武田氏(甲斐・信玄他)

2015年5月 3日 (日)

本・戦国鬼譚 惨「武田信玄亡き後の武将たち」・伊東潤

人を欺けば謀られ、人を信じれば殺される。木曾谷の治世をめぐり反目する木曾家当主の義昌と弟の義豊。武田に殉じるか織田へ寝返るか―谷間に常と変わらぬ春が訪れたとき、兄弟は慟哭の中で身悶えしなければならなかった。武田家滅亡が招いた鬼哭啾啾を活写し、極点での人間の本性を炙り出した傑作戦国絵巻5編。

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信玄亡き後の武田家の諸将たち。
①   木曽義昌と義豊
②   下条一族
③   武田信廉
④   仁科信盛
⑤   穴山信君

裏切る理由がある。
退勢に入るとそう言うもんなんだろうと思う。
長篠の合戦後、退勢になる武田勝頼。
最前線は動揺する。
織田と毛利の国境、播磨・丹波・但馬がそうなのか?
信長の生存中に死んだのは武田勝頼。
本能寺の変が無ければ、毛利も同じような状況ではなかったのか?
毛利はついている。

木曽義昌と義豊
最前線に立つと調略の手が伸びる。
人質がいる為になかなか裏切れない。
織田と武田を秤にかける。
高天神城を勝頼は見殺しにした。
これが不安を与えている。
本当に救援に来てくれるのか?
木曽は良い木がある。
新府城の資材として必要になる。
が丸裸になるほどの材木を要求される。
が木曽から甲斐までどうやって運ぶのか?
兄弟が対立する。
弟は人質にとられていないので兄の苦悩が分からないと言われる。
ここで弟は自分の妻、子供を殺す。
これで兄は武田と手を切る決心が出来た。

下条一族
裏切り裏切りである。
騙す方が悪いのか?
騙されるほうが悪いのか?

武田信廉
信玄の弟、絵が上手い?
武将としても能力はあったようだ。
信玄の死によりおかしくなる。
転厩信繫が川中島で戦死した。
必然的にNO2的存在になる。
信玄が死んだ時、遺言される。
父信虎が武田家を自分の物にしようとする。
その時、祭り上げられのが信廉であると!
父を刺せと!
長篠の戦いで勝頼を見限る。
戦わない!
信玄あっての信廉なのか?
織田に抵抗せずに斬られる。
最後はどうでもよかったのか?

仁科信盛
勝頼の弟で意地を見せたのは信盛だけなのか?
これに織田から人質として武田に来ている源三郎が絡む。
ミステリー風になっている。
高遠城は落城したが、仁科信盛は26歳で玉砕した。
一門衆で活躍したのは信盛だけだったようだ・・・・・・

穴山信君
よく分からない人物である。
人質を取り返し家康に通じる。
これも陰謀小説になっている。
裏切り、信長に家康抹殺を命じられる。
これに光秀が絡む。
本能寺の変の前、家康を討つと思った光秀の家臣もいたようだ。
あながちありえない話ではないのか?????
信君の裏切りの回想があり面白い。
表裏者と言われても仕方がない。
著者にしては珍しい、伝奇的な小説ではないのかと思うg・・・・・・

武田家の家臣は、信長と信玄に振り回された?
信玄あっての家臣たちなのか?
信玄が死に、信長が本能寺の変で倒れて、人生が変わったのではないか?
毛利はラッキーだった!

2015年4月23日 (木)

本・天地雷動・伊東潤

信玄亡き後、戦国最強の武田軍を背負った勝頼。これを機に武田家滅亡を目論む信長、秀吉、家康。息詰まる駆け引きの果て、ついに合戦へと突入する。かつてない臨場感と、震えるほどの興奮!待望の歴史長編!

