豊臣秀吉 (秀吉関連)

2015年5月 1日 (金)

本・戦国政略結婚史 ~浅井三姉妹が生きた時代・高野澄

戦国時代は、もっとも政略結婚が盛んな時代だった。しかし、その九割は天下取りとは無縁な、戦国大名や国人・土豪層の境を接したもの同士の現状維持を図るための一手段だった。歴史の常識を破壊する。

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攻略結婚と言えばハスプブルク家の事かと思う!
浅井長政の例がある。
父久政は六角氏と近い。
長政は六角氏の家臣の娘を貰う?
が曲がりなりにも浅井家も戦国大名である。
家臣の娘では、長政のプライドが許さない。
そこでも信長が、妹お市の方を嫁がすことで浅井と同盟を結ぶ。
結局離反するが・・・・・・・

二つの系図がある。
鎌倉時代の、北条と足利の婚姻である。
北条が足利に気を使ったのか?
足利が北条にすり寄ったのか?
足利の当主は、北条から妻を迎えている。

足利時代、足利は日野家から嫁を迎えている。
その系図を見ていれば、両者の思惑が感じられる。
双方にメリットがあるのが攻略結婚。
こうなると子供は多い方が良い。
武田信玄の子供の行先がある。
全て攻略結婚のようだ。
北条、織田、上杉、そして重要な家臣に嫁がせる。
適当な年齢の子供がいなければ、一族の娘を養女として嫁がす。
同盟が破綻すれば娘は婚家へ帰させる。
お市の方は帰らなかった。

信長は徹底して
織田と明智の血をひく、
信長の弟、信行の息子信澄。正室は光秀の娘である。
その息子昌澄がいる。
こういう人は複雑になる。
忠興・ガラシャと関係がある。
そういう事であれば助けてくれる人もいる。

攻略結婚の有効期限。
目の前の出来事を解決できれば終わり。
持続するには次から次と婚姻を繰さなければならない。
信玄・義元・氏康の三国同盟。
それぞれにメリットがある。
義元が信長に討たれて状況が変わった。
メリットが無ければ終わる。

毛利元就の有効活用したと言う。
養子縁組の方が有名である。
吉川元春、小早川隆景と養子に出す。
信長も息子信孝、信雄を神戸・北畠に送り込む。
新井白石の信長の糾弾がある。
『親子兄弟の論理を大切にしていない!』
結果としてみればそうなんだろうが、別に信長だけではない。

徳川家斉の55人の子供。
戦国時代は現状を変える為に行われる。
江戸時代は現状を変え無い為に行われる。
この例は面白い。
はっきり言えばメチャメチャである!
藤原氏の攻略結婚。源氏、平氏からの攻略結婚の例が沢山記述されている。
非常に面白い。

2015年4月23日 (木)

本・天地雷動・伊東潤

信玄亡き後、戦国最強の武田軍を背負った勝頼。これを機に武田家滅亡を目論む信長、秀吉、家康。息詰まる駆け引きの果て、ついに合戦へと突入する。かつてない臨場感と、震えるほどの興奮!待望の歴史長編!

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信玄が亡くなる。
後継ぎはどうなるのか?
四男でありながら相続人になる。
が宿老と対立する。
武田家四天王。
馬場信春、内藤昌秀、山県政景、春日虎綱。
勝頼の腹心、長坂釣閑斎。
四天王と対立する。
勝頼は自分の意見を言えない。
信玄の遺言と言う事で無視される。
と言う場面から始まる。

家康、秀吉、勝頼と武田家の家臣が交互に出て来て長篠の合戦まで続く。
家康は苦労している。
信長にええように使われている。
信長の苦しい時、姉川の合戦とかには出陣している。
が反対は少ない。家康への援軍は少ない。
信玄上洛時も信長は3千の援軍である。
家康も後に信康自害の元を作った、酒井忠次みたいに主君を主君と思わない家臣がいる。
徳川家四天王の一人である。
あまり家康の家臣は登場しない。
信玄亡き後の武田家もまだまだ健在である。
武田の圧力を感じる。
信長は武田との決戦を考えている。
その為に鉄砲3千丁を調達する。
5百丁追加になるが・・・・・・
それも同じ性能の鉄砲を造らせる。
これを秀吉が命じられる。
信長の命令である。拒否は出来ない。
今井宗久が受ける。
当時の堺は鉄砲の生産地である。
近江国友もそうである。
鉄砲だけではない。
硝石や玉も手配する。

