石田三成

2015年2月 5日 (木)

本・こんなに面白いとは思わなかった!関ヶ原の戦い・渡邊大門

「西軍が敗北した本当の理由は?」「石田三成と徳川家康は最初から対立していたのか?」「宮本武蔵は東軍か?西軍か?」その後の日本の歴史の流れを決定づけた「天下分け目の一戦」を、気鋭の歴史学者がQ&Aの形式で様々な角度から検証する!

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黒田官兵衛もこの形式の50のQ&Aだった。
著者の得意とする形式なんだろう・・・・・・・

第一部      豊臣秀吉没後のさまざまな謎
第二部      政治情勢をめぐるさまざまな謎
第三部      関ヶ原合戦前哨戦の謎
第四部      関ヶ原合戦における攻防の謎
第五部      諸大名たちのその後の謎

著者の本はよく読んでいるので、理解している話も多い。
一番印象に残った話。細川忠興の側室の数が15人と言う話!
秀吉と変わらない。
こうなると忠興のガラシャに対する態度はいかがなものかと思うが・・・・・・・

関ヶ原については、「司馬遼太郎の関ヶ原」を学生時代に読んだ。
メチャメチャ興奮した!
司馬遼太郎が記述しているのなら史実と思ってしまう。
最近ロマンが無くなって来ている。
七将に追いかけられて家康の屋敷に逃げ込んだ。
これは三成の作戦と言うが、実際は無かったようだ。自分の伏見屋敷に逃げ込んだようだ。
秀吉存命の頃から三成と家康は対立していた????
どうもそうではなさそうな感じである。
三中老と言う役職も無かったみたいである。
家康の私婚の相手は、伊達・福島・蜂須賀家である。これに黒田長政が入っていない。
これは前から疑問に思っていた!!!!

第二部の、政治情勢をめぐるさまざまな謎は面白い。
上杉景勝の会津移封。
越後の年貢を会津に持って行ったという。
これで越後堀氏と揉める。
ただ会津の蒲生氏が先に持って行ったと思っているが・・・・・・・・・
景勝・兼続と三成の連携は無かったようだ!
直江状の話は山ほどある。
家康に対する挑戦状は後で付け加えられたようだ。
小山評定はあったのか。
ドラマ関ヶ原では、福島正則役の丹波哲郎が名古屋弁丸出しで会議をリードする。
丹波哲郎は役者である!上手い!!!
この場面が今でも目に焼き付いている。
実際はどうなのか?????
合戦時は、西軍・東軍とは言わなかったようだ。

三成の前面の敵と並ぶ、関ヶ原の激戦地、宇喜多秀家と福島正則の戦い。
宇喜多秀家1万7千と福島正則6千の激突である。
宇喜多勢は精鋭なのか?
どうも違うようだ。精鋭なら福島隊は壊滅している。
やはりロマンが無くなってくる・・・・・・・・・・・・

第三部が関ヶ原合戦前哨戦の謎。第四部の関ヶ原合戦における攻防の謎
徳川本軍は秀忠か?
この話題もいろんな本で読む。
どちらとも言えないと!
家康の下には、本多忠勝に井伊直政がいる。
秀忠には榊原康政がいる。
秀忠軍を残したと言う話もあるが、結城秀康も残っている。
どうでしょか?
嶋左近がいる!どれだけの武将だったのかよく分からない!
家康と五分では戦えないだろうとは思う・・・・・・・・・
宮本武蔵は関ヶ原の合戦時、何処で戦ったのか?
本戦の関ヶ原か、九州なのか?
徳川か?石田か?
これは武蔵も悪い。ちゃんと記録を残していない。
どうも九州のようだが・・・・・・・・

いろんな話があり面白い。
第六部      最後が諸大名たちのその後の謎である。
著者の本はよく読んでいるので、知っている話も多いが、面白い本でした!