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信玄が亡くなる。
後継ぎはどうなるのか?
四男でありながら相続人になる。
が宿老と対立する。
武田家四天王。
馬場信春、内藤昌秀、山県政景、春日虎綱。
勝頼の腹心、長坂釣閑斎。
四天王と対立する。
勝頼は自分の意見を言えない。
信玄の遺言と言う事で無視される。
と言う場面から始まる。

家康、秀吉、勝頼と武田家の家臣が交互に出て来て長篠の合戦まで続く。
家康は苦労している。
信長にええように使われている。
信長の苦しい時、姉川の合戦とかには出陣している。
が反対は少ない。家康への援軍は少ない。
信玄上洛時も信長は3千の援軍である。
家康も後に信康自害の元を作った、酒井忠次みたいに主君を主君と思わない家臣がいる。
徳川家四天王の一人である。
あまり家康の家臣は登場しない。
信玄亡き後の武田家もまだまだ健在である。
武田の圧力を感じる。
信長は武田との決戦を考えている。
その為に鉄砲3千丁を調達する。
5百丁追加になるが・・・・・・
それも同じ性能の鉄砲を造らせる。
これを秀吉が命じられる。
信長の命令である。拒否は出来ない。
今井宗久が受ける。
当時の堺は鉄砲の生産地である。
近江国友もそうである。
鉄砲だけではない。
硝石や玉も手配する。

この3千丁の鉄砲はあったのか?
千丁の横に三を付け加えたとも言う。
又各武将に数十丁ずつ差し出させたとも言う。
ギリギリで間に合うが、それならば3千人の撃ち手がいる。

3段撃ちはあったのか?
最近の研究では無かったと言う。
と言うより鉄砲隊で何人かがまとまって、一人撃ち、次に撃つ、そうして次になる。
そう言う撃ち方をしたのではないか?
やはり鉄砲は強力な武器である。
戦場でいくら大声でも、一斉射撃の命令は出来ないと思う。
散弾の撃ち方もある。

小説では勝頼と宿老の対立がある。
官僚、長坂釣閑斎に対する宿老たちの反感!
「三成と七将みたいな話である」
信長は決戦できる場所を探す。
勝頼が勝てると思える場所である。
そこで長篠設楽原が選ばれる。

周到に勝頼が決戦を求める様に仕向ける。
勝頼が引けないように考える。
その為に信長は兵力を見せない。
勝頼の宿老たちは撤退も考慮に入れている。
が一門衆が動かない。
勝頼も宿老たちに、言ってはいけない事を言ってしまう。
『命が惜しいのか!』
宿老たちはあきらめる。もはや何を言っても無駄と!
最初に、酒井忠次の鳶ヶ巣山攻撃がある。
状況が変わった。
撤退を進言されるが勝頼は拒否!!

家康に信長は佐久間信盛を付ける。
監視役なのか?
将来追放されるがこの頃は信頼されていたのか?
もっとも新田次郎は、佐久間信盛を弱小としている。
ここを馬場信春が攻める様に記述していたが・・・・・

武田の戦死者は1万と言う。
それより歴戦の勇士を失った。
馬場信春、内藤昌秀、山県政景、真田信綱、真田昌輝、土屋昌継、原昌胤・・・・・・
織田・徳川連合軍は名だたる武将の戦死者は無かったようだ。

最後は春日虎綱の進言がある。
北条との同盟強化と、北条の支配下になり生き残りを図る。
一門衆、穴山信君、武田昌豊の切腹。
木曽義昌の国替え。
どれも出来なかったようだ。
面白かったです!

2015年4月22日 (水)

本・天佑、我にあり・海道 龍一朗

最強騎馬軍団を抱える武田信玄と、無敗の四天王を率いる上杉謙信。両軍は、川中島という狭隘地で数度相まみえた。最大の戦いとなる四度目の決戦から、はや四百五十年。いったい、誰が勝者だったのか。まれにみる緊迫、そして、史上もっとも「難解」といわれる合戦を、精緻な分析と大胆不敵な構成で描ききる、渾身の歴史長編小説。

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大長編である。
単行本で600ページある。
これだけの長編に仕上げたのはたいしたものであると思うが・・・・・・
決戦前に、両雄が同じことを言う。
「天佑、我にあり!』「天佑、我らにあり!』
天運:うまれながらにして人の生に宿る決まり事。
天佑:才や努力の上に積み上げられていくもの。
徳川秀忠・家光親子に、天海が軍学は甲州流、越後流のどちらが良いか聞かれる。
結論は最後に分かるが、天海が川中島の合戦を語る。
天海は実際に川中島に行っている???????
謙信が言う!
「ぬけぬけと孫子の旗幟を掲げている者どの」
信玄が言う!
「信濃は武田家のものだと京も認めている。何故出兵してくるのか?」
孫子がいたるところに出て来る。

高坂昌信と思っていたが、香坂昌信としている。
こう言うのは迷う!
真田幸村も真田信繫が正しいと言う!
何か根拠があるのだろう。
諏訪御寮人は名前を記述していない。単に諏訪御寮人としている。

この戦いを風魔小太郎が見ている。
布陣を北条氏康に報告する。
氏康が言う。
宿敵同士の布陣ではない。慕い人同士の逢瀬ではないか?
氏康はこの戦いの後の上野一国を制覇する事を考えている。

対陣の中、両雄の過去が記述される。
どちらも戦国の洗礼を受けている。
信玄は信繫がいる。軍師?勘介がいる・・・・・・
謙信には身内がいない。いなくてもよい強さがある!