この3千丁の鉄砲はあったのか?
千丁の横に三を付け加えたとも言う。
又各武将に数十丁ずつ差し出させたとも言う。
ギリギリで間に合うが、それならば3千人の撃ち手がいる。

3段撃ちはあったのか?
最近の研究では無かったと言う。
と言うより鉄砲隊で何人かがまとまって、一人撃ち、次に撃つ、そうして次になる。
そう言う撃ち方をしたのではないか?
やはり鉄砲は強力な武器である。
戦場でいくら大声でも、一斉射撃の命令は出来ないと思う。
散弾の撃ち方もある。

小説では勝頼と宿老の対立がある。
官僚、長坂釣閑斎に対する宿老たちの反感!
「三成と七将みたいな話である」
信長は決戦できる場所を探す。
勝頼が勝てると思える場所である。
そこで長篠設楽原が選ばれる。

周到に勝頼が決戦を求める様に仕向ける。
勝頼が引けないように考える。
その為に信長は兵力を見せない。
勝頼の宿老たちは撤退も考慮に入れている。
が一門衆が動かない。
勝頼も宿老たちに、言ってはいけない事を言ってしまう。
『命が惜しいのか!』
宿老たちはあきらめる。もはや何を言っても無駄と!
最初に、酒井忠次の鳶ヶ巣山攻撃がある。
状況が変わった。
撤退を進言されるが勝頼は拒否!!

家康に信長は佐久間信盛を付ける。
監視役なのか?
将来追放されるがこの頃は信頼されていたのか?
もっとも新田次郎は、佐久間信盛を弱小としている。
ここを馬場信春が攻める様に記述していたが・・・・・

武田の戦死者は1万と言う。
それより歴戦の勇士を失った。
馬場信春、内藤昌秀、山県政景、真田信綱、真田昌輝、土屋昌継、原昌胤・・・・・・
織田・徳川連合軍は名だたる武将の戦死者は無かったようだ。

最後は春日虎綱の進言がある。
北条との同盟強化と、北条の支配下になり生き残りを図る。
一門衆、穴山信君、武田昌豊の切腹。
木曽義昌の国替え。
どれも出来なかったようだ。
面白かったです!

2015年2月23日 (月)

紀伊・根来寺・戦国の異能集団(鉄砲傭兵集団)

根来の忍び!
子供の頃は白戸三平の漫画の影響がある。
これに根来の忍びが描かれている。
そのイメージから抜け切れない。

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雑賀と並ぶ鉄砲傭兵集団である。
最近は、神坂次郎の本を読み直している。
紀州と言う事で根来寺も良く出て来る。
寺領72万石、堂塔2700、僧坊4500人、僧兵3万と言う。
秀吉に攻められて、放たれた火矢が弾薬庫に命中し、爆発を起こして壊滅する。
新義真言宗の総本山である。

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遅い時間に行った。
駐車場は車が多かった。
がバスは止まってなかった。
ゆっくり回れた。
16時前だったが、参拝出来るところはさせて貰った!
ここが攻められたとは、いかに雑賀と並び根来が警戒されたと言う事なんだろう!

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根来寺
和歌山県岩出市根来2286

紀伊・太田城・秀吉の水攻めに屈した城!

和歌山城の次に、太田城に寄った。
遺構は残っていない様だ。
町中の、来迎寺の辺りが本丸跡と言う!
来迎寺の入口のところに案内があり、寺の境内に石碑がある。
これが又大きい石碑である。
遺構が残っていない分だけ石碑を大きくしたのか????

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第一次太田城攻めは、1557年(天正5年)に織田信長が攻めた。
この時は上手くいかなかったようだ・・・・・・
第二次太田城攻めは、1585年(天正13年)羽柴秀吉が行った。
時代が違う!
信長はまだ各地に敵を抱えていた。
秀吉は小牧長久手の戦いの後に、各個撃破で各地の従わなかったところを攻めた。
太田城の戦いは備中高松城、武蔵忍城とともに、日本三大水攻めのひとつに数えられる。
別に水攻めしなくても良かったと言う!
秀吉のアピールの為にやった???