 

2014年12月 3日 (水)

軍師官兵衛(番外編⑧)石田三成について

石田三成について
1586年 (27歳)
秀吉の命により上洛した上杉景勝と秀吉の間を斡旋。堺町奉行に。
1587年 (28歳)
九州攻めの後、博多町奉行となり町の再興に貢献。
1588年 (29歳)
島津義久と秀吉の間を斡旋。嶋左近を抱える。1596年説もある
この頃、兄の石田正澄が堺奉行に。
1590年 (31歳)
秀吉の小田原攻めで武蔵忍城の水攻めを行うが失敗。
佐竹義宣と秀吉の間を斡旋する。奥州仕置で検地奉行を務める。
近江佐和山城主となる。
1592年 (33歳)
朝鮮出兵(文禄の役)では朝鮮総奉行に。
1593年 (34歳)
五奉行制が敷かれると、そのひとりに。
1594年 (35歳)
島津氏の領土を検地。
佐竹氏の領土を検地。
1595年 (36歳)
関白秀次を糾問。
1596年 (37歳)
京都奉行に。キリシタンを弾圧。
1598年 (39歳)
秀吉死没。博多に赴き、朝鮮からの帰還者を迎える。
1599年から1600年 (40歳から41歳)
関ヶ原の合戦

兄:石田正澄
妹:福原長堯室・朝鮮で軍監を努めて長政らと対立
妹:熊谷直盛室・朝鮮で軍監を努めて長政らと対立・豊後安岐城城主
長男:石田重家・出家
次男:石田重成・津軽信建の助力で生き延びる
三男:佐吉・出家
娘:家臣山田隼人正室
荘厳院:高台院(おね)の養女で津軽信板室
娘:蒲生家家臣岡重政室、岡左内の弟?

攻略結婚と言う意味ではどうなのか?
派手ではないし、そんなに大物はいない。
わざとそうしているのか?
それとも相手にされていないのか?
微妙なところである・・・・・・・

津軽家が恩を感じて、息子・娘を保護している。
ただ検地などでは優遇しているようだが・・・・・

慶長2年(1597年)10月、佐竹氏の与力大名の宇都宮国綱が改易。
佐竹氏も処分を受ける可能性があったが、石田三成の取りなしにより処分を免れた。
こう言う話は良く聞く。
なにか依怙贔屓がある感じがしている。
上杉、島津とかを優遇している。

利休と秀次に処分にも関係していると言われる。
それは無さそうであるが・・・・・・
官房長官としての力はあったんだろう。
以下は堺屋太一が記述していた。
毛利輝元の家臣の脇差しを三成が欲しいと言ったようだ。
輝元は家臣に直ぐに三成に脇差しを渡すように言ったようだ。
理由もある。三成が重要な人物であるのと、その脇差しは秀次も見ている。
秀次が欲しいと言いだしたら困るので、先に三成に渡すように言ったようだ。
輝元から見ても、三成に力があったんだろう。
秀次と三成を天びんにかけた様だ。
輝元も見る眼はあったようだ・・・・・・・・

三成に味方はいたのか????
大谷吉継がいる。
が他はどうなんだろう?
増田長盛・長束正家・小西行長といるが、三成に殉じたわけではない。
増田長盛は豊臣家の領土を100万石預かっていたと言う。
これを三成につぎ込んでいたらどうなっていたのか?
三成の家臣は良く戦っている。
島左近、三成が抱えた蒲生家牢人達!
19万石で家康相手に良くやったのだろうと思うが・・・・・

2014年11月29日 (土)

本・大いなる謎 関ヶ原合戦 家康暗殺計画から小早川裏切りの真相まで・近衛 龍春

慶長五(1600)年九月十五日、日本国内における史上最大の戦闘、関ヶ原合戦が行われた。文字通り天下分け目の決戦となったこの戦いだが、謎に包まれている部分も少なくない。戦いから400年を経た今、新史料をもとに新進気鋭の歴史作家が数々の謎を大胆に解き明かす。

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関ヶ原の合戦の、色々な疑問に答える。
三成を襲おうとした七将!
加藤清正、福島正則、細川忠興、黒田長政、浅野幸長までは正解みたい。
池田輝政(この本では照政)、加藤嘉明だと思っていた。
文献により違うようだ。
藤堂高虎、蜂須賀家政、脇坂安治が入る。
しかし藤堂高虎が入るのか?
とても加藤清正、福島正則と同調するとは思えないが・・・・・・
まして脇坂安治が・・・・・・
あまり深く考えないでおこう。