こう言う対陣は先に動いた方が負けと言う!
悠々酒宴を繰り広げる謙信!
両雄の家臣が不安になる。
この辺りのやり取りは面白い。
誰も信玄、謙信を読めない。
対陣が長引けば、兵糧の心配をしなければならない。
この点は本国に近い謙信が有利なのか?
信玄が考える。
勘介の啄木鳥の戦法。
これと本陣との兵の割り振りは?
啄木鳥は餌を追いだすために力いっぱい突く。
この兵力を主とする。
炊煙の量が増えたのを謙信は見逃さない。
信玄が来る前に本軍を移動させる。
謙信の必殺技????
龍蜷車懸!!!!!
最初の思惑は謙信に軍配があがる。
霧が謙信が軍配を振れば、流れて晴れる??????
こういう事があれば、兵は謙信を信頼する!
が奇襲部隊の大軍が戦闘に参加して、謙信は引き上げる。

越後の柿崎景家VS甲斐の武田信繁!
この辺りは読ませる!
戦国史上まれに見る死傷者の多い戦いだったと言う!
一揆に読ませる本である!

2015年1月14日 (水)

本・武田の謀忍・近衛龍春

天正十年、織田信長軍に攻められた武田家は、天目山の地で滅亡した。死の間際、武田勝頼は配下の忍び・諏訪次郎らに、小山田信茂、穴山梅雪、木曾義昌など武田家を裏切った武将に恨みを果たすよう言い遺す。闇殺、忍び同士の死闘、裏切り…。諏訪忍び「車衆」の仲間とともに困難な遺命を成し遂げようとする次郎の凄絶な“生”を描く戦国忍者エンターテインメント!

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諏訪の忍びの復讐がある。
武田勝頼を裏切った武将たちに復讐する。
勝頼の死ぬ前の命令である。
つまり殺しに行く!
長い時間をかける・・・・・・
裏切った一門で高名なのは、やはり穴山信君、木曽義昌が大物なのか?
それ以外にビックリするほど沢山の名前が出て来る。
信玄亡き後の関東、甲斐・信濃を巡る争い。
越後上杉、小田原北条、信長に家康が争う!
もっとも甲斐・信濃は家康がものにしたが・・・・・・

執念で狙う!
忍びの争いになれば、各地の忍びが出て来る。
伊賀、甲賀、風魔、諏訪、望月・・・・・
当然真田の忍びもいる。
歩き巫女も登場する。

次郎は次々に返り忠の遺臣たちを殺していく。
仲間もいるが、考えが違い離れていく。そうして殺される。
諏訪次郎に襲われて、自分のところまで来るのかと驚愕する武将たち。
ほっておいても死ぬのに、次郎は殺しに行く。
勝頼も戦費も無いのに無謀な戦いをして、武将たちに恨まれている。
上杉景虎と景勝の争いに、金に目がくらみ景勝に味方する。
判断力が悪いと思うが・・・・・
しかし織田の侵攻にどう出来たのか?
仁科五郎は玉砕した。
ほとんど裏切っている。
穴山信君、木曽義昌だけではない。
裏切っても信長に殺されている武将も多い。
佞臣と言われた長坂釣閑斎。
次郎に殺されるが、勝頼に殉じたと言う説もある・・・・・・・・

武田信玄は信濃侵攻で恨みを買っている。
諏訪御寮人、「井上靖 風林火山」由布姫の死をかけた罠がある。
どうかなと思うが?

忍びの裏切りも多い。
次郎自身、
それらを振り切って諏訪次郎は暗殺を続ける。
暗い人生なのか?
それとも充実した人生か?
最後もどうなっているのか分からない。
戦国忍者エンターテインメントです!