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紀の川の水をせき止め、城から300m離れた周囲に堤防を築いた。
堤防の高さは3-5m、幅30mで、6kmにも及んだと言われている。
工事に要した人数は469,200名。
昼夜突貫工事で6日間で仕上げたと思われている???
同年4月1日より水を入れ始め、4月3日から数日間大雨が降り続け、水量が増し始めた。そのため城の周りは浮城のような状態になったと言われている。
469,200人なんてどうやって調べたのか?
そんな数字は信じ難いが?????

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秀吉の運の強さなのか?
備中高松城も、空梅雨と思われていたのに、大雨が降り一挙に水かさが増えたと言う。
備中高松城は、水攻めを行い易い地形である。
実際に行っているので納得できるが、太田城は大変だっただろう・・・・・
良く堤防が決壊しなかったと思う!

好きな人は、細かい遺構まで見物していると思う!
何も無かったが、来たと言う自己満足に浸れました!

2014年12月10日 (水)

本・牢人たちの戦国時代・渡邊大門

戦国時代、武将が戦いに敗れると、仕える武士たちは牢人となった。牢人には、真田幸村、山本勘助、後藤又兵衛などもいたが、多くは、名前を知られることもない武士たちである。主家を失い、「非正規身分」となった武士たちは、どう生きたのか。勝者の歴史に埋もれた敗者の「その後」を、丹念な史料の読み解きから、鮮やかに描きだす。

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牢人?
浪人?
最初に読んで思ったのは、関ヶ原の合戦後の牢人達である。
西軍に付き改易されられる。
宇喜多秀家、長曽我部盛親、真田昌幸等がいるが、許されると思っていたようだ。
立花宗茂は筑後柳川に復帰できた。
要は、負けた方は死ねと言う事みたい!
その牢人の希望は豊臣秀頼になる。

源平時代から戦国時代になる。
この頃から牢人は迷惑な存在だったようだ。
戦国時代は大量に牢人が増える。
牢人自体が悪なのか?
危険視されていたようだ。
秀吉の牢人追放令がある。
新たに町人、百姓にはなれない。
田畑を耕さないものは追放。
主人に断わりも無く新たな仕官先に移れない。
後藤又兵衛が当てはまる。

朝鮮半島出兵から関ヶ原になろ。
宇喜多秀家は合戦前に家中がガタガタになる。
よく言われる、宇喜多秀家位の兵は精鋭か?
吉川広家が、宇喜多軍を評して「まとまりが無くバラバラ」
かなり牢人を雇い入れていたようだ・・・・・・

牢人達を上手く使ったのが、黒田官兵衛。
九州の関ヶ原は、銭で雇ったとは言え、牢人達で戦った。

減封されたが、家臣を追い払わなかった、上杉と毛利!
牢人をあまり出していない・・・・・

関ヶ原の合戦後、牢人達の希望は大阪城になる。
ここにはキリシタン達も多く入城した。
大好きな、明石全登である。
他にもいる。
忠興の息子、興秋。
毛利勝永、氏家行広、石川数正の息子の康長・康勝、織田頼長、塙団右衛門、薄田兼相。
と言う顔ぶれがいる。
記述されていなかったが、大谷吉継の息子、増田長盛の息子らもいる。
司馬遼太郎、城塞にはもっといろいろと名前が出て来る。
変ったところでは宮本武蔵がいる。
関ヶ原、大阪の陣、天草の乱と参戦しているようだ。
全て牢人であるようだ。
武蔵自身が、どちら側で参戦したのか喋っていない様だ!
天草の乱は、幕府側である。
牢人もキリシタンなので、幕府側での参戦が多かったようだ・・・・・・

幕府は徹底的に大阪牢人を追及したようだ。

あえて牢人となった例をあげている。
嶋左近に山本勘介である。
実力があれば再仕官も可能か?
とは言え、後藤又兵衛の例もある。

牢人の悲惨な生活例として、映画「切腹」「一命」をあげている。
同じ滝口康彦の原作だが、どちらも面白い!

2014年12月 4日 (木)

軍師官兵衛(番外編⑩秀吉の家臣)秀吉の晩年は寂しかった??

