木綿は便利と言う。鉄砲の火縄にも使える。
中国・朝鮮半島からの輸入に頼る。
が輸入制限され、尾張・三河で生産する。
木綿を制した信長が天下を制した???

清須会議の滝川一益の立場。
北条との戦いで敗れて宿老の座を外されて、清須会議にも呼ばれなかった。
と言うより、会議の日までに戻れなかったようだ!
といろいろな事柄について、真実でありながら、真実としてとらえられずにいた事実を浮かび上がらせている。

武田信玄の肖像画についての話もある。
謙信と一騎打ちしたと言う割には、太り過ぎと感じていた。
これも違うようだ。
と言うと、柴田勝家もどうかなと思っている。

織田信長の子供は22人と言う。家康は16人と言う。
信長に関して言えば、これだけの子供がいて誰も天下を継げなかったのは、器量不足だったのか?
親父の偉さが光るのか???

名前もよく変わるので分からない。
信長の弟、信行?信勝?
色々ありそう!

知っている話も多いが面白かったです!

2015年3月 6日 (金)

本・信長の政略: 信長は中世をどこまで破壊したか・谷口克広

信長はどこまで中世を打ち破ったのか?外交と婚姻政策、対朝廷、対将軍、対宗教、家臣団統制、居城移転策、戦略・戦術、農政、商工業、交通、町に対する政策等、あらゆる信長の事跡を徹底検証!真の信長政権像を提示する!

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著者の本もよく読んでいる。
織田信長関係で面白い。
著者も好きな織田信長の研究が出来て幸せだろう。
分かり易く記述してくれている。
いつも関心するが、研究者は良く文献を読んでいる。
そして実際に検証している。
記録を取り上げるかどうかは迷うと思う!

序章  信長の天下布武への道
第一部 周囲に対する政略
第二部 統一戦争に向けた政略
第三部 民衆統治に関する政略
終章  信長の政略を総括する

以上に分かれていて、さらに細かく分析している。
読んでいて非常に分かり易い。そう言う風に記述しているのだろう。

信長の外交の致命的な欠陥!
敵を許さず討伐してしまう事にあると言う。『秀吉との差か?』

公家たちへの経済的援助として、所領宛行いと徳政令を実行した。
援助はしていた。

日蓮宗の弾圧。
日蓮宗は過激な行動を取る。山科本願寺を焼き延暦寺とも対立する。
諸勢力の軍勢によって京から追い出されたと言う。
安土宗論、安土で日蓮宗信者が揉め事を起した。日蓮宗から宗論を望んだ!
信長の日蓮宗弾圧のチャンスが来た。
日蓮宗には勝つチャンスは無かったようだ。

本願寺の教えそのものを信長は排除していない。
伊勢神宮は20年毎に遷宮するが、費用の関係で中断していた。
信長はこの費用を出す。一千貫の見積に対して三千貫だす用意があり、
さらに上積を申し出る。
自己神格家についても、否定する研究家も多い。
フロイスが問題のようだ。何処まで信用するのか?
こうなると宗教観はどうなのか?
無神論者では無さそうと思うが・・・・・・・
信長の家臣の編成がある。
家臣は譜代外様を問わずに粛清が多いようだ。
昔の恨みなのか?
能力が無いと思われ、もう不要と思われたのか?
佐久間信盛の話がある。無能なのか?
昔の逆らった事を罰しているのか?
家臣団の再編成なのか?(無能な武将は追放される)

信長の戦いがある。
籠城は無い。
絶えず相当な兵を集めて攻勢に出る。
兵を集中できる体制、外交、経済、調略がもの凄いと言う!
兵站、ロジェスチックも考えていたのだろう・・・・・・
信長が本能寺の変で倒れなければどうなっていたか?
上杉は滅びる。
毛利はまだ減国されるだろう!
長曽我部は土佐一国か?
東北は北条をはじめ織田と友好的である。
九州も簡単に片付くだろう・・・・・
3年から5年で天下は、完全に織田政権になる。
武将達の粛清もあるだろう。

信長の業績が項目ごとに記述されて大変分かり易い、面白い本でした。

2015年2月 5日 (木)

本・こんなに面白いとは思わなかった!関ヶ原の戦い・渡邊大門

「西軍が敗北した本当の理由は?」「石田三成と徳川家康は最初から対立していたのか?」「宮本武蔵は東軍か?西軍か?」その後の日本の歴史の流れを決定づけた「天下分け目の一戦」を、気鋭の歴史学者がQ&Aの形式で様々な角度から検証する!

