本・こんなに面白いとは思わなかった!関ヶ原の戦い・渡邊大門
「西軍が敗北した本当の理由は?」「石田三成と徳川家康は最初から対立していたのか?」「宮本武蔵は東軍か?西軍か?」その後の日本の歴史の流れを決定づけた「天下分け目の一戦」を、気鋭の歴史学者がQ&Aの形式で様々な角度から検証する!
黒田官兵衛もこの形式の50のQ&Aだった。
著者の得意とする形式なんだろう・・・・・・・
第一部 豊臣秀吉没後のさまざまな謎
第二部 政治情勢をめぐるさまざまな謎
第三部 関ヶ原合戦前哨戦の謎
第四部 関ヶ原合戦における攻防の謎
第五部 諸大名たちのその後の謎
著者の本はよく読んでいるので、理解している話も多い。
一番印象に残った話。細川忠興の側室の数が15人と言う話!
秀吉と変わらない。
こうなると忠興のガラシャに対する態度はいかがなものかと思うが・・・・・・・
関ヶ原については、「司馬遼太郎の関ヶ原」を学生時代に読んだ。
メチャメチャ興奮した!
司馬遼太郎が記述しているのなら史実と思ってしまう。
最近ロマンが無くなって来ている。
七将に追いかけられて家康の屋敷に逃げ込んだ。
これは三成の作戦と言うが、実際は無かったようだ。自分の伏見屋敷に逃げ込んだようだ。
秀吉存命の頃から三成と家康は対立していた????
どうもそうではなさそうな感じである。
三中老と言う役職も無かったみたいである。
家康の私婚の相手は、伊達・福島・蜂須賀家である。これに黒田長政が入っていない。
これは前から疑問に思っていた!!!!
第二部の、政治情勢をめぐるさまざまな謎は面白い。
上杉景勝の会津移封。
越後の年貢を会津に持って行ったという。
これで越後堀氏と揉める。
ただ会津の蒲生氏が先に持って行ったと思っているが・・・・・・・・・
景勝・兼続と三成の連携は無かったようだ!
直江状の話は山ほどある。
家康に対する挑戦状は後で付け加えられたようだ。
小山評定はあったのか。
ドラマ関ヶ原では、福島正則役の丹波哲郎が名古屋弁丸出しで会議をリードする。
丹波哲郎は役者である!上手い!!!
この場面が今でも目に焼き付いている。
実際はどうなのか?????
合戦時は、西軍・東軍とは言わなかったようだ。
三成の前面の敵と並ぶ、関ヶ原の激戦地、宇喜多秀家と福島正則の戦い。
宇喜多秀家1万7千と福島正則6千の激突である。
宇喜多勢は精鋭なのか?
どうも違うようだ。精鋭なら福島隊は壊滅している。
やはりロマンが無くなってくる・・・・・・・・・・・・
第三部が関ヶ原合戦前哨戦の謎。第四部の関ヶ原合戦における攻防の謎
徳川本軍は秀忠か?
この話題もいろんな本で読む。
どちらとも言えないと!
家康の下には、本多忠勝に井伊直政がいる。
秀忠には榊原康政がいる。
秀忠軍を残したと言う話もあるが、結城秀康も残っている。
どうでしょか?
嶋左近がいる!どれだけの武将だったのかよく分からない!
家康と五分では戦えないだろうとは思う・・・・・・・・・
宮本武蔵は関ヶ原の合戦時、何処で戦ったのか?
本戦の関ヶ原か、九州なのか?
徳川か?石田か?
これは武蔵も悪い。ちゃんと記録を残していない。
どうも九州のようだが・・・・・・・・
いろんな話があり面白い。
第六部 最後が諸大名たちのその後の謎である。
著者の本はよく読んでいるので、知っている話も多いが、面白い本でした!
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