秀吉は出身が出身なので、元からの家臣に恵まれない。譜代の家臣がいない。
のし上がっていくにつれて優秀な家臣が欲しいがそんなにいない。
他家の家臣に手を出す。
家康の重臣、石川数正。本多忠勝。
大友宗麟の家臣、高橋紹雲立花宗茂
島津の新納忠元。
伊達の片倉小十郎。
直江兼続も手を出されている。
もっといるだろう・・・・・・
例えば秀吉自ら、家臣にの領土を主君に命じて決める場合がある。
直江兼続もそうであるし、細川家家臣・松井康之、島津家家臣・伊集院幸侃、堀家の堀監物らがいる。
自分の手足となる有望な人がいない。
半兵衛、秀長、小六と亡くなってからは余計にそう感じるが・・・・・・
動かす兵が多くなる。
秀吉一人で指揮出来ない。
軍監が必要になる。
これに人がいない。

四国攻めは官兵衛が軍監を勤めている。
九州攻めがある。
官兵衛は隆景らと侵攻している。
仙石秀久は、先の四国征伐の功で讃岐高松10万石の領主となっていた。
官兵衛はまだ中津18万石を貰っていない。
九州攻めでは軍監を努めた。
戸次川の戦いがある。12月12日 (旧暦)早朝、戸次川を挟んで両軍が対峙した。
島津戦法の「釣り野伏せ」に誘われ、仙石勢は遁走。
軍監、仙石秀久は諸将の軍を差し自領の讃岐へ逃げ帰る。
四国勢は長曽我部元親・信親親子がいる。
四国を制覇した実力者である。
仙石秀久はコンプレックスがあったのだろう。
元親の言う事を聞かなかったようだ!

尾藤知宣が仙石政秀の後の軍監を努める。
根白坂の戦いがある。長篠の合戦のようだと言われている。
豊臣軍は8万、島津軍は3万5000。
島津軍では大将の島津義弘が自ら前線に立って戦ったようだ。
豊臣軍は宮部継潤らを中心にした1万の軍勢で堅守。
秀長の本隊が救援にきたが、軍監の尾藤知宣は救援は不可能。
島津の軍に当たるべからずと秀長に進言し、秀長は救援の中止を受け入れた。
しかし、秀長麾下の藤堂高虎に、小早川・黒田勢が挟撃をしかけたため、島津軍は敗走。(尾藤はこの時の消極的な姿勢を秀吉に責められ、追放。後に処刑された)

こうなると家臣には恵まれていないのかと思ってしまう!
たまたま秀吉の出世と共に、家臣も出世する。
信長から与力として秀吉に付けられる。
柴田勝家のところに行った家臣もいる。
これも運なのか?
山内一豊なんか良い例であると思うが・・・・・
家康は関ヶ原で軍監として、井伊直政・本多忠勝を派遣している。
名前だけでも秀吉と差がある感じがする。

秀吉の家臣となった、蒲生氏郷は心情的には信長の家臣である。
海音寺潮五郎が記述しているが、寂しい晩年だったんだろう・・・・・
うわべは華やかであるが・・・・・・

2014年11月30日 (日)

本・人間というもの・司馬遼太郎

『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などの膨大な作品群によって、人間とは何か、日本とは、日本人とは何かを問い続けた国民作家・司馬遼太郎。本書は、数ある名作・名随想のなかから、混迷の現代社会を生きる上での道標とすべき珠玉の言葉を、テーマ別によりすぐったアフォリズム集である。歴史・文明への透徹した洞察、人間への温かなまなざし―司馬文学の魅力を濃密に凝縮したファン垂涎の一冊。

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確かに面白い。何回か読んでいる。
単行本で読み、文庫本でも何回か読んでいる。
この度又ブックオフで見つけて買った本である。
面白い!
気になるのを集めてみた。

