中国 (毛利・宇喜多他)

2015年10月14日 (水)

小早川隆景縁の地-広島紀行目次をつくりました!

広島紀行の目次をつくりました。

2015年 吉川元春、小早川隆景縁の地-広島紀行 目次
http://jirokayo.cocolog-nifty.com/blog/201510_hiroshimakikou.html

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下記のリンクからも見ていただけます。

吉川元春、小早川隆景縁の地-広島紀行 目次

01. 安芸・吉川元春館
02 .安芸・吉川元春館 復元台所
03. 安芸・吉川元春館 海応寺・墓所
04. 安芸・吉川元春館 「戦国の庭歴史館」
05. 安芸・北広島町図書館 静かな図書館
06. 安芸・龍山八幡神社
07. 安芸・小倉山城跡 吉川氏の城館跡
08. 安芸・枝宮八幡神社 吉川元春の座像 
09. 安芸・駿河丸城跡 駿河???
10. 安芸三原・三原市 ヤッサヤッサと浮城とタコの町(寺も多い!) 

11. 安芸三原・ホテルYASSA ヤッサヤッサとは??
12. 安芸三原市・「ヤッサ踊りの像」
13. 安芸三原・三原城 浮城に小早川隆景
14. 安芸三原・佛通寺 臨済宗佛通寺派の西日本一の大本山
15. 安芸三原・昇雲の滝
16. 安芸三原・御調八幡宮 
17. 安芸三原・新高山城跡 小早川隆景居城
18. 安芸三原・曹洞宗 米山寺 小早川隆景の墓所
19. 安芸竹原・小早川神社(和賀神社) うらびれた神社・・・・・
20. 安芸竹原・木村城跡 小早川隆景が養子に入り入城

21. 山陽自動車道・福山サービスエリア バラ園


安芸竹原・木村城跡 小早川隆景が養子に入り入城

木村城跡

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竹原小早川家がこの城にこもった・・・・・・
小早川隆景が竹原小早川家に養子に入り、木村城に入城。
さらに沼田小早川家を想像して高山城に入り、新高山城に移る。
本丸をはじめ遺構はあるようだ。

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登り口もはっきり分かる。
時間があれば行きたいが・・・・・・・・・

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木村城跡
広島県竹原市新庄町字城の本

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安芸竹原・小早川神社(和賀神社) うらびれた神社・・・・・

安芸竹原・小早川神社(和賀神社)
小早川神社に行った。
小早川隆景を祀る神社であるが・・・・・・
駐車場も無い。道路上に停めて行った・・・・・・
整備もされていない。

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草は思い思いに生えている。
歩き難い!

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境内は入れないようになっている。
整備もされていなので、朽ち果てていくだけなのか??
国破れて山河有りなのか??????

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小早川神社
広島県竹原市東野町

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安芸三原・曹洞宗 米山寺 小早川隆景の墓所

米山寺
ナビで神社・寺を検索する。
コメサンジ?
マイサンジ?
出て来ない!
ベイサンジであった。
怒られそうである・・・・・・

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ここは小早川隆景の墓所がある。曹洞宗である。

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小早川家代々の墓所であり、一族が並んでいる。
入口は閉まっているので勝手に開けて入る。

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入って右の端が小早川隆景の墓所である。
ここだけ花がある。

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他の墓所はビールと酒であるが・・・・・

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米山寺
広島県三原市沼田東町納所460

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2015年2月 5日 (木)

本・こんなに面白いとは思わなかった!関ヶ原の戦い・渡邊大門

「西軍が敗北した本当の理由は?」「石田三成と徳川家康は最初から対立していたのか?」「宮本武蔵は東軍か?西軍か?」その後の日本の歴史の流れを決定づけた「天下分け目の一戦」を、気鋭の歴史学者がQ&Aの形式で様々な角度から検証する!