秀吉亡き後から関ヶ原の後まで記述されている。
色々な武将の思惑がある。
関ヶ原と言えば司馬遼太郎の影響が大きい。
7将に襲撃された三成は家康の元に転がり込む。
と言うのは三成の策略と言われていた。
三成と家康、左近と正信の知恵比べみたいに言われていた。
どうもそうでは無さそう。
そう言う疑問点と回答がある。
納得しがたい事もあるが、別に根拠があるわけではない。
単に自分の希望に沿わないだけである・・・・・・

東軍は、道路上の問題もあり、東海道と中山道に兵を分けた。
秀忠と家康はどちらが本軍か?
この本は秀忠が本軍と言う。
どちらとも言えないようだが・・・・・
ただ秀忠軍を温存する余裕は家康には無かったと思う。
もし関ヶ原で家康が負けていたら、とても秀忠で西軍には勝てないと思う。
進軍を遅らしたのではない。遅れたのである!
遅れていなければ関ヶ原は圧倒的有利になっている。

小早川秀秋の裏切りに、松野主馬の話が無かった。
書いて欲しかったが・・・・・・『寂しい!』

西と東に分かれた武将たちの戦略。
各地の戦い。
よく分かる。
常陸水戸、佐竹義宣!
問題の人である。家康嫌いと言う。
上杉とどこまで連携で来ていたのか?
「追撃の佐竹」とは初めて知った。
2年も経ってから秋田に減封!
2年経っているから我慢できたのか?

亀井茲矩の鳥取城攻め。
どうも他人に責任をなすりつけたようだ。
如水の話も当然出て来る。
息子長政に52万石!
天下を取ったかも知れないと言う評価があり、幸せな生涯だったと思うが・・・・・

合戦図がある。武将の配置を見ている。
プロシア参謀、メッケル少佐が西軍の勝と言った。
毛利と小早川の大軍が家康に兵を進めればどうなったか?
関ヶ原の合戦時の毛利の大将、毛利秀元口惜しさ!
実際に戦場を見ている。
だから余計に吉川広家を許さなかったのは分かる。
毛利はかろうじて長門・周防の2か国、36万石になった。
家康が老獪だったんだろう!
司馬遼太郎が関ヶ原で記述していたが、三成から見れば毛利は絶対に潰される。
でなければ家康が勝った時に、恩賞として与える土地が無い!
流石計数には明るい!

あとがきに面白い記述があった。
三成と秀吉の出会い。
休憩にお茶を求めた。
三成は、最初はぬるく茶碗いっぱいに。
二杯目は最初より熱く茶碗半分。
三杯目は熱いお茶を少々。
この気遣いに感心したと言う。
が単に秀吉が来てから竈に火をかけたので、熱いお茶を出せずに、ぬるいお茶から出しただけ?????

2014年11月25日 (火)

本・大谷吉継―「関ケ原」に散った仁将・野村敏雄

盟友・石田三成との信義を貫き、関ケ原の合戦で壮絶な最期を遂げた仁将・大谷吉継。
秀吉に見出され、賤ケ岳の合戦で戦功をあげ、越前敦賀城主となり、豊臣政権の奉行として活躍する。「関ケ原」以前の吉継を克明に描く本書は、秀吉の死後、諸大名が裏切りと日和見に終始するなか、正義と至誠に殉じた吉継の人となりを見事に描出する。

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真面目な小説である。
大谷吉継が主人公なので、当然よく描かれる。
三成と共に秀吉に仕える。
才能はあるのだろう。
秀吉の長浜城主時代の、家臣の知行が記述されている。
三成も吉継も100石も無い。山内一豊が350石である。
播州へ行く。そして賤ヶ岳となり、朝鮮半島へ軍監として行く。

武将でもあるが、官僚でもある。
検地等、地味な仕事もこなす。
若かりし頃がよく分かる。
らい病を発して身を引く。
病気になってからは、加増も断る。
今までのような奉公ができない!
真面目な性格なんだろう。
後に秀吉の太刀持ちを救う。そう言うやさしさもある。
三成とは親しい。
茶会でお茶を三成が飲み干す場面はあった。
朝鮮半島でも苦労する。
この朝鮮半島の戦いもよく分かるように記述されている。
官兵衛が碁をやっていて、吉継らを待たす話は無かった。
武断派の武将達にも評価されている。
宇喜多秀家の内紛の調停に入る。
徳四天王の一人、榊原康政にも協力を求めるが、家康に止められる。
康政は戦いだけでなく、調整も出来る事を見せたい。『本多正信に対する反感か?』
家康も人が悪い。
直接言わずに、「礼金が欲しいのか?」
そう言われれば引き下がる。