2015年1月12日 (月)

本・川中島の敵を討て・近衛龍春

越後守護代・長尾為景の末子・虎千代は、十四歳の時に還俗して景虎を名乗る。兄・晴景を助け、鎧袖一触、国内を平定した景虎。兄に代わって守護代に就くや、北条を攻めるべく関東に兵を進めた。関東管領となり、名を上杉政虎と改め、宿敵武田信玄と雌雄を決するべく川中島へ向かう

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真面目な小説である。
要は伝奇小説ではないと言う事を言いたい!
寺に入れられて、還俗させられる。兄がいる。
が謙信(謙信で通す)の方が出来が良い。こういう場合は問題が多い。
嫉妬!
実力で当主の座を勝ち取る。
毘沙門天に生涯の不犯を誓う!
そこまでしなければならないのか・
家臣の娘、近衛前久の妹、関東での妖艶な娘。
皆袖にする。『もったいない』
政略結婚は嫌だったんだろうが、珍しい武将である。
武田信玄も嫌な武将を相手にした。
関東甲信越は遅れている???
自立している勢力が多い。
土豪?
名門意識があり、狡猾なのか?
直ぐに変心する。裏切りなど日常茶判事なのか?
謙信は変わっている。
普通は領土が欲しい。信玄なんかはそうだ。
が頼まれたからと言って戦いを挑む。
異次元の人間なのか?
そのくせ軍神の如く戦いに強い!
が越後内部もまとまっていない。
中央集権になっていないのか?
わずかな土地争いで揉める。
謙信は嫌になり出家しようとする。
サア大変。みんなで謝り元に戻る。
これが関東に行けば、行った時は謙信に服従する。
が越後へ帰れば元の木阿弥になる。
謙信は京へ上がっている。
それも5千の兵を連れている。
問題の松永弾正がいる。
のちに織田信長に対して同盟?協調する。
将軍義輝に弾正成敗を具申する。
が義輝は煮え切らない。
謙信が越後に帰った時が心配になる。
結局何もせずに越後に帰る。

北条に包囲された唐沢山城。
ここにわずかな共を従えて城内に入る。
北条は手を出せない。
軍神の化身と言われる。

小田原城を10万と言われる兵で包囲する。
が謙信直属の部下ではない。
関東の諸将である。
戦意も不足している。
農家の収穫の問題もある。
織田信長のように、常備兵ではない。
農閑期しか戦えない。

越後は相変わらず反乱も多い。
信玄が調略してくる。
これに対して謙信側も武田に対して調略を行う。
謙信配下の軒猿。凄腕の忍びがいる。
武田の忍びを17名殺す!『本当かな?』
信玄の信濃侵攻に対して謙信も受けて立つ。
信濃の豪族達が謙信に助けを求める。
義によって立つのだろう・・・・・
そこで川中島の合戦になる。
第一回、第二回、第三回と戦い、高名な第四回になる。
信玄は影武者を使っている。

著者は啄木鳥の戦法と、山本勘介の献策を取り上げていない。
実際に現地に行っている。
謙信が陣を構えた妻女山に実際登っている。
この場所に1万3千人は在陣できないと言う。
武田側が啄木鳥戦法で通った道。
地元の人間もその時間では歩けないコースのようだ。まして夜である。
謙信は「車懸りの戦陣」をとったと言う。
がそんなものではないだろう?
戦いの中でそう言う陣形になっただけではないのかと!

この車懸りの陣と呼ばれる戦法は、各隊が放射状に並び風車のように回転しながら敵に当たるというものである。
最初に敵に当たった部隊が一旦退くと、すぐ次に新手の部隊が攻撃する。これを繰り返すことによって、敵は常に応戦しないといけないが、自軍は休憩を挟む部隊が出来る分有利になる。
実際に出来るか?
初めて聞いたときはまだ中学生の頃だ。
訳も分からず凄い戦法と思った。
が今はそうではない。実際に戦っていてそんな事が出来るのか?
絶対に無理と思う!
後世の創作ではないか?
が秋山真之はこれを参考にしたと言う。
海上ではなるほどそうなる場面がある。

要はそんなに決められた戦術で戦ったのではないと思う。
後は大将の力量と、部下の対応である。
典厩信繫が戦死する。
まれにみる戦死者が出た戦いだったようだ。
戦闘場面は迫力がある。
面白かったです!