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黒田官兵衛もこの形式の50のQ&Aだった。
著者の得意とする形式なんだろう・・・・・・・

第一部      豊臣秀吉没後のさまざまな謎
第二部      政治情勢をめぐるさまざまな謎
第三部      関ヶ原合戦前哨戦の謎
第四部      関ヶ原合戦における攻防の謎
第五部      諸大名たちのその後の謎

著者の本はよく読んでいるので、理解している話も多い。
一番印象に残った話。細川忠興の側室の数が15人と言う話!
秀吉と変わらない。
こうなると忠興のガラシャに対する態度はいかがなものかと思うが・・・・・・・

関ヶ原については、「司馬遼太郎の関ヶ原」を学生時代に読んだ。
メチャメチャ興奮した!
司馬遼太郎が記述しているのなら史実と思ってしまう。
最近ロマンが無くなって来ている。
七将に追いかけられて家康の屋敷に逃げ込んだ。
これは三成の作戦と言うが、実際は無かったようだ。自分の伏見屋敷に逃げ込んだようだ。
秀吉存命の頃から三成と家康は対立していた????
どうもそうではなさそうな感じである。
三中老と言う役職も無かったみたいである。
家康の私婚の相手は、伊達・福島・蜂須賀家である。これに黒田長政が入っていない。
これは前から疑問に思っていた!!!!

第二部の、政治情勢をめぐるさまざまな謎は面白い。
上杉景勝の会津移封。
越後の年貢を会津に持って行ったという。
これで越後堀氏と揉める。
ただ会津の蒲生氏が先に持って行ったと思っているが・・・・・・・・・
景勝・兼続と三成の連携は無かったようだ!
直江状の話は山ほどある。
家康に対する挑戦状は後で付け加えられたようだ。
小山評定はあったのか。
ドラマ関ヶ原では、福島正則役の丹波哲郎が名古屋弁丸出しで会議をリードする。
丹波哲郎は役者である!上手い!!!
この場面が今でも目に焼き付いている。
実際はどうなのか?????
合戦時は、西軍・東軍とは言わなかったようだ。

三成の前面の敵と並ぶ、関ヶ原の激戦地、宇喜多秀家と福島正則の戦い。
宇喜多秀家1万7千と福島正則6千の激突である。
宇喜多勢は精鋭なのか?
どうも違うようだ。精鋭なら福島隊は壊滅している。
やはりロマンが無くなってくる・・・・・・・・・・・・

第三部が関ヶ原合戦前哨戦の謎。第四部の関ヶ原合戦における攻防の謎
徳川本軍は秀忠か?
この話題もいろんな本で読む。
どちらとも言えないと!
家康の下には、本多忠勝に井伊直政がいる。
秀忠には榊原康政がいる。
秀忠軍を残したと言う話もあるが、結城秀康も残っている。
どうでしょか?
嶋左近がいる!どれだけの武将だったのかよく分からない!
家康と五分では戦えないだろうとは思う・・・・・・・・・
宮本武蔵は関ヶ原の合戦時、何処で戦ったのか?
本戦の関ヶ原か、九州なのか?
徳川か?石田か?
これは武蔵も悪い。ちゃんと記録を残していない。
どうも九州のようだが・・・・・・・・

いろんな話があり面白い。
第六部      最後が諸大名たちのその後の謎である。
著者の本はよく読んでいるので、知っている話も多いが、面白い本でした!

 

2015年1月20日 (火)

本・墨染の鎧 『安国寺恵瓊』・火坂雅志

戦国時代、禅僧にしてただ一人、城持ち大名となった男、安国寺恵瓊。安芸の名家に生まれながら、家が滅亡して出家。西国の雄・毛利家の外交僧として才覚を現し、戦国乱世に飛び込んでいく―。信長の死を予言し、秀吉の行末を読み切った男の生涯を描く。

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安国寺恵瓊の生涯を描く長編小説である。
大長編である。
はっきり言えば生臭坊主だ!
酒は飲む、女は抱く!
それでなければ外交僧など務まらないと思うが・・・・・・・
才能を認められて出世する。
そうして師の後を継いで毛利の外交僧になる。
毛利元就に両親は殺されている。
が恨みより才能を見出してほしい。
瞳の裏にある物を元就は見抜いている。
毛利にとって毒か?薬か?興奮剤か?