関ヶ原へ三成に殉じる。この間あまりページを割いていない。
が相談されたのが、遅かったのは納得出来ない。
が最大限の協力をする。
そうして関ヶ原で討ち死にする。
関ヶ原の戦場で死んだ武将の中で、もっとも大物だろう。
吉継切腹時の、湯浅五助と藤堂高利の話も出て来ない。
この話は載せて欲しいと思った。残念!
仁将と言う言葉が似合う武将である。

本・石田三成・小和田哲男

豊臣政権の官房長官というべき地位にあって、秀吉の右腕として辣腕をふるった三成。本来、名官房長官として歴史に書き記されるべき三成が、いつ、なぜ、どのようにして「姦臣」に仕立て上げられてしまったのか。千利休切腹事件、豊臣秀次失脚事件、蒲生氏郷毒殺説など、三成の策謀といわれる事件の真相を、丹念な史料の再検証から究明するとともに、戦下手の三成を重用した背景から、平和の時代の参謀像にもせまる力作評伝。

石田三成については、学生時代に読んだ司馬遼太郎、関ヶ原でイメージは出来た。
それ以来変わっていない。
著者の本はよく読んでいる。
最近の軍師 官兵衛巡りで読み返した。
ブックオフで見つけた本である。
同じ系統の明智光秀と並ぶ名著と思うが・・・・・・

水戸光圀の三成忠臣説がある。
五稜郭で最後まで新政府に抵抗した榎本武揚。
別に佞臣と言われたわけではない。
神君家康に抵抗した三成。
メチャメチャ偉いと思うが・・・・・・・
何故三成だけ悪く言われるのか?
最近は言われ無いようにになって来ていると思うが・・・・・・

三成の生い立ちから、いろんなエピソードを交えて、出世していく様子がよく分かる。
近江水口で4万石を貰い、嶋左近を抱える。
がどうもそに事実は無さそう・・・・・・
『夢とロマンが無くなる・・・・・・』

三成がかかわったとされる事件。
①   千利休の切腹。
②   加藤光泰の死。
③   蒲生氏郷の死。
④   豊臣秀次事件。
⑤   加藤清正蟄居。
⑥   小早川秀秋左遷。

②~⑥までは関係ないと言う。
三成は、蒲生氏郷と豊臣秀次の死後二人の家臣を抱えている。
実際に三成がかかわっていたら家臣が仕えるのか?
まして関ヶ原では蒲生系の家臣は奮戦している。
何事も秀吉に事実を伝えるのが三成の仕事と言う。
判断は秀吉がやる。
千利休に関しては権力争いがあるようだ。
秀長が死に、バランスが崩れたようだ。
しかしこの程度の事なら、かの高名な本多正信ならいくらでもやっていそうと思うが・・・

職務に忠実であり、潔癖な性格なのか?
秀吉の死後、三成を追いかけまわした七将に一人、浅野幸長が言ったと言う。
「三成が死んでから、世の不平を不平と思わなくなった!」

五大老、五奉行と、当時そう呼ばれていたのかどうかは分からない様だ。
分析があるが、読みずらい・・・・・・・
毛利輝元が季節外れであるが、珍しいと言って「桃」を献上したようだ。
が三成は、季節外れの物であたってはは困る、と言う事で受け取らなかった。
恨みは残りそう・・・・・
が輝元も、家臣には三成を大切にせよと言っていたようだ。

戦場での働きは今一か?
むしろ兵站、ロジェステックに才能を発揮した。
近江人なので頭の回転は速い。計数に明るい。
官房長官であり、総務・人事・経理のトップである。
どこの世界でも前線と後方は対立する。
清正24万石、三成19万石でバランスをとっている。
秀吉も考えている。
こうなると本多正信は人間通と思う!!!!
謀臣と割り切っている。録も求めなかった。

関ヶ原の合戦時、ともあれ関ヶ原に8万の大軍を集めた。
まだ田辺に1万5千、伊勢にも1万5千と集めている。
15歳で秀吉に仕え、近くで秀吉を見ている。
ゆえに世間は家康に対抗できると考えているので、あれだけ集まった。