2014年11月30日 (日)

本・城を攻める 城を守る・伊東潤

城めぐりをしていて、城好きが高じて、その歴史的背景までも知りたいと思っているのではないだろうか。本書は、そうした方々を対象としている。その城で過去にあった攻防戦に目を向けてもらい、その城の経てきた歴史に興味を持っていただく必要がある。本書は、そうしたことを念頭に置いて書いた「戦う城本」である。

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26城紹介してある。
当然のことながら実際に城の周りを歩いている。
山城はえらかったと思うが・・・・・・・
戦国時代から幕末にかけての戦いのあった城を紹介している。
又城郭の図(?)絵(?)も付けている。
大変よく分かる。
城址によっては、案内に「堀切」と案内がある城址もある。
播磨三木城攻防戦。
秀吉の平井山本陣。
ここの主郭にいくまでにの斜面に兵が寝泊まりしていたとの案内があった。
食料や糞尿はどうしたのだろうか?

読んでいて特に北条関係の城に行ってみたいと思った。
八王子城・河越城・箕輪城・山中城・韮山城・・・・・・・・
河越城
三大奇襲戦と言われる、河越城。
北条氏康が主役である。氏綱も関係しているので北条とは関係が深い。
他は織田信長と毛利元就である。
氏康は名将なんだろう・・・・・
が定説は変わっていく。
戦いも夜戦では無かったようだ・・・・・・
その都度ロマンが無くなるが・・・・・・

水戸城
幕末これほど藩内で殺し合いをやったところは無さそう。
その為有為の人材が枯渇した。
実際幕末も後半になると水戸藩士の名前はあまり出て来なくなる。

八王子城
巨大な城である。
秀吉の小田原攻めで落城。
氏政の弟、主戦論者の氏照の居城である。
秀吉に刃向ったとあまり評価されていない。
玉砕したようだ・・・・・
が著者も小説で取り上げている。
なかなかの武将と感じたが・・・・・・
行って上までは登れないと思うが・・・・・・・

箕輪城
武田信玄の攻撃に耐えた城である。
長野業政には、新陰流 上泉信綱が仕えている。
中小企業連合と言うべき、小土豪との連携を図る。
やはり人なのか?
息子の時代に落城する。
二代目は気の毒である。

韮山城
名将、北条氏規は守る。
寄せ手の大将に問題はあったが、守りきり開城する。
最初の山中城が一日で落城する。
織田信雄が大将で、蒲生氏郷・福島正則・細川忠興らが攻める。
大将以外は猛将がそろっていた様だ!!
やはり人なんだろうと思う。

有岡城
荒木村重の居城である。
信長に反抗する。
一度でも信長に疑念を持たれると、いつかは滅ぼされる。
その不安から反旗を翻す!
そうそそのかした中川清秀はさっさと信長に帰順する。
信長も清秀は重要視していなかったんだろう・・・・・・
1,6kmの800mと言う巨大な城である。
村重にはそれなりの成算があったんだろう・・・・・・
高槻・茨木・尼崎・花隈・三田と支城があり充分戦えると!
全部行ったが・・・・・・『自慢にもなりませんが・・・・・』
播磨三木別所氏、丹波波多野氏、本願寺と同時に信長は戦わなければならない!
が全て毛利の援軍が頼りである!
安芸からは遠いと思うが・・・・・・

家康と信玄・勝頼の攻防戦。
高天神城、長篠城は行っているが、又行ってみたい。
今までと違った目で見れると思う!

2014年10月 8日 (水)

本・城を噛ませた男・伊東潤

「奴に城を取らせる。そして俺は国を取る。」乱世に雄飛するため、希代の謀略家・真田昌幸が仕組んだ秘策とは?大勢力がふづかる狭間で、ある者は平身低頭し、ある者は乾坤一擲の勝負に出る。生き残りをかけ、なりふり構わず戦う人間を熱く描いた渾身作全五編!