時代は恵瓊を要求している。
戦国時代だ。
毛利輝元と尼子の戦い。
元就は九州にも兵を出す。
大友、竜造寺にも使いに行く。
騙し騙される!裏切りもある!
誠心誠意嘘をついたのだろう・・・・・・

そうして最大の敵、織田信長!
情報が重要である。
そに為に配下の者を各地に走らせる。
この配下の者はどう言う立場の人か?
まさか忍びではない。
寺関係で地道に情報を集めるのだろう。
恵瓊も各地を訪れる。
そうして織田と交渉を担当する。
毛利の両川、吉川元春と小早川隆景!
隆景には信頼される。と言うより発想が似ている。
が戦国武将、元春を始めとする武将たちは力で物事を解決しようとする。
この辺りのやり取りはたいがいの本は同じ内容と思う!
毛利と織田の最前線、播磨・但馬・丹波がある。
当然官兵衛が出て来る。
恵瓊VS官兵衛!
調略の勝負になる。
恵瓊が有利である。毛利は信用がある。『どうかなと思うが・・・・』
その点織田は辛い!

三道併進策!
吉川元春が山陰から、小早川隆景は山陽道から、毛利水軍が瀬戸内から。
これはまとめ役が余程しっかりしていなければならない。
「司馬遼太郎 新史太閤記」では元春、隆景は第一級の武将であるが、これをやるにはその上の力がいる。つなり信長か秀吉と言う事だ!
確かに同時に進軍できなければ各個撃破されるだけである。
上月城攻防戦、三木城攻防戦!
荒木村重の反乱!
村重の家臣が本願寺に兵糧を売ったと言う噂を、あたかも真実のように広める。
村重を反乱に追い込む!
こう言う話は信憑性がある。
本能寺の変、光秀の密書が恵瓊に届けられる。
上杉にも届いていたと言うから・・・・・
これをまず官兵衛に見せる。
取引を持ちかける!
恵瓊は自信過剰になっている。
毛利の為と言うより自分の才能を見せる為に策を施す!
毛利からは離れている。
秀吉に優遇される!
それから隆景が健在なうちが花だったのか?
自身大名になり関ヶ原を迎える。
策士策に溺れる!
やはり時代の変りについて行っていない。
織田信長の転びを予測し、秀吉の未来を評価した。
関ヶ原の恵瓊はその頃の恵瓊ではない!
老いたのだろうか・・・・・・

2014年11月29日 (土)

本・大いなる謎 関ヶ原合戦 家康暗殺計画から小早川裏切りの真相まで・近衛 龍春

慶長五(1600)年九月十五日、日本国内における史上最大の戦闘、関ヶ原合戦が行われた。文字通り天下分け目の決戦となったこの戦いだが、謎に包まれている部分も少なくない。戦いから400年を経た今、新史料をもとに新進気鋭の歴史作家が数々の謎を大胆に解き明かす。

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関ヶ原の合戦の、色々な疑問に答える。
三成を襲おうとした七将!
加藤清正、福島正則、細川忠興、黒田長政、浅野幸長までは正解みたい。
池田輝政(この本では照政)、加藤嘉明だと思っていた。
文献により違うようだ。
藤堂高虎、蜂須賀家政、脇坂安治が入る。
しかし藤堂高虎が入るのか?
とても加藤清正、福島正則と同調するとは思えないが・・・・・・
まして脇坂安治が・・・・・・
あまり深く考えないでおこう。

秀吉亡き後から関ヶ原の後まで記述されている。
色々な武将の思惑がある。
関ヶ原と言えば司馬遼太郎の影響が大きい。
7将に襲撃された三成は家康の元に転がり込む。
と言うのは三成の策略と言われていた。
三成と家康、左近と正信の知恵比べみたいに言われていた。
どうもそうでは無さそう。
そう言う疑問点と回答がある。
納得しがたい事もあるが、別に根拠があるわけではない。
単に自分の希望に沿わないだけである・・・・・・