1、美人はわが身が美しいと思えばこそ、より美しくみえ、美しさを増す。才ある者は思いあがってこそ、膂力がある者はわが力優れりと思えばこそ、力を発揮する。『期待が人を育てる?』
2、人の一生は短いのだ。好まざることを我慢してやるより、好むことを磨き伸ばす。その方が大事である。
3、「一隅ヲ照ラス者、コテ国宝」最澄。
4、たとえ小人でも長所をとって小職に用いればよい。ただし長官に据えたり重職につけると国家をくつがえす。
5、人の好意をよろこばぬとかえって人は裏切る。
6、「世を動かすのは、これだ」 これは欲望をさす。
7、人間の一生のうち、飛躍を遂げようとおもえば生涯に一度だけ、渾身の知恵をしぼって悪事をせねばならぬ。
8、国家に責任をもっている専門家とか、その専門家を信用する世間の常識というものほどあやうくもろいものはない。大正末期から昭和初期の高級軍人や高級官僚は日本の把握が出来ず、幼児のようであった。
9、戦争は補給が決定する。その原則通り日本は負けた。
10、世間は他人の批評をするときはすべて道徳家になる。『大変よく分かる』
11、古来将軍の才能ほど稀有なものはない。源平争乱で将才を持ったのは義経だけである。戦国時代も数人しか出ていない。
12、光秀が聞く。勝手の秀吉の家臣に秀吉とはどう言う男だ。少しのてがらでもビックリする褒美をくれる。光秀は考え込んだようだ。
13、家康は誰よりも、信玄・謙信・信長・秀吉よりも長命だった。
14、家康は衆議にかけた。自分の案があっても幕僚の意見を聞いた。そうして幕僚たちの頭脳を練らした。『信玄もそうだったようだが・・・・』
15、白河以北は敬語が少ない。スチュワーデスを東北から採用しにくい。『和歌山は?』
16、日本と日本人は、国際世論のなかではつねに無視されるか、気味悪がられるか、はっきり嫌悪されるかのどちらかである。『まるで今の現状である』
17、日本人はその主君に対して忠誠心がない。『戦国時代まではそうなんだろう』
18、陸軍にあっては「戦車は戦車である以上、敵の戦車と等質である。攻撃力も防御力も同じである。これに疑問をいだくことは禁忌である。
19、名将とは臆病であらなければならない。それが自軍の欠点と利点を考える。
20、すぐれた謀略とはわざわざ罠を造ることではない。それは見えすいた作為で謀略ではない。たまたま発生してくる事象に少し手自然に近い作為を施すと言う。又ウソは誠実につかねばならない。誠心誠意だまさねばだませない!
21、人の運命は九割は自分の不明による罪だ
22、ある人物をひとに観察させるとき、よほどの器量の者にそれを見せなければ印象をあやまる。『信長の評価か?』

大変面白い本です。
時間がある時に読みかえしている本です!

本・城を攻める 城を守る・伊東潤

城めぐりをしていて、城好きが高じて、その歴史的背景までも知りたいと思っているのではないだろうか。本書は、そうした方々を対象としている。その城で過去にあった攻防戦に目を向けてもらい、その城の経てきた歴史に興味を持っていただく必要がある。本書は、そうしたことを念頭に置いて書いた「戦う城本」である。

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26城紹介してある。
当然のことながら実際に城の周りを歩いている。
山城はえらかったと思うが・・・・・・・
戦国時代から幕末にかけての戦いのあった城を紹介している。
又城郭の図(?)絵(?)も付けている。
大変よく分かる。
城址によっては、案内に「堀切」と案内がある城址もある。
播磨三木城攻防戦。
秀吉の平井山本陣。
ここの主郭にいくまでにの斜面に兵が寝泊まりしていたとの案内があった。
食料や糞尿はどうしたのだろうか?

読んでいて特に北条関係の城に行ってみたいと思った。
八王子城・河越城・箕輪城・山中城・韮山城・・・・・・・・
河越城
三大奇襲戦と言われる、河越城。
北条氏康が主役である。氏綱も関係しているので北条とは関係が深い。
他は織田信長と毛利元就である。
氏康は名将なんだろう・・・・・
が定説は変わっていく。
戦いも夜戦では無かったようだ・・・・・・
その都度ロマンが無くなるが・・・・・・

水戸城
幕末これほど藩内で殺し合いをやったところは無さそう。
その為有為の人材が枯渇した。
実際幕末も後半になると水戸藩士の名前はあまり出て来なくなる。

八王子城
巨大な城である。
秀吉の小田原攻めで落城。
氏政の弟、主戦論者の氏照の居城である。
秀吉に刃向ったとあまり評価されていない。
玉砕したようだ・・・・・
が著者も小説で取り上げている。
なかなかの武将と感じたが・・・・・・
行って上までは登れないと思うが・・・・・・・