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黒田官兵衛もこの形式の50のQ&Aだった。
著者の得意とする形式なんだろう・・・・・・・

第一部      豊臣秀吉没後のさまざまな謎
第二部      政治情勢をめぐるさまざまな謎
第三部      関ヶ原合戦前哨戦の謎
第四部      関ヶ原合戦における攻防の謎
第五部      諸大名たちのその後の謎

著者の本はよく読んでいるので、理解している話も多い。
一番印象に残った話。細川忠興の側室の数が15人と言う話!
秀吉と変わらない。
こうなると忠興のガラシャに対する態度はいかがなものかと思うが・・・・・・・

関ヶ原については、「司馬遼太郎の関ヶ原」を学生時代に読んだ。
メチャメチャ興奮した!
司馬遼太郎が記述しているのなら史実と思ってしまう。
最近ロマンが無くなって来ている。
七将に追いかけられて家康の屋敷に逃げ込んだ。
これは三成の作戦と言うが、実際は無かったようだ。自分の伏見屋敷に逃げ込んだようだ。
秀吉存命の頃から三成と家康は対立していた????
どうもそうではなさそうな感じである。
三中老と言う役職も無かったみたいである。
家康の私婚の相手は、伊達・福島・蜂須賀家である。これに黒田長政が入っていない。
これは前から疑問に思っていた!!!!

第二部の、政治情勢をめぐるさまざまな謎は面白い。
上杉景勝の会津移封。
越後の年貢を会津に持って行ったという。
これで越後堀氏と揉める。
ただ会津の蒲生氏が先に持って行ったと思っているが・・・・・・・・・
景勝・兼続と三成の連携は無かったようだ!
直江状の話は山ほどある。
家康に対する挑戦状は後で付け加えられたようだ。
小山評定はあったのか。
ドラマ関ヶ原では、福島正則役の丹波哲郎が名古屋弁丸出しで会議をリードする。
丹波哲郎は役者である!上手い!!!
この場面が今でも目に焼き付いている。
実際はどうなのか?????
合戦時は、西軍・東軍とは言わなかったようだ。

三成の前面の敵と並ぶ、関ヶ原の激戦地、宇喜多秀家と福島正則の戦い。
宇喜多秀家1万7千と福島正則6千の激突である。
宇喜多勢は精鋭なのか?
どうも違うようだ。精鋭なら福島隊は壊滅している。
やはりロマンが無くなってくる・・・・・・・・・・・・

第三部が関ヶ原合戦前哨戦の謎。第四部の関ヶ原合戦における攻防の謎
徳川本軍は秀忠か?
この話題もいろんな本で読む。
どちらとも言えないと!
家康の下には、本多忠勝に井伊直政がいる。
秀忠には榊原康政がいる。
秀忠軍を残したと言う話もあるが、結城秀康も残っている。
どうでしょか?
嶋左近がいる!どれだけの武将だったのかよく分からない!
家康と五分では戦えないだろうとは思う・・・・・・・・・
宮本武蔵は関ヶ原の合戦時、何処で戦ったのか?
本戦の関ヶ原か、九州なのか?
徳川か?石田か?
これは武蔵も悪い。ちゃんと記録を残していない。
どうも九州のようだが・・・・・・・・

いろんな話があり面白い。
第六部      最後が諸大名たちのその後の謎である。
著者の本はよく読んでいるので、知っている話も多いが、面白い本でした!

 

2015年2月 4日 (水)

本・戦国史が面白くなる「戦国武将」の秘密・渡邊大門

なぜ兄弟は反発したのか―浦上政宗と宗景 ・御館の乱の背景―上杉景勝と景虎
徳川家康の健康法は「粗食」にあり!政宗の弟・小次郎は僧として生き残っていた?真田信繁は、なぜ「幸村」と呼ばれたのか?光秀の謀反と荒木村重の叛逆との共通点とは?

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最近著者の本はよく読む!
著者は、大河ドラマに批判的と感じる。
有り得ない場面も多そうだとは思うが・・・・・・・・
見ていられない感じがするのだろう・・・・・・
内容は下記の通りである。
第1章 戦国武将の日常生活を覗く
第2章 戦国武将を支える家来の実像
第3章 戦国ファンを魅了する真田一族とは?
第4章 本能寺の変―その永遠の謎は解けるのか
第5章 暗殺の戦国史に迫る
第6章 戦国武将家の確執と内訌