東軍は、道路上の問題もあり、東海道と中山道に兵を分けた。
秀忠と家康はどちらが本軍か?
この本は秀忠が本軍と言う。
どちらとも言えないようだが・・・・・
ただ秀忠軍を温存する余裕は家康には無かったと思う。
もし関ヶ原で家康が負けていたら、とても秀忠で西軍には勝てないと思う。
進軍を遅らしたのではない。遅れたのである!
遅れていなければ関ヶ原は圧倒的有利になっている。

小早川秀秋の裏切りに、松野主馬の話が無かった。
書いて欲しかったが・・・・・・『寂しい!』

西と東に分かれた武将たちの戦略。
各地の戦い。
よく分かる。
常陸水戸、佐竹義宣!
問題の人である。家康嫌いと言う。
上杉とどこまで連携で来ていたのか?
「追撃の佐竹」とは初めて知った。
2年も経ってから秋田に減封!
2年経っているから我慢できたのか?

亀井茲矩の鳥取城攻め。
どうも他人に責任をなすりつけたようだ。
如水の話も当然出て来る。
息子長政に52万石!
天下を取ったかも知れないと言う評価があり、幸せな生涯だったと思うが・・・・・

合戦図がある。武将の配置を見ている。
プロシア参謀、メッケル少佐が西軍の勝と言った。
毛利と小早川の大軍が家康に兵を進めればどうなったか?
関ヶ原の合戦時の毛利の大将、毛利秀元口惜しさ!
実際に戦場を見ている。
だから余計に吉川広家を許さなかったのは分かる。
毛利はかろうじて長門・周防の2か国、36万石になった。
家康が老獪だったんだろう!
司馬遼太郎が関ヶ原で記述していたが、三成から見れば毛利は絶対に潰される。
でなければ家康が勝った時に、恩賞として与える土地が無い!
流石計数には明るい!

あとがきに面白い記述があった。
三成と秀吉の出会い。
休憩にお茶を求めた。
三成は、最初はぬるく茶碗いっぱいに。
二杯目は最初より熱く茶碗半分。
三杯目は熱いお茶を少々。
この気遣いに感心したと言う。
が単に秀吉が来てから竈に火をかけたので、熱いお茶を出せずに、ぬるいお茶から出しただけ?????

2014年11月28日 (金)

本・生き残りの戦略・田原総一郎他『本家毛利輝元を救った婆々羅の旗印・新宮正春』

混迷を続ける日本経済。生き残れるのは、組織の活用力を最大限に引き出した企業だ。
軍団の活用方法を常に考えてきた戦国の英傑達に、この組織活用力を学ぶ。織田信長の組織活用術、強力な結束力を誇った徳川軍団、いっし乱れぬ動きの武田武士団などなど、勝敗を決める組織活用術を歴史に学ぶ。

珍しく吉川広家が記述されている。
と言っても関ヶ原前後が主である。
勇将、吉川元春の3男であるが、長兄元長が早く死に家督をついだ。
アクの強い性格と言う。
殿中で浅野長政と殴り合いの喧嘩をした。

関ヶ原で広家は兵を動かさなかった。
それが毛利の為だと。
百戦錬磨の広家から見れば、西軍が勝つ事は有り得ない。
家康の勝利と読む!
が毛利の外交僧、安国寺恵瓊は三成と組む。
毛利が西軍に付くことによって勝利を得る。
さすれば毛利は得るものは大きい!
かっての毛利の両川、吉川元春・小早川隆景の役目を、安国寺恵瓊・吉川広家が引きつぐ!
かっての連携は無い。
バラバラである。
責任は秀吉にあるのか?輝元なのか?
西軍の大将に祭り上げられるが、広家は家康に通じる。
広家は黒田如水、長政親子と親しい!
長政に家康に取り次いで貰う!
長政は家康から広家の交渉役を任される。
この辺りが、タヌキおやじと言われる理由なのか?
広家に言質を取られないようにする。
家康は勝利後を早くも考えている。
福島正則、本多忠勝、井伊直政、黒田長政が連署した起請文がある。
輝元の無罪と、領国の安堵である。
忠勝と直政の血判まである。
が家康は何も約束していない。