箕輪城
武田信玄の攻撃に耐えた城である。
長野業政には、新陰流 上泉信綱が仕えている。
中小企業連合と言うべき、小土豪との連携を図る。
やはり人なのか?
息子の時代に落城する。
二代目は気の毒である。

韮山城
名将、北条氏規は守る。
寄せ手の大将に問題はあったが、守りきり開城する。
最初の山中城が一日で落城する。
織田信雄が大将で、蒲生氏郷・福島正則・細川忠興らが攻める。
大将以外は猛将がそろっていた様だ!!
やはり人なんだろうと思う。

有岡城
荒木村重の居城である。
信長に反抗する。
一度でも信長に疑念を持たれると、いつかは滅ぼされる。
その不安から反旗を翻す!
そうそそのかした中川清秀はさっさと信長に帰順する。
信長も清秀は重要視していなかったんだろう・・・・・・
1,6kmの800mと言う巨大な城である。
村重にはそれなりの成算があったんだろう・・・・・・
高槻・茨木・尼崎・花隈・三田と支城があり充分戦えると!
全部行ったが・・・・・・『自慢にもなりませんが・・・・・』
播磨三木別所氏、丹波波多野氏、本願寺と同時に信長は戦わなければならない!
が全て毛利の援軍が頼りである!
安芸からは遠いと思うが・・・・・・

家康と信玄・勝頼の攻防戦。
高天神城、長篠城は行っているが、又行ってみたい。
今までと違った目で見れると思う!

本・馬上少年過ぐ「貂の皮」脇坂安治・司馬遼太郎

姫路の出張所勤務に何年かなった。
その時に龍野の方に行った事がある。
龍野は小京都になっている。
明治に鉄道の線路をひく事になった時、本線を龍野の方へ回す案があったようだ。
が、うるさいのは来て欲しくないと言う事で山陽本線は龍野を経由しなかった。
と言う話は親父に教えて貰った。
播但線、播磨と但馬を結ぶローカル線が走っている。
それで小京都として残った。
その龍野は蜂須賀小六が与えられた。
江戸時代は賤ヶ岳7本槍の一人、脇坂安治が治めた。
関ヶ原でものの見事に裏切り、大谷吉継の軍勢に向かった。
はっきり言って嫌いである。

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石田三成を襲撃した七将!
加藤清正、福島正則、黒田長政、細川忠興、浅野幸長であとが違う。
池田輝政、加藤嘉明、藤堂高虎、蜂須賀至鎮、脇坂安治とある。
ここに脇坂安治が入っているのが面白い。
関ヶ原では大谷隊に所属している。
あまり重要視されていない武将なのか?

近江出身で野伏かも知れないと言う。
陣借りで最初明智光秀に所属する。
桔梗の紋を付けていた。
次に秀吉に仕える。
それが良かったのか?
秀吉の出世と共に出世する。
秀吉が安土に石を送る。
この石を丹羽長秀の手の者が盗んだ。
これを見つけた安治は頭に刀を突き付けて姫路の秀吉のところへ寝ずに2日かけて連れて行く。凄い根性である。
秀吉に死ぬ可能性の高い命令を受ける。
丹波の赤井悪右衛門に降伏を勧めに行く。
悪右衛門は病気である。
秀吉に言われる。「人の一生には刃物の上を渡ることを一度や二度せねば人がましくなれないものだ!自分の運を信じる事だ。わしもそれでやってきた。」

そうして悪右衛門に会う。
悪右衛門は源平以来の名門である。それゆえ名を惜しむ。
兄の子供を助けて欲しい。
その時に、礼を貰った。
世にひびく赤井の貂の皮の指物である。
メスを貰った。
オスは?
悪右衛門の背中にある。
翌日悪右衛門を討ち取りオスメスがそろう。
貂の皮の力が安治に移った。

関ヶ原前は3万石だったようだ。
福島正則が言う、あの程度が貂の皮のゆきどまりよ!
関ヶ原で連名で名前が登場する。
小早川秀秋の動向を見て裏切る。
戦国武将である。勝つ方に付く!
賤ヶ岳7本槍で、大名としては脇坂家だけが残った!
貂の皮の御利益なのか?