婚礼の話がある。
領主クラスになると、相当派手である。

第2章は、戦国武将を支える家来の実像である。
最近は話題にならない。信長・秀吉・家康は書かれ過ぎた。
なのでその下のクラスの武将がよく記述されている。どちらかと言うと家臣である。
徳川四天王、本多忠勝・井伊直政・榊原康政。それに本多正信。
武田家四天王、高坂弾正・馬場美濃守・山県昌景。
小早川隆景・吉川元春・細川幽斎・佐竹義宣もそうだろう・・・・・・・・・
直江兼続・島左近・小田原北条の一族、氏照等・・・・・・
大好きな藤堂高虎????
読む方は楽しいが・・・・・・・
軍師の話になる。この辺は小和田哲男の「軍師・参謀」が詳しい。
高名な軍師を紹介している。
官兵衛も記述されている。
著者は官兵衛が好きになれないと言う。
身の丈を知っている評価であるが、シラッとしている!
良く言えば、臨機応変に対応したのだろう・・・・・・
家臣の生活の様子を記述してくれている。
よく分かり面白い。
最後が宮本武蔵である。
生まれから関ヶ原までの謎がある。
主に父親の事を記述している。
それから武蔵の関ヶ原は何処かを推定する。
吉川英治の影響が大きすぎる。
関ヶ原で負けた西軍に属していた?
勝者の東軍に属していたようだ・・・・・・・

第3章が、真田一族を記述している。
小学生、中学生と進み、学生時代、社会人になってからも読んでいる漫画、劇画がある。
白戸三平!
特に好きなのは、真田忍群、猿飛忍群、柳生忍群があり、風魔もある!
この真田忍者たちの活躍は面白い。
当然史実ではない。
今度大河ドラマで真田をやる。
これはどうかなと?
幸村?信繫? 最近は信繫と言うようになっている。
信繫なんて関ヶ原と大阪の陣で活躍しただけである。
人質時代の話なんて面白いのか?
関ヶ原から大阪の陣までの間、九度山での生活なんかドラマになるのか?
そうなると祖父幸綱(幸隆と思っていた)の信玄配下の時代、長篠の合戦から昌幸になり、
武田家滅亡後、織田・徳川・北条・上杉の間を泳ぎ、家康と対立する。
この幸綱と昌幸と二人の兄の話を持ってこなければ面白くないと思うが・・・・・・
信繫だけでは・・・・・
真田忍群と柳生忍群の争いと言うのであれば、メチャメチャ面白いと思うが・・・・・・・
何故真田になったのか?
政治力かと思ってしまうが・・・・・・・
著者ならそこらの事情も知っている??????
何度も思うが、明智光秀・細川幽斎・忠興・ガラシャか、北条5代記を見たかった・・・・・・・
真田の六文銭は意味は???
六文銭は六道銭の事で、三途の川の渡し賃と言う。
つまり決死の覚悟で戦いに挑む意志の表れと言う。
もう一つは、北条との戦いで、信繫が無地の旗に永楽通宝の絵を描かせて戦ったが、
北条の武将に永楽通宝が用いていたので裏切りと勘違いして混乱した。
それ以後六文銭を使っている。となると六文銭は信繫から始まった????????
やはり三途の川の渡し賃と思うが・・・・・・・
紀州九度山に真田庵の六文銭がある。是非に見に行きたい!

第4・5・6章は陰謀の戦国史なのか?
本能寺の変!!!
著者の分析も読んでいる。
黒幕説は無いだろうと、今は思う!
そもそも連絡方法をどうするのか?
手紙、書状なら暗号になるのでは?
荒木村重もそうだが、光秀なりの成算があって反逆したと思っている!
『ロマンが無くなる・・・・・・・』
宇喜多直家の話がある。
子供の頃、頭が足りないふりをしている。
それを嘆かれると、警戒され無い為にわざとやっているのだと!
本当かいなと思うが・・・・・・・・・
そう言う話はよくある。
これは記述されていないが、北条氏康が息子が椀の飯に二度汁をかけた。
毎日の事なのに、一回で出来ないのか?
讃える為に、陥れる為に作られた話ではないのかと思ってしまうが・・・・・・・
織田信長天下を取った?
勝てば官軍である!
若い頃の異様な行動も、良く言われる。
途中で弟に負けていれば、単なるアホである!
父の葬儀で、筑紫の僧なにがしが、「あれこそ国を持ちたる人ぞ!」
と絶賛された話は知っている。これも後世の話なのかと思ってしまうが?
個人的にはこの話は信用しているが・・・・・・・

親子・兄弟の確執がある。
戦国時代である。殺さなければ後に悔いが残る。
武田信玄は2度ある。父を追放し、息子を自害させた・・・・・・・・
兄をたてた弟。
武田信繁、豊臣秀長!
逆らったのは足利直義か?
伊達政宗の弟が生きていた?
と言う話は信じれる感じがする。
父親、又は母親の感情が入る。
上杉謙信も兄と戦っている。能力は謙信の方がある。
自分の跡目も二人の養子の景勝・景虎と対立する。
変った例をあげている。
備前の浦上政宗と宗景。
尼子と毛利の対立が絡んで来る。
複雑と思うが・・・・・・
やる時は徹底的にやる。毛利元就も弟でなく、後継ぎは尼子から迎えようとした家臣もいた様だ。血筋よりも力と言う事である!
養子をどこから迎えるかで紛糾する例も多そうである。
知ってい話では、大内氏の養子は大友宗麟の弟。
又会津の葦名氏も佐竹か伊達かで揉めたようだが佐竹義宣の弟になった・・・・・・・・
親子で対立する例も多い!
武田信玄、斉藤道三がある。もっとあるだろう・・・・・・
記述されていないが、大友宗麟もそうだろう。
著者の本はよく読んでいる。
分かり易く記述しているので早く読めて楽しい!
著者の本を読んでいると、ロマン(?)が無くなってくる。思い込んでいた通説が・・・・・・
面白かったです!