東軍勝利のあかつきには、毛利輝元は改易される。
しなければ恩賞として与える土地が無い。
と三成は言う。
しかし三成も空手形を発し過ぎではないか????
真田昌幸に3ヶ国与えると言う。
徳川250万石の土地が手に入るとはいえどうなのか?
もし毛利が奮戦して勝てば恩賞はどうなのか?
四国・九州で与えるのか。上杉、宇喜多にしてもそうだが、大大名が残ってしまう。
大谷吉継が可哀想・・・・・・・
関ヶ原は、小早川秀秋が陣を構えた松尾山に、本来毛利輝元を入れる予定だったと言う。
松尾山籠城戦!
著者言う、「三成の壮大な家康迎撃作戦」
強い者になびく戦国の論理が生きていたと言う。

三成の政権構想。
石田執権政治と言う。
世襲によるものとする。
北条は一門が多い。が三成はどうなのか?
無理ではないか?余計に天下は乱れると思うが・・・・・

最後に人望について。
大谷吉継、直江兼読、佐竹義宣、三成の遺児をかくまった津軽為信、島津義弘も
三成と親しい。
三成に殉じた家臣も多い!
嫌われ役だったんだろう!

2014年11月 4日 (火)

軍師官兵衛「番外編」 テレビドラマ・関ヶ原(1981年正月放送)

テレビドラマ・関ヶ原
30年以上前になる。
放送時に見た。
そして月日は流れる・・・・・・・
今年になってから官兵衛巡りをしている。
その関係で関ヶ原にも行っている。
又見たくなった。
奥さんは流石である。
光テレビで放送されていたのを録画している。
嬉しそうに見た!
やはり面白い!
役者が全然違う!

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徳川家康  森繁久弥
本多正信  三国連太郎

豊臣秀吉    宇野重吉
石田三成    加藤剛
島左近     三船敏郎

良く集めたと思う。
前田利家    辰巳龍太郎
淀       三田佳子
おね?     杉村春子
まつ      沢村貞子
細川ガラシャ  栗原小巻
初芽      松阪慶子
阿国      木の実ナナ

三成を襲った七将ら
福島正則    丹波哲郎
加藤清正    藤岡弘
細川忠興    竹脇無我
鳥居元忠    芦田伸介
宇喜多秀家   三浦友和
大谷吉継    高橋幸次
直江兼続    細川俊之
安国寺恵瓊   神山繁
小西行長    川津祐介 

偏見になるが、軍師官兵衛の増田長盛役が今一と思っている。
関ヶ原では、平田昭彦である。
オールスターと銘打っているだけにあるだけに敵役と思っている。

ドラマは原作通りに展開する。
最初に左近が医者の叔父のところに行く。
それをつけている忍びの物とのやり取り。
叔父の医者が、大滝秀治で独特の喋りをする。
面白い場面である。

秀吉が死に、家康の策謀が始まる。
原作通りである。
三成を襲う七将。
加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・池田輝政・加藤嘉明。
家康が一喝する!
迫力がある。

初芽は要らない役であると思うが・・・・・
となると、出雲の阿国も要らない。名古屋山三郎も要らない。
出て来るべきは、官兵衛、藤堂高虎、伊達政宗、細川幽斎ではないかと思うが・・・・・
関ヶ原までの流れが非常によく分かる。

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上杉景勝・直江兼続と三成・左近の盟約がある。
直江状がある。どうも偽書のような感じがするが・・・・・
家康が三成挙兵を聞いて小山から撤退する。
ドラマでは景勝が追撃をしようとするが、兼続に止められる!

三成挙兵時の、家臣を前にした宣言の場面がある。
「我を助けよ!」
この場面は好きだ。
そしてこう言う場面は、鳥が飛ぶか、風が舞う!
実際に鳥、多分カラスと思うが飛ぶ!

黒田長政。
福島正則を引き込む。
酒が入っている丹波哲郎の正則が良い!
それを説得(??)
いや騙す場面は面白い。
尾張弁と言うか、言葉が面白い!

三成の性格が良く出ている。
三成より実戦経験が豊富な島津義弘の意見を取り合わない。
わずか1千の兵を救うために兵を動かせない。
家康は鳥居元忠のような譜代の家臣がいない。
犠牲になってくれない。
宇喜多秀家の夜襲の策も取り合わない。
自身の観念に凝り固まっている!
それがよく分かる!