毛利本家の墨色の一文字三星紋の流れ旗と、小早川家の金のバレンの指物、
吉川家の赤い婆々羅の馬印!
この3つが揃った時、毛利は恐るべき力を発揮した。
関ヶ原では、小早川は裏切り、吉川は兵を動かさなかった。
毛利本軍の秀元は吉川にさえぎられて動けない。
安国寺、長束、長宗我部と毛利を合わせれば3万の兵がいる。
これが家康の陣に突っ込めばどうなっていたか?
面白いイフであるが・・・・・・

家康は毛利輝元の隠居と、領国の没収を言い渡す。
そして長門・周防の二国を広家に与える!
広家は必死で処分の撤回を嘆願する。
結果あらためて、嗣子秀就に長門・周防の二国を与える。
広家には岩国3万石を与える。

これをどう思うか。読みは正しかったが詰めが甘いのか?
三成が言う。
毛利家を潰さなければ東軍諸将に与える土地が無い!
冷静に考えればそうなんだろう!
武断派でもある広家にはそこまで頭が回らなかったのか?
が毛利本家は残った。
家康の恐ろしさが身にしみただろう!
毛利本家からは、吉川家は良く思われなかったが、広家は甘んじて受け入れた!
しかし最もよく、元就の教えを守ったと言う!

2014年11月 4日 (火)

軍師官兵衛「番外編」 テレビドラマ・関ヶ原(1981年正月放送)

テレビドラマ・関ヶ原
30年以上前になる。
放送時に見た。
そして月日は流れる・・・・・・・
今年になってから官兵衛巡りをしている。
その関係で関ヶ原にも行っている。
又見たくなった。
奥さんは流石である。
光テレビで放送されていたのを録画している。
嬉しそうに見た!
やはり面白い!
役者が全然違う!

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徳川家康  森繁久弥
本多正信  三国連太郎

豊臣秀吉    宇野重吉
石田三成    加藤剛
島左近     三船敏郎

良く集めたと思う。
前田利家    辰巳龍太郎
淀       三田佳子
おね?     杉村春子
まつ      沢村貞子
細川ガラシャ  栗原小巻
初芽      松阪慶子
阿国      木の実ナナ

三成を襲った七将ら
福島正則    丹波哲郎
加藤清正    藤岡弘
細川忠興    竹脇無我
鳥居元忠    芦田伸介
宇喜多秀家   三浦友和
大谷吉継    高橋幸次
直江兼続    細川俊之
安国寺恵瓊   神山繁
小西行長    川津祐介 

偏見になるが、軍師官兵衛の増田長盛役が今一と思っている。
関ヶ原では、平田昭彦である。
オールスターと銘打っているだけにあるだけに敵役と思っている。

ドラマは原作通りに展開する。
最初に左近が医者の叔父のところに行く。
それをつけている忍びの物とのやり取り。
叔父の医者が、大滝秀治で独特の喋りをする。
面白い場面である。

秀吉が死に、家康の策謀が始まる。
原作通りである。
三成を襲う七将。
加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・池田輝政・加藤嘉明。
家康が一喝する!
迫力がある。

初芽は要らない役であると思うが・・・・・
となると、出雲の阿国も要らない。名古屋山三郎も要らない。
出て来るべきは、官兵衛、藤堂高虎、伊達政宗、細川幽斎ではないかと思うが・・・・・
関ヶ原までの流れが非常によく分かる。

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上杉景勝・直江兼続と三成・左近の盟約がある。
直江状がある。どうも偽書のような感じがするが・・・・・
家康が三成挙兵を聞いて小山から撤退する。
ドラマでは景勝が追撃をしようとするが、兼続に止められる!

三成挙兵時の、家臣を前にした宣言の場面がある。
「我を助けよ!」
この場面は好きだ。
そしてこう言う場面は、鳥が飛ぶか、風が舞う!
実際に鳥、多分カラスと思うが飛ぶ!

黒田長政。
福島正則を引き込む。
酒が入っている丹波哲郎の正則が良い!
それを説得(??)
いや騙す場面は面白い。
尾張弁と言うか、言葉が面白い!