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著者の本は最近よく読む。
面白い!
5作品ある。関東の事はあまり良くは知らない。
著者のように特徴ある武将を取り上げてくれると嬉しい・・・・・・
①   見えすぎた物見 天徳寺宝衍(佐野房綱)
②   鯨のくる城   高橋短波守政信
③   城を噛ませた男 真田昌幸、猪俣能登守那憲
④   椿の咲く寺   今福短波守虎高
⑤   紅雪左文字   板岡部紅雪

面白い内容だ。

見えすぎた物見
大国の狭間の小国の生きざまか?
北条、上杉の間にたち、その都度裏切る。
今どちらに属しているかも分からない時がある。
小国の苦労、悲劇がある。
佐野房綱は藤原秀郷の末と言う。
なまじ名門ゆえの苦労もある。
北条氏政、上杉謙信にも対面して責められる。

鯨のくる城

変った作品である。
それゆえ鯨が重要になる話は面白い。
が高橋短波守政信の生き様は面白い。

城を噛ませた男 

真田昌幸は「表裏比興の者」と言われる。
誉め言葉なのか?
この小説ではかなりあくどく描かれている。
騙された方が悪いのか?
武門の嘘を知略と言う!
最も過大評価されているところはある?????

椿の咲く寺 
  
今福短波守虎高、名前が悪い。高虎?????
武田に仕え、勝頼滅亡後家康を狙う。
死んだと思われているが、息子と共に生きている。
尼となっている娘に協力する。
がここに徳川の忍びが暗躍する。
最後は悲劇的な結果になる。

紅雪左文字
これは面白い!
北条、豊臣、徳川と仕える。
回想と言うか子供頃の話から始まる。
これが最後に生きて来る。
北条の為に尽くす。
父の遺言がある。
家宝の太刀を貰う。
見たところ普通の太刀だが、ひとたび抜けば人の眼をとらえて離さない。
人には妬心がある。
ようは出しゃばるなと言う事なんだろう。

有能だったんだろう。
色々な功績がある。
対外交渉にも行く。顔も広くなる。
小田原北条の滅亡後、秀吉に仕える。
が石田三成とささいな事?で感情的になる。
上手くいっていない。
ゆえに秀吉亡き後家康に仕える。
そうして関ヶ原を迎える。
家康に小早川秀秋を味方に引き入れるように頼まれる。
ほぼ味方に引き込むが、今一信用できない。
家康が秀秋に空手形?を出しているように、三成もエサをちらつかしている。
家康は不安である。どうにかせいと言う!
ここで最初の小ども頃の話と繋がる。
面白い話である。
こう言う知られていない武将たちの小説は好きだ。
短編なのが良い。
面白かったです!

2014年3月23日 (日)

歴史ドラマと時代考証・小和田哲男

『秀吉』では竹中直人の「すし食いてぇ、天ぷら食いてぇ」のアドリブで綿密な台詞考証が吹っ飛び、『功名が辻』では脚本家の強い要請でしぶしぶ認めた本能寺での銃撃戦にたくさんのお叱りを受けるなど、いまだから話せる時代考証失敗談などの三つの大河ドラマの制作秘話を披露。本書を読めば大河ドラマを見る楽しみが倍増します。

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時代考証も大変だ。
読んでいてメチャメチャ面白かった。
そこまで言うのか?
セイタカアワダチ草が画面に映っている。これは外来種で江戸時代には無かった。
そんなに注意して見ているのか?
だいたいセイタカアワダチ草なんて最近の若者が知っているのか?
そう言う会があるのかと思ってしまう・・・・・・・
昔は照明も暗かった。そういう風に撮影すると、弱視者の団体から抗議が来た。見えないと!
マア仕方がないといえる。
俳優が大きな口を開けて笑う。銀歯が見えた。クレームが来たそうだ・・・・・・・・
登場人物の出身地の特定は難しいと言う。
山本勘介。風林火山では富士宮市山本でいったそうだが、豊橋市が郷土の偉人としている。
学校側は困ったそうだ・・・・
「ねね!北政所」だが、正解は「おね」のようだ。
現在と当時は違う。
小田原攻めの、石垣山城。北条氏降伏後は廃城になり石垣しか残らなかった。
江戸時代にその石垣を見て、石垣山城跡と言ったそうだ。
越後は酒どころ、米どころだが、戦国時代は違う。先入観はダメな例のようだ・・・・・
そう言う話が一杯あって楽しい!

清須会議がある。「秀吉」の時に、滝川一益が喋っている。
ちょっとおかしいと思った。確か外されたのではないか?
読んでいて理由が分かった。
考証は無い事をあるとはできない。
あると言っても突飛な事は出来ない。
備中高松城の対毛利戦。

秀吉は大きな手柄をたてて、猜疑心で見られる事を避けるために信長の出陣を願う。
そう思っていたが、そう言う手紙は現存していないと言う。
さすればどうやって信長に出陣を願ったのか?
気になります!

