会津 (蒲生氏郷・保科正之他)

2013年12月12日 (木)

保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主・中村 彰彦

徳川秀忠の子でありながら、庶子ゆえに嫉妬深い正室於江与の方を怖れて不遇を託っていた正之は、異腹の兄家光に見出されるや、その全幅の信頼を得て、徳川将軍輔弼役として幕府経営を真摯に精励、武断政治から文治主義政治への切換えの立役をつとめた。一方、自藩の支配は優れた人材を登用して領民の生活安定に意を尽くし、藩士にはのちに会津士魂と称される精神教育に力を注ぐ。明治以降、闇に隠された名君の事績を掘り起こす。

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中央公論社の新書判である。小説は別にある。
著者は会津に思い入れがある。
沢山記述しているので、読む本は沢山ある。。
保科正之についても何冊か記述している。
順次読んで行くつもりである。
保科正之の名前を知ったのは、やはり司馬遼太郎だ。
松平容保の話ではどうしても藩祖、保科正之が登場する。
「会津藩家訓」 徳川家に忠誠を尽くす。
これがある為に、反対が多かったにもかかわらず幕末京都に行く事になった。
そう言う話で知っていた。

保科正之は秀忠の息子である。
著者と山内昌之で経歴を知ったようなものだ。
高遠は、仁科五郎信盛が玉砕した城として知っていた。
一度行きたいと思っていたが、著者のおかげでますます行きたくなった。

高遠、山形、会津と国替えになる。
家光は、弟忠長を殺した。
柳生一族の陰謀の世界だ。
が正之は家光、4代将軍家綱に忠実に仕えた。
家光も信頼した。
領国に帰らず、江戸で政務をとった。
国元の家老たちがしっかりしていたのだろう。
元会津藩主、蒲生氏郷は万石級の家臣を多く抱えた。
この方式は氏郷ほどの統率力があれば有効と言う。
会津松平家は千石級の家臣を多く抱えた。
風通しを良くしたと言う!
どちらが良いのかは分からない?

明暦の大火の後の江戸城天守閣を再建しなかった。
他にすることがあると言う事だろう・・・・・・

望まれない出生?助ける人も多かったようだ。
こうなると、秀忠の妻は、淀君の妹と言うがおかしいんじゃないかと思う?
名門意識が強すぎるのか?
保科家に対する思い。松平の姓を名乗らず保科正之で通した。
御三家に次ぐNo4の立場にある。
石高も水戸家より多くならないようにしたと言う。

やった業績が記述されている。
明暦の大火の後の指導力
三大美事。
①末期養子の禁の緩和。
②殉死の禁止。
③大名承認制度の廃止。
会津藩の社倉制度。これにより米を備蓄して凶作時の対策が出来ている。
実際に役に立ったと言う!

『御政事御執行之御趣意』 がある。現代でも出来ていないのではないか?
①90歳以上の者への老養
②間引きの禁止
③旅人への配慮
今の政治家に参考させたいような話である。
小泉元総理も、米百俵の精神だけでなく、こちらも言えばよかったのにと思うが・・・・・・

ただ私生活はそれほど恵まれたとは言えないみたい!
著者は何度も思うが、こう言う埋もれた話を掘り出している。
良く調べているともう。
著者の本は、積んである本も多いので、順次読んで行くつもりである。

2013年12月 1日 (日)

会津のこころ・中村 彰彦

混迷する幕末の京都守護職をあえて引き受け、戊辰の戦いで刀折れ矢尽きるまで、徳川への忠誠と尊王に殉じた会津藩。その強く、清らかな心根はどこから生まれたのか?本書は、会津の下級武士「弥太」のたくましい暮らしぶりから、独自の子弟教育―「什の誓い」、篭城戦で活躍した山本八重の覚悟まで、現代に受け継がれる“会津のこころ”を繙いていく。日本人が誇りにすべき精神の粋がここにある。   

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著者は会津贔屓か?それとも保科正之か?
別の本だが、秀吉は東北を治めるのに、水戸・会津を重要視した。
地政学上もそうなると読んだ事がある。
水戸には土着であったが佐竹義宣がいた。会津には最初蒲生氏郷、亡き後は上杉景勝をいれた。
いずれも徳川に対してよい感情を持っていない。
徳川もそれを引き継いだという。
水戸に御三家を、会津には最初藤堂高虎をもって行こうとしたが、加藤嘉明をもって行った。
改易後、家光の弟になる保科正之を配した。
会津は重要なところと理解していた。

会津は藩祖より教育がしっかりしてる。
明治時代の、姿三四郎のモデルと言われる、西郷四郎は会津出身である。
会津は朝敵、敵役と思っていたのは学生時代まで。
やはり司馬遼太郎だ。『王城の護衛者』
松平家の当主からお礼の連絡があったと言う。
公平な立場で会津を書いてくれたと。

会津藩は恭順しているにも関わらずに攻められた。
著者言うように、慶喜のおかげで攻撃されたと言ってもいいのだろう。
奥羽列藩同盟、会津を助けるために結成されたと言う。
別に薩長に対抗する為では無かったと言う。
幕末の騒乱による死傷者の数の少なさは、山内昌之も記述していたが、少ない!

会津に関するエッセイがある。
保科正之
会津藩士列伝
会津の女性達が記述されている。
最後に対比の意味で、長州がある。

保科正之の生まれから名君ぶりが記述されている。
自身お江の方の嫉妬より、堕胎されそうになった経験かがあるために、これを禁止した。
『三大美事』を達成。
末後養子禁止の緩和、大名証人制度(人質)の緩和、殉死の禁止。
玉川上水開削の建議。
明歴の大火の後しまい。

大火の時の果断な決断。食料、米をほっておけば焼かれるだけだと。
町民に取り放題だと言って、焼失を免れた。
石田三成にも同じような話があった。
堤防が決壊した時に、米をもって土表代わりにして防いだ。のちに本来の土表と取り換えて米は農民に与えた。
領民に慕われる人は違うのだろう・・・・・
沢山の善行
が記述されている。

そして家臣たち。女たち!具体的な前がある。
NHK 『坂の上の雲』 これに決死隊が登場する。白襷隊!
結局二〇三高地は取れずに、参謀に批判されていた。嫌な場面だった!
この白襷隊の中隊長が、会津藩士、町野武馬。
会津戦争に反対したが、いざ開戦となると、最後の一人まで戦うべしと!
佐川官兵衛も登場する。

女は自害したので悲惨である。
21人自害した西郷家。
薩長もよくやる。戦死した会津藩士を埋葬させなかったという。
当然新島八重も出て来る。井深八重と言う名前もある。
当時の女性にしても武士階級は、和歌が出来る。そう言う勉強をしている。
今とはえらい違いだ!

会津の武士たちの生活もよく分かる。
著者の本は、よく共著している山内昌之の本と共に、読もうと思って積んでいる。
順次読んで行きたい。

 

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