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大谷吉継が高橋幸冶。
三成に言う。
「この命くれてやる!」
実際に関ヶ原で戦ったのは、三成・秀家・吉継と言う。
善戦していた。

戦いに敗れて、最後は捕えられる。
百姓が三成をかくまう。
逃げ切れないと思った時に、三成は百姓に訴えさせる。
妻を離別してまで、三成を匿った百姓の義に答えた。

城門に座らされた三成に対する武将達の態度がある。
福島正則:お互いののしり合う!
細川忠興:目礼をして通り過ぎる。「一番良い」
黒田長政:羽織をかけて慰める。原作では長政の最後の仕上げと言う。
     後世の評判、評価に対する演技と言う。
小早川秀秋:忠興に止められが三成に会いに行く。三成の毒舌がさえる!
面白い場面である。

初芽は尼になる。
原作は官兵衛が訪ねる。ドラマは官兵衛は出ない。
そうして言う。
「あの男は成功した!」
三成のような寵臣まで家康に走ったら、世の中の秩序はどうなるのか?

ドラマではこの役は、本多正信になる。
家康と正信の会話。
ああも簡単に裏切れるものなのか?
面白いドラマです!
とくに実際に名所廻りをしているのよく分かりました!

本・関ヶ原①三成の固定観念・司馬遼太郎

老獪・家康の策謀は、三成率いる西軍陣営をどの様にして崩壊させたか?両雄の権謀の渦中で、戦国武将たちは如何にして明日への命運を繋いだのか?天下取りの見果てぬ夢を求めて〈関ヶ原〉に結集した武将たちの人間群像とその栄枯盛衰を描く一大歴史絵巻。

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学生時代に図書館で借りて読んだ。
『新潮日本文学60司馬遼太郎 関ヶ原・殉死』
組み合わせの良い本だと思った。
これにより戦国武将と乃木将軍のイメージを固められた。
メチャメチャ面白かっし、興奮した!

今にして思うが、人間物語である。

最初と最後が印象深い。
冒頭で嶋左近と徳川の軒猿とのやり取りがある。
左近を尾行しているが何度か変装している。
左近に見抜かれている。
敵ながら、この男にアゴで使われたいと思ってしまう。
それほどの魅力がある。

最後に黒田官兵衛が言う。
「あの男は成功した!」
秀吉が死に、三成ほどの寵臣まで家康に走ったら、秀吉の哀れさはなかっただろ!

この二つが印象に残っている。
改めて今の官兵衛巡りの一環で読んでみたくなり読んだ。
古本屋で文庫本3冊を見つけたのが悪かった・・・・・・
奥さんの機嫌が悪くなる。
悪くなると言えば急に奥さんが言った。
「又関ヶ原に行くの?」
20年前ぐらい前に行っている。
奥さんは肩が重いと!武者の亡霊がのっている。
二郎は軽い軽い!メチャメチャ興奮して身体が高揚していた。
絶対に行こう!

この小説は秀吉の死から三成の刑死までを扱っている。
関ヶ原の合戦とはこう言うものだったと初めて分かった記憶がある。
武将たちの苦悩がある。
家を残さねばならない!

三成の性格が記述される。
メチャメチャ面白い。
正当に評価されているのだろう。
人望はあったのか?
負け戦とは言え最後まで石田隊は戦った。
大谷吉継もか!

昔麻雀であった話。
相手から当り牌を出させるには、無いだろうと思わせなければならない!
これに引っかかると怒る先輩がいた。
そんな待ちは無いだろう!
三成も固定観念が強い。
例えば小早川秀秋は、太閤殿下の恩を受けている。当然味方するはず。
家康、正信は現実主義者である。
その差が出た戦いなのか?