いつも思う。秀吉亡き後、石田三成を襲った七将の名前は?
加藤清正、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政、細川忠興、池田輝政と理解していた。「司馬遼太郎 関ヶ原」でだ!
がこの本では、加藤清正、福島正則、浅野幸長、、黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、蜂須賀家政となっている。
脇坂安治と言う名前もある。少しランクが下がると思うが・・・・・・・
これなんかどうすのだろう?
どうも三成が家康の屋敷に逃げ込んだのでは無いと言う。
「軍師 官兵衛」には当然出てくる場面である。
著者がどうアドバイスするのか?
サアどうなるのか楽しみである。

夢枕獏の小説にあった。格闘技の撮影で、そこで立ち技か?寝技か?
言い出した者通しが意地を張る。ここで監督が言う!
どちらでもよい。要は映像として見栄えが良い方にしたい。
納得!

明智光秀を誰が演じるのか?近藤正臣が印象に残っている。
それ相応の歳の俳優に演じて貰いたい。
ともあれ楽しい本である。
確かに、大河ドラマを楽しむ為にはなると思う。

2013年9月14日 (土)

山本勘助とは何者か―信玄に重用された理由・江宮 隆之

山本勘助は戦国時代のヒーローとして根強い人気がある。川中島の合戦で壮絶な討ち死にをしたとされてから、数えて四五〇年近くがたった。その間、勘助はさまざまに語られ、歴史学界では一時「勘助架空説」が定説とされた。それはなぜか?勘助の生と死が虚実入り乱れて語られ「勘助伝説」が一人歩きしてしまったせいであろう。軍師、忍び、武田軍団の足軽大将?それとも、名もなき一兵卒だったのか。川中島合戦の折の 「啄木鳥作戦」 は本当に勘助が立案した作戦であったのか。興味は尽きないが、ただはっきりしているのは 「山本勘助は確かに実在した」 ということである。 
本書は、この事実に基づき、今、新たに勘助の実像を解き明かす。

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最初からその存在の話になる。
ここら辺りは、どの本も同じような感じがする。
甲陽軍鑑には、山本勘助と思われる名前が210回出て来ていると言う。
武田家二十四将がいる。
描かれている武将の名前は一致している訳ではないと言うが、山本勘助はどれにも入っていると言う!
どういう立場だったのか?

この本では伝説的な話が多い。
子孫と名乗る人がいる。
もうそれは生きて行く為の信念のようなものと言う。
実際に取材している。
外に向かって主張していないのがよい!
山本五十六が、山本勘助の子孫だと・・・・・・
やめて欲しいと思うが・・・・・・
著者自身が言っているが、高野家から山本家に五十六は養子で入っている。
血の繋がりはない!
子孫は毛利家につかえたとある。
いろんな伝説がある。
京流の使い手と言う。
しかし、片目で手足が不自由では、普通の剣法で通用するのか?
抜刀術、林崎甚助のように不自由であればそれなりの剣法が必要なのではないのか?
塚原卜伝、上泉伊勢守とも対決したと言う。
これは疲れる話だが、それだけ話題の人だったと言う事なんだろう!

伝説が多いのは、それだけ不明点が多いのだろう・・・・・・
北条氏康、今川義元は、山本勘助の容姿を見て嫌われたと言う。
片目で手足が不自由である。
偏見の目から逃れられない!
そして武田信玄が会う!
人物なんて見る眼のある者が見なければ分からない!
かって織田信長も斉藤道三が実際に会い、評価している。それまではウツケだった。
武田信玄も織田信長の評価は迷った。自分が会っていないだけに迷っただろう・・・・・
父信秀の葬儀のさい、たまたま同席した筑紫の僧なにがしが、「あれここそ国を持ちたる人ぞ!」

絶賛したと言う話も聞く!