三成の性格が良く出ている。
三成より実戦経験が豊富な島津義弘の意見を取り合わない。
わずか1千の兵を救うために兵を動かせない。
家康は鳥居元忠のような譜代の家臣がいない。
犠牲になってくれない。
宇喜多秀家の夜襲の策も取り合わない。
自身の観念に凝り固まっている!
それがよく分かる!

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大谷吉継が高橋幸冶。
三成に言う。
「この命くれてやる!」
実際に関ヶ原で戦ったのは、三成・秀家・吉継と言う。
善戦していた。

戦いに敗れて、最後は捕えられる。
百姓が三成をかくまう。
逃げ切れないと思った時に、三成は百姓に訴えさせる。
妻を離別してまで、三成を匿った百姓の義に答えた。

城門に座らされた三成に対する武将達の態度がある。
福島正則:お互いののしり合う!
細川忠興:目礼をして通り過ぎる。「一番良い」
黒田長政:羽織をかけて慰める。原作では長政の最後の仕上げと言う。
     後世の評判、評価に対する演技と言う。
小早川秀秋:忠興に止められが三成に会いに行く。三成の毒舌がさえる!
面白い場面である。

初芽は尼になる。
原作は官兵衛が訪ねる。ドラマは官兵衛は出ない。
そうして言う。
「あの男は成功した!」
三成のような寵臣まで家康に走ったら、世の中の秩序はどうなるのか?

ドラマではこの役は、本多正信になる。
家康と正信の会話。
ああも簡単に裏切れるものなのか?
面白いドラマです!
とくに実際に名所廻りをしているのよく分かりました!

2014年8月26日 (火)

本・武家盛衰記「小早川隆景」毛利の両川・南條範夫

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非常に良く言われる武将である。
偏見であるが、毛利も秀吉が相手で良かったのではないか?
毛利元就の3男で、有能な人物だったと言う。
次男は吉川元春!
晩年の秀吉にとって、官兵衛、隆景は最高のブレーンであったようだ。
隆景が二人の違いについて自ら述べている。
「官兵衛は一を聞いて十を知る聡明な人物なので、人の話を聞くと即座に明確な回答を出す。時には本意に反することもある。自分は才知において官兵衛にかなわないが、それゆえ充分に熟慮するので後悔することが少ない」
なにか俺の判断の方が正しいと言っている感じがする。

思慮深い性格なんだろう!
元就没後八年!
毛利氏は予想もしないほど拡大された。
隆景は自戒して、
「灯火が消えなんとする時ひときわ光が増すと言う事もあるので用心しなければならない。当家の武名を決するのは今年たるべく、自分の一身など塵ほどにも思っていない」
この年から織田家との対決が始まる。
備中高松城攻防戦の前に、備中七城の城主に覚悟を聞いた。
織田についても構わないと!
この辺りは演出臭いが・・・・・・・
毛利の律義?????
石山本願寺、丹波八上城、播磨三木城、因幡鳥取城(吉川経家を入れてはいる)、摂津有岡城と援軍は送れていない!送れるはずがない。
毛利の援軍を期待して、信長に反乱した武将たちに対してどう思っているのかと聞きたくなるが・・・・・・
思っていてもそれが出来ないほど織田は進んでいたのか?
毛利とは別に秀吉から伊予35万石を与えられる。
後に筑前名島37万石になるが、秀吉からは優遇される。
本能寺の変の隆景の対応に秀吉は感謝している。
その好意があらわれているようだ。
が秀秋の養子先で隆景は犠牲になる。
官兵衛が養子先を探している。官兵衛と言うのが面白い。
策士官兵衛である。堺屋太一言う、この男の策謀好き・・・・・・
ここで毛利と言う話が出て来ている。
驚愕した隆景は探りを入れて、養子先が決まっていない事を知る。
そうして秀秋を小早川家の養子にむかえる。
そうして秀吉から貰った領土を、関ヶ原の裏切りで家康に少しだが増やして貰い、取り潰される!

四国攻め、九州攻め、朝鮮半島と活躍する。
秀吉より1年早く死ぬ。
関ヶ原の合戦時、生きていればどうなっていたか?
輝元も苦労しなくてよかったのかも知れない・・・・・・・

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    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。