2014年4月25日 (金)

石田三成 野望!関ヶ原・新人物往来社編

慶長三年八月十八日、六歳のわが子秀頼の将来に不安をいだきつつ太閤秀吉は世を去った。後事を託された五大老・五奉行の合議による新政権が発足したが、その水面下では大老筆頭の徳川家康と石田三成との権力闘争が進行する…。ひそかに天下の覇権を狙う家康に対し、三成は家康追い落としの執念に燃え、ひとり敢然と立ち向かう。家康の会津遠征を好機として、ついに挙兵を決意、全国に檄を飛ばす―豊臣政権再編の夢を賭けた壮大なドラマが、ここに幕を切って落とされた。史上最大の合戦を仕掛けた男の栄光とその最期。

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執筆者は15人。
本能寺の変の後、山崎の合戦で、洞ヶ峠の筒井順慶から秀吉に使者が来る。
光秀に付かないと言う事だが、この使者が嶋左近!
取り次いだのが石田三成とある。と言う記録も残っているみたい。
これは面白い話だ・・・・・

三成の実績、交友が、そして敵対武将が記述されている。
味方もいるが、敵の方が多い感じがする。
何でも悪い事は三成のせいにされている。朝鮮の役で小早川隆景とも上手くいっていない。
関ヶ原で、毛利輝元のキーマン達、黒田長政・吉川広家・小早川秀秋とも上手くいっていない。
先の見通しが出来ないのかと思ってしまうが・・・・・
千利休の切腹。
千利休自身を無欲な茶の師匠と思うのは間違いのようだ!
秀長―利休のラインが崩壊した時、利休は用済みなのか?
博多商人と堺商人との対立。利休は堺側で、三成は博多側とある。
成長のエネルギーが何処へ向かうのか?
朝鮮半島・大陸か?
東南アジア・フィリッピンか?
東南アジアに権益がある国が、キリシタン大名を使い、大陸に目を向けさせたともある。

と言う事で秀吉亡き後の政局になる。
天下はまわり物!力のある者の物だと言う考えか?
秀吉の天下は定まっていると考えるのか?
天下取りの家康の前に立ちはだかる三成。
三成・左近の戦略構想!
左近の実力はどうなのか?
家康に挑めるほどの実力者なのか?
関ヶ原までの状況が記述されている。
石田家家臣の消息。
石田家の家系もある。
敗将達の消息も記述されている。
当然官兵衛・長政親子は絡んでくる。
息子は三成と仲が悪い!

関ヶ原の合戦の結果が分かるのは、上杉景勝までは半月かかっている。
密書と言うか手紙をたくさん出している。
特に家康は相当手紙を書いている。
飛脚がどれだけいたのかと思ってしまう!
信用できる人でなければならない。
敵方に奪われる場合もある。

2014年3月23日 (日)

歴史ドラマと時代考証・小和田哲男

『秀吉』では竹中直人の「すし食いてぇ、天ぷら食いてぇ」のアドリブで綿密な台詞考証が吹っ飛び、『功名が辻』では脚本家の強い要請でしぶしぶ認めた本能寺での銃撃戦にたくさんのお叱りを受けるなど、いまだから話せる時代考証失敗談などの三つの大河ドラマの制作秘話を披露。本書を読めば大河ドラマを見る楽しみが倍増します。

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時代考証も大変だ。
読んでいてメチャメチャ面白かった。
そこまで言うのか?
セイタカアワダチ草が画面に映っている。これは外来種で江戸時代には無かった。
そんなに注意して見ているのか?
だいたいセイタカアワダチ草なんて最近の若者が知っているのか?
そう言う会があるのかと思ってしまう・・・・・・・
昔は照明も暗かった。そういう風に撮影すると、弱視者の団体から抗議が来た。見えないと!
マア仕方がないといえる。
俳優が大きな口を開けて笑う。銀歯が見えた。クレームが来たそうだ・・・・・・・・
登場人物の出身地の特定は難しいと言う。
山本勘介。風林火山では富士宮市山本でいったそうだが、豊橋市が郷土の偉人としている。
学校側は困ったそうだ・・・・
「ねね!北政所」だが、正解は「おね」のようだ。
現在と当時は違う。
小田原攻めの、石垣山城。北条氏降伏後は廃城になり石垣しか残らなかった。
江戸時代にその石垣を見て、石垣山城跡と言ったそうだ。
越後は酒どころ、米どころだが、戦国時代は違う。先入観はダメな例のようだ・・・・・
そう言う話が一杯あって楽しい!

清須会議がある。「秀吉」の時に、滝川一益が喋っている。
ちょっとおかしいと思った。確か外されたのではないか?
読んでいて理由が分かった。
考証は無い事をあるとはできない。
あると言っても突飛な事は出来ない。
備中高松城の対毛利戦。

秀吉は大きな手柄をたてて、猜疑心で見られる事を避けるために信長の出陣を願う。
そう思っていたが、そう言う手紙は現存していないと言う。
さすればどうやって信長に出陣を願ったのか?
気になります!