2014年12月29日 (月)

丹後・田辺城 幽斎が500の兵で守った城

丹後・田辺城 

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関ヶ原の合戦時、幽斎が500の兵で立てこもった。
攻める西軍は1万以上の兵である。
真剣に攻めたのかと言いたくなる。

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幽斎の才能が身を助けたと言う。
朝廷の勅使で双方兵を引いた。
この兵が関ヶ原に向かっていたらどうなっていたか???

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攻める小野木重勝は、合戦後結局切腹となる。
どうも忠興が助命を蹴ったようだ。
舞鶴公園に門があり、田辺城資料館(無料)もある。
もっとも月曜日は休館日である。

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城址を巡る時は、「城郭放浪記」を参考にさせて貰っている。
非常に助かっている。
今回もっと真剣に読んで行くべきだった。
駐車場は前の舞鶴警察署の駐車場を使えばよいと記述してある。
真面目に50m離れた駐車場に止めてしまった!!!!!
1時間100円だが、値段の問題では無く気分の問題である。

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2014年12月27日 (土)

宮津・大手川ふれあい広場のガラシャの像!!!

宮津市、教会より川沿いにガラシャの像がある。
小さな公園である。

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2013年、細川忠興・ガラシャ生誕450年記念事業として、大手川ふれあい広場に、ガラシャの像が建立されたと言う。

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宮津城は、川の東側にあったので、像は東を向いているようだ。
細川護煕も来ている。
ガラシャは丹後の地に教会を建てかったようだ!
宮津は、丹後はガラシャに賭けているのか?????

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2014年12月26日 (金)

宮津・聖ヨハネ天主堂カトリック宮津教会 「現在の使用されている最古の教会」

宮津城の土塀の反対側に教会がある。
幼稚園も経営している???
奥さんが行きたがった。

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明治29年にフランス人神父によって建てられたロマネスク様式のカトリック教会と言う。
内部は靴を脱いで入る。
畳敷きである。

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中はクリスマスの飾りつけをやっていた。
教会前には女性の像がある。
これはガラシャでは無さそう・・・・・

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2014年12月24日 (水)

丹後・宮津城 ここはガラシャが売りなのか???

丹後・宮津城
宮津城の遺構は残っていないと言う。
細川幽斎・忠興親子の時代の宮津城は場所も特定できていなようだ。
現在の宮津駅北西部一帯に築かれていたようだ。
京極氏の時代に完成した城址は特定できているようだ。
川沿いには、城郭風の土塀が造られている。
宮津小学校には太鼓門が移設されている。
寂しい風景である・・・・・・・

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丹後・宮津城
京都府宮津市鶴賀

丹後・一色稲荷 忠興の謀殺!「長政の宇都宮鎮房の謀殺」

12月にブリしゃぶを食べに丹後宮津まで来ている。
食事後、宮津駅に行った。
駅前は雪が積み上げてある。

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丹後の元領主は名門一色氏!
なかなか従わなかったようだ。
この辺りは官兵衛の中津に通じる物がある。
当主の名前は色々言われているようで、実名は伝わっていないようだ。
宮津駅からすぐのところに一色稲荷がある。
道路沿いにある小さな稲荷神社である。

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そこに『一色義清自刃の碑』がある。
名前はよく分かっていないとある。
官兵衛と長政は宇都宮鎮房を謀殺した。
幽斎と忠興も一色義清を謀殺した。

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これは、「松本清張 逃亡者」「海音寺潮五郎 一色崩れ」が面白い!
細川家も後ろめたかったのか?
城郭内のこの地に鎮魂の社を存続させたと言う!
そう言えば中津にも城井神社があった!
長政が丹後から中津に変った時、城井神社を見て何か感じたのか????
一色稲荷も、光秀・幽斎・忠興・ガラシャが大河ドラマになれば観光客でにぎわうだろうと思う!
が当分無理なようだ!
次の戦国時代は真田である!
個人的偏見では、北条5代が見たいと思っている。
各地方自治体も大変である!

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一色稲荷
京都府宮津市字鶴賀


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