信玄も会ってみて召し抱えることにした。
100貫の約束を300貫にしたと言う!
が先日読んだ 「平山優、山本勘助」 では100貫が200貫とあった!
どちらも正しいのだろう!
小さなことかもしれないが・・・・・

城取の名手だったようだ。
それが抱えられる理由だったようだ。
甲斐だけではなく信州・駿河に侵攻する。どうしても城がいる。
需要と供給が一致して抱えられた。
武田信玄に諸国の事情を説明したようだ!
しかし信玄に戦略を進言出来るような立場だったのか?
勘助の知識を参考にはしたと思うが・・・・・・

面白い話があった!
山梨で信玄公祭りがある。
これに諏訪御寮人が出て来るが、映画ー風林火山では、井上靖は由布姫だったので由布姫となった。
新田次郎ー武田信玄では湖衣姫だったので、名前が変わった?
NHK大河ドラマ風林火山が放映された。
今はどうなっているのか?著者が心配している?
調べてみると、湖衣姫コンテストとあった。
ただ井上靖は山本勘助の存在は、懐疑的だったと言う!

2013年9月11日 (水)

山本勘助・平山 優

稀代の軍師の業績を日本で初めて完全再現!武田信玄の軍師として名高い山本勘助は実在しなかった実在していてもさほどの人物ではなかった、との定説に挑み、資料「甲陽軍鑑」を再評価し勘助の実像を明かす。

20130911_book1_2

ブックオフで買ったが、著者のサイン本のようだ。これは嬉しい!
一人喜んでいる感じ。他はしらっとしているが・・・・・・・
山本勘助を検索してみても沢山の本がある。あり過ぎるぐらいある!
自分も思うが、軍師なんて信玄ほどの武将に必要だったのか?
戦国時代である。自分で決めなければならない。いちいち軍師に聞いてきめるなんて出来たのか?
織田信長、上杉謙信に軍師は必要だったのか?
いらなかったのではないか?
竹中半兵衛、黒田官兵衛も知恵者ではあるが、秀吉に作戦を指示なんてできない。
アドバイスなのではないか?
徳川家康も謀臣(本多正信)はいたし必要だったんだろうが、軍師なんて必要だったのだろうか?
軍配者は必要なのは分かる気がする。
よく言われるように、縁起を担ぐ。出陣の日を決めたりすのはなんとなく理解できる。
日本人は軍師が好きだ!チョッと異常ではないかとおもうぐらい・・・・・
それが帝国陸軍の参謀の勝手な行動に繋がっているのではないのかと思う!
甲陽軍鑑から読み解く。
これは非常に分かり易く、理論だっている。
兵法者の説明もある。
どう言う人物かの推理?も納得できる。
ただ片目で足が不自由とあるが、これは話と合わない感じがする。

著者の解説がある。
戸石合戦での大活躍とある。本陣に行き信玄に進言する。
ここから南へ敵をそらす為に自ら動く。550mとある。
再び本陣に戻り、戦う。
それから別のところに行き戦い戦い、様子を見てから又別のところに行く。
一連の勘助の活躍により勝利し、実力を認められたと言う。
分からなくはないが、はたして足が不自由、言葉は悪いがチンバでそこまで戦場を動けるのだろうか?
まして戦場である。
現在の知識で過去を判断してはいけないが、納得しがたい!
築城の名手と言うのは、間違いないようだが、そんな先駆者なのか?
チョッといいように記述しすぎと感じた。
陣形の種類。人の扱い。領国の治め方。
いろいろ記述されていて大変面白い。

蛇足気味の話がある。
風林火山」では、諏訪御寮人に由布姫と名付けた。
井上靖が、この小説を湯布院で書いていて、湯布・・・・由布姫としたとある。
面白い。
新田次郎は、湖衣姫と名付けた。諏訪湖の湖と衣之渡川の衣をつけて湖衣姫としたようだ!

気の判断!
兵気が漲っていると言う言葉はよく聞く。
勘助流の判断があるみたいだが、これはどうかなと?
無いとは言わない!
それこそ気配はあると思う!
となれば戦死したと言う川中島の合戦はどうなるのか?
逆に謙信に見透かされたのではなかったのか?

これも関係ないが、司馬遼太郎、覇王の家がある。
小牧長久手の戦いで、徳川家康の軍勢を見た蒲生氏郷が言う。
「なるほど兵気はさかんである。が軍容に照り映えがない!」
秩序だってはいるが、泥臭さがあると解説があった。
見る人間が見れば、分かる事はあると思うが・・・・・

最後に著者は、山本勘助を書くことを、まわりから反対されたと言う!
歴史学においては際物扱いされていると言う。
真剣に検討すべき対象ではないと言う事らしい。

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