2014年11月 4日 (火)

軍師官兵衛「番外編」 テレビドラマ・関ヶ原(1981年正月放送)

テレビドラマ・関ヶ原
30年以上前になる。
放送時に見た。
そして月日は流れる・・・・・・・
今年になってから官兵衛巡りをしている。
その関係で関ヶ原にも行っている。
又見たくなった。
奥さんは流石である。
光テレビで放送されていたのを録画している。
嬉しそうに見た!
やはり面白い!
役者が全然違う!

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徳川家康  森繁久弥
本多正信  三国連太郎

豊臣秀吉    宇野重吉
石田三成    加藤剛
島左近     三船敏郎

良く集めたと思う。
前田利家    辰巳龍太郎
淀       三田佳子
おね?     杉村春子
まつ      沢村貞子
細川ガラシャ  栗原小巻
初芽      松阪慶子
阿国      木の実ナナ

三成を襲った七将ら
福島正則    丹波哲郎
加藤清正    藤岡弘
細川忠興    竹脇無我
鳥居元忠    芦田伸介
宇喜多秀家   三浦友和
大谷吉継    高橋幸次
直江兼続    細川俊之
安国寺恵瓊   神山繁
小西行長    川津祐介 

偏見になるが、軍師官兵衛の増田長盛役が今一と思っている。
関ヶ原では、平田昭彦である。
オールスターと銘打っているだけにあるだけに敵役と思っている。

ドラマは原作通りに展開する。
最初に左近が医者の叔父のところに行く。
それをつけている忍びの物とのやり取り。
叔父の医者が、大滝秀治で独特の喋りをする。
面白い場面である。

秀吉が死に、家康の策謀が始まる。
原作通りである。
三成を襲う七将。
加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・池田輝政・加藤嘉明。
家康が一喝する!
迫力がある。

初芽は要らない役であると思うが・・・・・
となると、出雲の阿国も要らない。名古屋山三郎も要らない。
出て来るべきは、官兵衛、藤堂高虎、伊達政宗、細川幽斎ではないかと思うが・・・・・
関ヶ原までの流れが非常によく分かる。

20141104_drama2

上杉景勝・直江兼続と三成・左近の盟約がある。
直江状がある。どうも偽書のような感じがするが・・・・・
家康が三成挙兵を聞いて小山から撤退する。
ドラマでは景勝が追撃をしようとするが、兼続に止められる!

三成挙兵時の、家臣を前にした宣言の場面がある。
「我を助けよ!」
この場面は好きだ。
そしてこう言う場面は、鳥が飛ぶか、風が舞う!
実際に鳥、多分カラスと思うが飛ぶ!

黒田長政。
福島正則を引き込む。
酒が入っている丹波哲郎の正則が良い!
それを説得(??)
いや騙す場面は面白い。
尾張弁と言うか、言葉が面白い!

三成の性格が良く出ている。
三成より実戦経験が豊富な島津義弘の意見を取り合わない。
わずか1千の兵を救うために兵を動かせない。
家康は鳥居元忠のような譜代の家臣がいない。
犠牲になってくれない。
宇喜多秀家の夜襲の策も取り合わない。
自身の観念に凝り固まっている!
それがよく分かる!

20141104_drama3

大谷吉継が高橋幸冶。
三成に言う。
「この命くれてやる!」
実際に関ヶ原で戦ったのは、三成・秀家・吉継と言う。
善戦していた。

戦いに敗れて、最後は捕えられる。
百姓が三成をかくまう。
逃げ切れないと思った時に、三成は百姓に訴えさせる。
妻を離別してまで、三成を匿った百姓の義に答えた。

城門に座らされた三成に対する武将達の態度がある。
福島正則:お互いののしり合う!
細川忠興:目礼をして通り過ぎる。「一番良い」
黒田長政:羽織をかけて慰める。原作では長政の最後の仕上げと言う。
     後世の評判、評価に対する演技と言う。
小早川秀秋:忠興に止められが三成に会いに行く。三成の毒舌がさえる!
面白い場面である。

初芽は尼になる。
原作は官兵衛が訪ねる。ドラマは官兵衛は出ない。
そうして言う。
「あの男は成功した!」
三成のような寵臣まで家康に走ったら、世の中の秩序はどうなるのか?

ドラマではこの役は、本多正信になる。
家康と正信の会話。
ああも簡単に裏切れるものなのか?
面白いドラマです!
とくに実際に名所廻りをしているのよく分かりました!

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  • 20120917_yamato12_2
    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。