いつも思う。秀吉亡き後、石田三成を襲った七将の名前は?
加藤清正、福島正則、浅野幸長、加藤嘉明、黒田長政、細川忠興、池田輝政と理解していた。「司馬遼太郎 関ヶ原」でだ!
がこの本では、加藤清正、福島正則、浅野幸長、、黒田長政、細川忠興、藤堂高虎、蜂須賀家政となっている。
脇坂安治と言う名前もある。少しランクが下がると思うが・・・・・・・
これなんかどうすのだろう?
どうも三成が家康の屋敷に逃げ込んだのでは無いと言う。
「軍師 官兵衛」には当然出てくる場面である。
著者がどうアドバイスするのか?
サアどうなるのか楽しみである。

夢枕獏の小説にあった。格闘技の撮影で、そこで立ち技か?寝技か?
言い出した者通しが意地を張る。ここで監督が言う!
どちらでもよい。要は映像として見栄えが良い方にしたい。
納得!

明智光秀を誰が演じるのか?近藤正臣が印象に残っている。
それ相応の歳の俳優に演じて貰いたい。
ともあれ楽しい本である。
確かに、大河ドラマを楽しむ為にはなると思う。

2014年3月 6日 (木)

篝 火・尾崎 士郎

亡き豊太閣の遺志を無視して、着々と自己の勢威を拡大する家康に、真正面から対決を迫る石田三成。天下分け目の関ヶ原を背景に、三成と西軍諸将たちの、それぞれの生きざまを鮮烈に描いた傑作。 

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司馬遼太郎のエッセイの中にあった話。
尾崎士朗を司馬遼太郎が新聞記者の時代にインタビューしたようだ。
司馬遼太郎自身が言っているが、接待下手だと
尾崎士朗に 「ここに一本の酒があれば申し分ないのに・・・・」
と言われて、あわてて酒を手配したと言う。
その話で、「篝 火」 の話が出ていた。
名作だと!
それを覚えていて読みたくなった。
が本は売っていない。売っていない事は無いが探さなければならない。
こう言う時はどうするか?
全集を探す。全集の中にあるはずだと!
日本文学全集であった。
ブックオフで200円!割引きもある・・・・・
自己満足に浸っている!

尾崎士朗も何冊か読んでいる。
この篝火は、関ヶ原の合戦の、大垣城から関ヶ原の戦いを描いている。
主に西軍の諸将の話で、上杉主従、秀忠、真田昌幸、黒田如水らの話は出て来ない。家康もわずかしか出て来ない。
大垣城から関ヶ原へ夜間移動する。
その時、篝火が見える。
それを兵が見る!目印にする・・・・・・
揺れる篝火、小さくなり又大きくなる・・・・・

その状況が楽しいが・・・・・
一番の問題は、石田三成の禄高なのか?
やはり少ない!
宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、小早川秀秋、毛利輝元等には、なかなか命令できない。
それなりの処遇で命令しなければならない。
三成の某臣、嶋左近がいる。
左近の意見が通り、島津の提案が退けられる。
面白いはずはない。
まして島津は実績がある。鬼島津と朝鮮の役では恐れられた。
小西行長もそう言う風に記述されている。
考えてみれば、嶋左近の実績はほとんど知られていない!
石田三成の限界が記述される。小録ゆえの、実践不足の・・・・・・
三成も辛かったと思う・・・・・・

西軍諸将の名前が沢山出て来る。
大谷行部、平塚為広、戸田重政、舞兵庫、蒲生郷舎、湯浅五助・・・・・
皆戦って死んだようだ。
小早川秀秋の家臣、松野主馬!
好きな武将だ!己を貫いた・・・・・・
裏切りが無かったら、家康の本陣に血刀を下げて突っ込んでいたと言われる!

読んでいて楽しい本である。
播州竜野の城主は脇坂家!
関ヶ原で裏切り、大谷隊に襲いかかる。
好きになれない。
なので竜野も好きではない?
『怒られそうです!』
短くまとまっていて、面白い本でした!

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    呉の大和ミュージアムです。 2012年9月に訪れました。